百七十一 志七郎、季節の流れを感じ負債に悩む事
浅雀藩の件から暫くが経った。
花見の季節が何事も無く過ぎ去り、そろそろ京では仁一郎兄上が参戦する『帝賞(春)』が行われた頃だろうか?
江戸市中には梅、桃、桜等花見の名所と呼ばれる場所が幾つも有るのだが、それらの場所に皆が好き勝手なタイミングで花見を始めれば、まず間違いなく場所取りを巡って刃傷沙汰が起こる為、武士の花見は全て幕府によって日時場所の割当が統制されている。
大名家とその家臣達の場合には二年に一度藩主が江戸に居る時にのみ割当られるので、我が猪山藩には花見の機会は無い筈だった。
これまでは……
「嫁に出た私が出しゃばりゃ浅雀の為に成りゃしないと思って疎遠にしてたけど、もうその必要も無さそうだし、従兄弟同士仲も悪く無いみたいだしね」
件の事が有ってからむしろ積極的に実家と行き来する様に成った母上が、俺とりーち、ぴんふの付き合いを出汁に、浅雀藩の花見に同席出来る様に取り計らったらしい。
と言うか、若い頃にはかなり御転婆だった母上は、古株の家臣達の弱みをかなり握っており、若手連中も彼女の武勇伝に恐れを成して、余程の無茶を言わなければ早々逆らう事は出来ないと言うのが実情らしい……『暴君』の二つ名は少なくとも浅雀藩では『あの一郎』と同等以上に悪名高いようである。
そういう訳で俺達も参加した花見だが、もう少し粋とか雅とか江戸っぽい宴を期待したのだけれども、前世の花見と殆ど変わらなかった。
俺が見た限りで大きな違いが有るとすれば、酒が入って喧嘩っ早くなる者が多い様で、花見の期間中は至る所で喧嘩騒ぎが起きていた事位だろうか。
町奉行所の皆様方はこの時期花見割当の時間以外、ほぼ終日治安維持の為の見回り番だったそうなので本当にご苦労様で有る。
ともあれ江戸中を包む狂乱としか言い様の無い熱狂的な宴も、最早過ぎ去り皆日常生活へと戻っていた。
俺もお花さんによる魔法の授業の他に、母上に書道……と言うか習字を見てもらい、それらが無い日には書庫に篭もるか、りーちやぴんふと共に鬼斬りへ出かける、と言った感じに日々のスケジュールが安定して来た感じだ。
鬼斬りに付いて特筆すべきはやはりぴんふの使う鍬術だろう。
俺もりーちも当初は『鍬は農具であって武器ではない』と侮って居たのだが、よく手入れされ研ぎ澄まされた鍬は思っていた以上に危険な凶器だった。
構造的に首の位置が低い獣の類を相手にするのを得手としているらしいので、物は試しと狼の変化が多数生息する牙狼ヶ丘と言う戦場へ行った時だ。
りーちの狙撃で群れから逸れた獲物を狩り、四煌戌にそれを取りに行かせた際、いつの間にやら群れに囲まれ乱戦を余儀なくされたのである。
その際ぴんふは冗談ではなく大活躍した、振り下ろした鋭い刃が一撃で首を叩き落とし、振り回せば引っ掛けた獲物が飛んで行く。
重く幅の広い刃床部は、敵の攻撃を弾いたりするのにも有用な様で、近接戦闘を得意としないりーちが青息吐息と言った状態なのに対して、ぴんふはかすり傷一つ無く群れ一つを鎮圧してのけた。
「私に言わせれば、何故猪山藩の七が大根流鍬術を知らないのかの方が不思議ですけどね」
そんな事を言われたので詳しく聞けば、大根流の開祖はなんと我が猪山藩に居を構える氏神、天蓬大明神様なのだと言う。
大根流の他にも真鍬流や、茄子流と幾つもの流派が有り、火元国中でも剣槍に次いで道場の多い武器らしい。
最大の利点は火元国中何処でも、それこそ刀鍛冶等出来ない田舎の鍛冶屋でも手に入り、万が一破損したとしても簡単に替えが効き、修理修繕も出来ない方が稀と旅に出るのに最高の条件が揃っているそうだ。
けれども流石に武士が率先して使うには憚りが有るようで『農具を振りますなど武士に非ず』と、そんな事を言われ練武館で出来た友人達と組んで鬼斬りに出る事が出来ず、それが俺やりーちと組む原因の様である。
それらの事を踏まえ家で聞いてみれば、礼子姉上が大根流の印可免許持ちだそうだが、姉上は『神聖な農具を血で汚すなどとんでもない!』と薙刀を得物としているのだそうだ。
閑話休題、今日も今日とて小遣いと犬達の食い扶持を稼ぐ為に俺達は三人揃って、鬼斬奉行所へと足を運んでいた。
「おお、『鬼斬小僧連』! そろそろ来る頃合いだと思っていたぞ」
さて今日は何処へ行こうか、と話し合いながら門を潜った時、そんな言葉で呼び止められた。
『鬼斬小僧連』というのはいつの間にか付けられた俺達三人纏めての二つ名らしく、伝え聞く範囲でも『鬼より強い子供が徒党を組んでいるらしい、彼らの向かった戦場はぺんぺん草も生えぬ程に狩り尽くされると言う……』なんて噂されているらしい。
「桂殿、俺達に何か御用ですか? 義二郎兄上なら、まだ京から戻っていませんけれど……」
朝の日差しをツルリとハ……剃り上げた頭で眩いほどに照り返しながら、声を掛けてきたのは義二郎兄上の無二の友、桂髭丸殿だった。
「おう、アレが戻るのはもう一月二月は先であろう。今日は其方等に用事が有って呼び止めたのよ」
そう言われて俺達は、はて? と顔を見合わせた。
義二郎兄上を通じてでは有るが、伝手の有る俺に用事というのであればまだ話は解る、だが俺達纏めてと言うのであれば、ここ最近の鬼斬りに関する何かだろうか?
どうやら二人も同じ様な事を考えていたであろう事は、その顔を見れば理解できた。
「いや、奉行所としての要件という訳では無い。拙者個人からの頼み事でござる」
そしてそれは桂殿も同様であったらしく、少しだけ声を潜めてそう口にした。
まぁ、奉行所勤務の者が職場で利用者に個人的な依頼をする、と言うのは決して褒められた事ではないのだろう。
前世の感覚で言えば、一般市民に警官が個人的な頼みをする、なんて事は地域密着型の駐在所ならば問題に成らないだろうが、都市部の交番であれば『公私混同』とか『公私の癒着』等五月蝿い事を言われるかも知れない。
「はて、手前共でお役人様の手助け出来る事等御座いましょうか?」
俺がそんな事を考えている間にも、りーちがそう話の先を促した。
商人に成りたいと言っているだけ有って、彼は人当たりも良く初対面の相手でも物怖じせずに対応出来るのだ。
ぴんふもその辺が劣っている訳ではないのだが、性格の違いなのだろう今ひとつ初対面相手ではとっつきが悪い部分が有る。
「其方は清一の弟御であったな、もう一人の方も話には聞いておるがよう似ておる。拙者は鬼斬奉行所同心桂髭丸、鬼二郎や清一の友でござる」
「浅雀藩藩主野火役満が子、平和です」
「同じく利市です」
二人との意外……でも無い(義二郎兄上と清一殿、双方とも桂殿と同年代である)繋がりを口にしてそう自己紹介をした桂殿は、二人が名乗り返すのを待って改めて口を開く。
「実は我が家中で未だ初陣を経験しておらぬ者が居るのだが、父上がその者の初陣に反対しておってな。家中から付き添いを出せぬ状況のだ。末の子で過保護が過ぎると拙者は思うでな……」
と語りだした話を纏めれば、桂殿の末の兄弟がそろそろ初陣に出たいと言い出したのだが、父がそれに反対し影に日向にそれを妨害しているのだそうだ。
武家の子は基本的に鬼斬り者と成ることが当たり前だと言うのに、鬼斬奉行と言う要職に有る者がそれでは不味いと桂殿は考え、年の頃も近く最近かなりの戦果を上げている俺達に頼む事にしたと言う事だった。
りーちの一件とは違い、命を狙われる類の話では無さそうだし、戦場へ出ればあとは桂殿が始末を付けると言うので、決して悪い話では無いとは思う、それ故に二つ返事で承諾しようとしたが、俺が口を開くよりも早く、
「それで引き受けるに当りまして、手前共にはどの様な得がありますのでしょうか?」
とりーちがあからさまに報酬を要求したのだ。
「先日、其方の初陣に当たり貸しが一つ有ったはず。それを返して貰おうか」
すると桂殿は我が意を得たりといった風情に笑いそう口にした。
うん、断れる話じゃないわけね……。




