百七十 幕間 仁義兄弟二人旅 その三
「こら、結構な物頂いて有難うおます。いやぁ、ほんまに田舎んお人なんに、気ぃ利きはりますなぁ。こないだ来やはったお人ん持ってきた、江戸やて人気んお菓子ちゅうモンは甘ったるぅて、食べられた物や無かったわ」
京入りしてから早二週、俺達兄弟は合間を見つけてはこうして手土産を持参し京在住の親類縁者その他諸々に挨拶回りをしていた。
本日訪ねたのは、信三郎が元服の後婿入りする事となっている『安倍陰陽頭広陰』様のお屋敷である。
流石は火元国全土の術者達を統括する陰陽寮の長たる者の屋敷だけ有って、今まで訪ねたお歴々の屋敷と比べても更に広大で立派な屋敷……と言うよりは最早城と呼んでも差し支え無い様にすら思える広さだ。
この山一つがまるまる安倍様に与えられた居住地だと言うのだから、その維持管理を考えただけでも相当な負担が有るだろう事は容易に想像でき、そして同時にこの目の前に居る案内人無しでは母屋まで辿り着く事すら出来ないだろうと言うのも納得の事実だった。
「あ、色々と目を引く物が有りまっしゃろが、ワテの後をちゃんと付いてきておくれやす。下手な所踏み込まはると、結界に引っかかって何処に飛ばしはるかわかりまへんさかい……」
何処か狐を思わせる細目の下男は、此方を嘲る様に笑いながらそう言って俺達を先導して歩き出した。
「兄者……この男、只者では御座らぬ……」
弟がそんな言葉を囁く様に口にしたが、言われずともそんなことは俺にも解る。
見た目だけならば取るに足らない只の小男なのだが、その身に纏う気配は今まで感じた事の無い……いや、我が猪山の長老であるおミヤや、先達て志七郎を訪ねて来た天狗の仙人に近しい物の様に思えた。
そう考えて見れば、先程俺が差し出した土産を受け取った際にも、利き手は背に回されたまま此方に向ける事無く、俺の間合いのギリギリ外までしか踏み込んで居なかった。
陰陽寮の長とも成れば、妬み嫉み僻み恨み辛み憎しみそんな物を向けられる事は決して少なく無いだろう、ただの家人だとしてもそれらに巻き込まれないとは限らない。
こうして訪ねて来た客がそんな悪意有る者だった時には、彼がその始末をする……そんな事すら考えられる。
目の前でゆっくりと揺れながら進んでいくその動きは武芸者のそれではない、だがここは術者の総本山たる陰陽寮の長の住まい、きっと目の前のこの男も歴戦の術者に違い有るまい。
そう思い至り義二郎にだけ見える様小さく首肯する、とは言え案内人が誰であろうとも安倍様に含む所がある訳で無し、何が変わる訳でも無い。
まぁ俺の護衛と言う立場で同行している義二郎にとっては、俺に手の届く範囲に得体の知れない者が居る事に落ち着かない思いをする事も理解できるが……。
「婿さんの兄さん等に無体な真似はせぇへんよ。あてが何かやらかしてお姫さんの縁談わやくちゃにしてまったら、それこそあての首が飛びますさかいに……」
そんな俺達のやり取りに気がついたらしく男は振り返る事も無くそう言い足を止め。
「それに御武家はんはそないでなくちゃあかん。何時如何なる時も常在戦場、そないでなければ縁付く価値があらしまへんて……」
首だけで此方を振り返り、今度は含む所の無さそうな笑みを見せた。
山を覆う森の中中腹辺りまで登った所で木々が途切れ視界が急に広がった。
大きな池が有ったのだ、そしてその池の中央、水面に浮かぶかの様に建てられた金色に輝く屋敷、それが安倍様の住まう母屋だと言う。
同じ金色でも江戸城曲輪内に建つ勘定奉行の兼無様の毳々しく光り輝く自己主張の激しい悪趣味さとは違い、艶の消された金は、陽の光と水面の照り返しを静かに返している。
丸で一枚の屏風絵の様な美しさに、無骨者である義二郎すらもが思わず溜息を溢れさせていた。
そんな屋敷を眺めながらぐるっと池の畔を周り屋敷へと続く橋の袂までやって来た所で、男は去り女房――江戸で言われる様な妻の意では無く、貴族に使える女中の事である――らしき者に案内が変わる。
「遠路遥々ようおこしやす。旦那さんもお姫さんも首を長うしてお待ちどすぇ」
彼女に招き入れられ屋敷へと入る、中は流石に金色作りという訳では無いが、案内される道すがら見える襖の殆どが一枚で我が藩の財政数年分の価値は有ろうと思われる雅やかな襖絵が施されている。
所々に飾られた掛軸や額縁に入った書画等も、上様の宝物庫で見た品々に勝るとも劣らぬ名品が揃っている様に見える……とは言え上様の宝物庫は素晴らしい品も有ったが、そのほとんどは雑多な並品だったが。
恐らくはそれぞれ一つ一つに大層な謂れが有るだろう品々を横目に見ながら、屋敷の最奥へと案内されて行った。
普通ならば表向きの応接間にでも通される所を、わざわざ奥向きに招き入れるとは、娘の婚約者の家族故に身内扱いを受けているのか、それとも何らかの思惑有っての事か……。
「旦那さん、お姫さん、客人をお連れしましたぇ」
考えが纏まらぬ内に、女房殿がそう部屋へと声を掛ける。
「うむ。入って参れ」
襖が開かれるよりも早く、俺達は慌てて板張りの廊下に平伏した。
京の帝は神々より火元国の統治を任されている存在であり、上様は更にそこから幕府を開く許可を与えられている。
帝に直接仕える公家達は名目上は上様と同格なのだ、なので上様の家臣の子弟である俺達からすれば実質どんなに力の無い貧乏公家であろうとも格上の存在として扱わなければ問題と成り兼ねない。
ましてや相手は陰陽寮の頭、礼儀を尽くして余りある相手である。
「其方等、何を平べったく成っておじゃる。苦しゅうない面を上げよ」
襖を開ける音すら聞こえ無いほどに緊張していたのだろう、そう言葉を掛けられるまでただ静かに額づいて居た。
その声に従い、ゆっくりと上体を起こし目を伏せたまま静かに前を見る。
その先には白い狩衣に身を包んだ流れるような黒髪の男性と、豪奢な十二単と思われる着物に身を包んだ恐らくは奥方と思われる女性、そして同じく十二単を纏った少女を抱いた裃姿の男性が居た。
「よう、お主等随分と遅かったのぅ。あんまり遅いもんだから、ぶぶ漬けを頂いちまったじゃねぇか」
先程と同じ男の声では有るが今度は随分と崩れた言葉でそう言われた。
声の主は狩衣の男性では無く裃姿の男の方だ!?
思わずそちらに視線を向ける、そこには見知った顔が有った。
「御祖父様! 何故此処に!?」
先代藩主であり我らの祖父、猪河為五郎が何故かこの場に居た。
「ん? そら、長らく見てねぇ孫の顔が見てぇと思ったから……だが?」
いや、聞きたいのはそういう事では無い。
何故隠居して以来、屋敷に顔を見せる事すら殆ど無く、火元中を糸の切れた凧の様にふらふらとしているらしい男が、公家のそれも重役の家で当然の様な面でお姫様を抱いているのか。
「其方が『鳥獣司』猪河仁一郎であるか……、祖父や『あの一郎』とは違い常識的な男の様だの……」
俺が更なる疑問を口にするより早く、狩衣の男性――この方が安倍様だった――が、心から同情したような口振りでそう言った。
「まぁ、我が娘と其方等の弟の縁談が無くとも、我らは親類じゃてそう固く成らずとも良い、ゆるりとくつろがれよ」
うん、聞いた事無いのだが、どうやら安倍家と猪河家は浅からぬ仲らしい……。
考えてみれば、加護持ちとは言え信三郎が婿養子に入り家を継ぐ予定なのだから、多少なりとも縁が有っても可怪しくは無い。
なんとなく気が抜けるのを感じながら、俺は義二郎に持たせていた土産の包みを安倍様へと差し出すのだった。




