十五 志七郎、町へと足を運ぶ事
「それじゃー、晴天自由市場に向かって出っ発なのー」
「買い物なら悟能屋さんを呼ぶのではないのですか?」
昼食を済ませ着替えた後、智香子姉上と共に屋敷を出た俺はそう問いかけた。
今まではどこへ行くにせよ必ず紋所が入った着物を着ていたのだが、今日はわざわざ何処の家中の者か解らないよう、お忍び用の着物を着せられたのだ。
姉上の服も庶民が着る物とは思えない程度には上等でそれなりに豪華な仕立てだが、大名の娘が着るものとしては明らかに格落ちするように思う。
「ふつーならそれでいいの―。でも今日は色々と急ぎで買い揃えないとならないから、直接買い付けに行くの。でも御用商人を通さないで買い物してると、家も向こうも面子が潰れるのー」
武家としても商家としても御用取引が出来ないほど傾いたと見られる……、だからわざわざお忍びで出かけるという事か。
「さてと、今日はどんな出物が有るかなのー。子鬼の角もたくさん仕入れないといけないの、錬玉釜を作り直すなら耐熱煉瓦も欲しいの―。ついでだから薬瓶と薬包紙も仕入れておくの」
どうやら先日、母上と一緒に行った馬比べ場へと向かう道を、ほぼたどる様に江戸中心部を目指す様だ。
まぁ、護衛云々の話が出なかった事を考えると、江戸市中の治安に問題ない場所へと向かうのだろう。
そう思いながら姉上の横を歩いているが、その間ものべつ幕無しにあれが必要、これが必要と口にしている。
少々声が大きい気もするが俺に対して言っているわけではなく、どうやら考えを纏めるための独り言の様だ。
正直ちょっと五月蝿い……。
目的地は馬比べ場よりは近いらしく、1時間も歩かぬ位で辿り着く事ができた。
そこは大きな広場の様で、至る所に筵が敷かれ売り物と思われる物が並べられている。
売り手はそれこそ老若男女身分の上下を問わ無い様子で、その雰囲気は前世におけるフリーマーケットのそれに近い感じに思える。
無論売り物も野菜や魚のような食品はもちろん、刀に鎧といった武具、何かの骨の様な何に使うかよくわからないものまで多岐にわたるようだ。
「志七郎君、あっしは色々と買い漁るから色々と回るけど、ちゃんと付いて来て欲しいの。もしはぐれたらそこの番所で待っててなの―」
馬比べ場のあの狂気を感じるほどの熱気には及ばないまでも、活気に満ち溢れたその様子に少々面を食らったが、姉上の言葉にハッと正気を取り戻し、慌ててその後ろを着いて行く。
「これとこれ、ある分全部もらうの。こっちも一緒に買うからこれくらいの値段でどうなの!」
姉上は勝手知ったるといった足取りで、右へ左へと求める物のある場所が解っているかのようにすいすいと移動しては、凄まじい勢いで値切り買い求めてはぶら下げた巾着にしまっていく。
「あ、姉上? 買ったものの量が明らかにその巾着に入る量では無いように見えるのですが……」
ざるに山盛りになった白い骨の様なものや、同じく山盛りの乾燥した草、なにかの鉱石の様なもの、などなど無数の品々がその重さも体積も無視したように巾着へと吸い込まれていた。
「の? これはお師匠が作ってくれた入万巾着なの、色んな物を沢山軽く運べるようになる術具なの。輸入雑貨を扱う店でなら扱ってるかもだけど、この国ではまだ量産できない珍しい物なの」
姉上しては珍しく、声を抑えそう教えてくれた。
ふむ、ファンタジー系の作品でよく見るアイテムボックスとかそういう類のアイテムか……。
そういう世界でよくある古代文明からの発掘品とかではなく、錬玉術とやらで作られた西洋では一般的な道具のようだ。
「これはお師匠が西洋から持ってきた材料で作ったけど、この国で手に入る素材で再現するのがあっしの今の目標なの!」
話している内に徐々に興奮していったのか、最後には片腕を突き上げ叫ぶように堂々たる宣言を上げる。
折角声を潜めたのに台無しだ……、方々から視線が矢の様に突き刺さる。
俺は慌てて姉上の手を引いてその場を急いで離れることにした。
自由市場はかなり広くてまた喧騒も激しい為、少し移動しただけで痛いほどに集まっていた視線もすぐに届かなくなった。
そして姉上はかなり太い神経をしている様で、すぐに正気を取り戻すと再びあちらこちらへと買い物の足を運ぶ、その表情は馬券を握りしめる母上にそっくりだと思えた。
「さて市場で買えるのはこの位なの。あとは専門のお店に行くしか無いの」
それからもう6軒ばかり露店を廻り、必要な物を買い揃えたらしく姉上は俺を振り返りそう言った。
「専門のお店ですか?」
荷物持ちをさせられている訳ではないが、自由に見て回るでなく女性の買い物に引っ張られ付き合わされるのは正直疲れる。
「ほんとーは義兄ちゃん当たりに付いて来てもらわないといけないのかもしれないけど、今日は急ぎだからしょうが無いのー。お父様やお母様には内緒なのー」
わざわざ内緒にしなければならない場所……正直嫌な予感しかしなかったが、姉上を一人にする訳には行かないので、大人しく着いて行くことにする。
入ってきたのとは別の、恐らくは反対側の出口から広場を出てさほど行かない内に、辺りの気配が変わった気がした……。
それは前世でもあまり感じたことのない気配だが、全く知らないわけでもない……、海外研修の際に行ったスラム街の、飢えた犯罪者たちの発する剣呑な気配だ。
人通り自体は全くと言っていいほど無いが、そこら中から俺達の様子を伺う視線を感じる。
思わず、腰に手を伸ばし木刀の柄を握りしめた。
流石の姉上もここではいつもの能天気さが鳴りを潜め、角をひとつ曲がる度に何かを警戒する様な素振りを見せている。
距離的には大した事は無いはずだが、思った以上の時間を掛けて進んでいった場所にその店はあった。
一見すると店というよりは小汚い長屋にしか見えないが、そこに出入りしているのが明らかに商人の装いをしていることから、なんとか商家である事が理解できるそんな場所だ。
「なんでこんな場所で店をやってるんでしょう」
そんな言葉が口をついた。
「ひゃっひゃっひゃっ! そりゃ大通りに店を構えりゃ戸口税が余計にかかる。この店で扱ってる物は余所では手に入らない特別なものばかりじゃで、余計な費用を掛けなくても客は幾らでも来るんじゃよ」
すると戸口の奥から、そんな老婆の声が聞こえてきた。
「ばっちゃ、久しぶりなの―。今日はちょっと色々買いに来たの」
そう言って戸口を潜る姉上に続いて、中に入るとそこはいかにも怪しげな物が並ぶ、胡散臭い薬屋といった風情の店だった。
巨大なトカゲの干物や、これ又大きな蛙のホルマリン漬けらしきもの、あれは鹿か何かの角だろうか? それにしてはやたらにデカい……。
そんな不可思議なものの隙間にこれ又胡散臭気な皺々の老婆が一人座っていた。
「おお、お嬢ちゃん久しいの。今日はあの護衛の木偶の坊は一緒じゃないんか」
木偶の坊というのは義二郎兄上だろう、確かに彼が一緒ならばここにも安心して来れそうだ。
「ちょっと急ぎで色々必要になったの、とりあえずアレとコレとソレも欲しいの」
「あいよ纏めるからちっと待っておくれ」
ここでも結構な量を買い求める様だが、先程までとは違い纏めて一箇所で買えるのですぐに終わりそうである。
「んじゃ、ばっちゃ。いつもありがとなのー」
「そりゃコッチのセリフじゃて、気を付けて帰るんじゃぞ。そのちっこいのが護衛じゃ自重できん馬鹿も居るやもしれんでの……」
……そんな老婆の言葉が現実になったのはほんの数分後のことだった。
「ようお嬢ちゃん。羽振りが良いらしいじゃねぇか。ちょいと俺達にも小遣いくれよ。ついでに色々楽しませてやるぜ」
下卑た笑いを浮かべたヤクザと呼ぶにも貫目の足りない、如何にもならず者といった風情の男たち五人に行く手を塞がれたのだ。




