百六十三 志七郎、討ち入りに参加する事
たすきを掛け両腕を露わにし、普段使っている稽古用の物とは輝きの違う、何処からどう見ても業物としか言い様の無い薙刀を手に、肩で風を切りながら母上が先頭に立ち道を行く。
後ろに続くのは猫耳女中達を除く猪山藩の全員、普段ならば非戦闘員として家に残される筈の睦姉上までもがたすきに鉢金小ぶりな薙刀と武装して付いてきているのだから、本当に屋敷総動員である。
正式な家臣では無く食客とでも言うべき立ち位置の者達までが参加しているのは、色々と問題有りそうな気がするのだが……。
いや参加者云々では無い、家中の騒動だけでも表沙汰になれば御家取潰しなんて事も有るのだ、藩と藩が直接ぶつかり合う合戦なんて事になれば、両家共にただでは済まない筈だ。
「母上! 幾ら腹に据えかねたからと言って、こんな事をすればただでは済まないのではないですか!?」
誰一人として母上を止めようとしない事に多少の疑問を抱きながら、誰も言わないならば俺が言うしか無い、とそんな言葉をくちにする。
「そうねぇ……他所が相手ならこんな大事にはせず、内々に済ませる様にするわ。でも、相手が浅雀で野火で有ればこうした方が良いのよ。家の為にも先方の為にもね」
その口振りからは小藩の我が家と大藩の野火と言うだけでは無い俺の知らない何かが有るらしい事が伺い知れた。
「そもそも志七郎様が利市殿の初陣に同行したのは、先方の家老より持ち込まれた依頼故。にも関わらず志七郎様を巻き込んでの仕儀、それが野火家中の手に依るものならば利市様のみならず志七郎様を亡き者にせんと図ったとも考えられまする」
渋いものを噛み締めた様に顔を顰めながらそう言ったのは笹葉であった。
彼は信頼していた友人の依頼を俺に取り次いだ立場なのだ、今回の一件は完全に自分の面子を潰された、とそう考えてもおかしな話ではない。
流石にその言葉その物は穿ち過ぎだとは思うのだが、最悪を想定するならば確かに俺が狙われたと言う事も考えられなくは無いのだろう。
「さて……浅雀屋敷が見えて来ました、お喋りはそこまでです」
目的地は然程遠い場所では無かった様で、それ以上何かを言う前に母上の発したそんな言葉に口を噤んで前を見た。
浅雀藩は大藩でありその規模は猪山藩一万石の軽く十倍以上、ならば屋敷も相応に大きな規模なのだろうと思ったのだが、俺の目に映ったその門構えは我が家と然程変わらぬ様に見える。
だが我が家と大きな違いが一つ有あった。
我が家では普段、門扉を閉じるだけで特に歩哨の様な者は立てないのだが、目の前のそこには鎧兜に身を包み槍を手にした侍が門の左右に立っていたのだ。
「止まれ! 何処の家中かは知らぬが、此処が浅雀藩の屋敷と知っての狼藉か!」
「事と次第によっては其方等の命だけで無く、御家までも危機に晒す所業と解っての事か!」
彼等は俺達の姿を認めるとその穂先を此方へと向けてそう口にした。
この状況ではその反応は当然の物だろう、対して騒乱となるのを止めようとりーちが、海底殿が、河底殿が口を開こうとするが、それを母上が腕で制する。
「妾は猪山藩主猪河四十郎が室お清、浅雀藩主野火役満に申し上げるべき事御座いまして罷り越した次第、早急にお取次を! 余り時間が掛かる様ならば、押し通る事も是非も無し、百数えるまでに返答を持って参れ!」
おいおい、他藩の当主呼び捨てにしたぞ……、一郎翁の暴虐無人ぶりばかりが噂ではクローズアップされている様に思えたが、母上も大概なんじゃないか?
「な! 言うに事書いて、我らが殿を呼び捨てとは! 他藩の奥方とは言え許せる事では無いぞ!」
「止めい! 挑発に乗るでない。この場は某が応対する故、其方は殿にお伝えせよ!」
門を守る二人の内若い方は、母上の言葉に熱り立ち顔を真赤にして居るが、もう一人が制止した為、早急な武力衝突には発展して居ない。
年嵩の父上や母上と同年代と思われる門番は顔色一つ変えること無く、その言葉に従い若い方が潜戸から中へと入っていった。
「清姫様、若い者を誂うのは勘弁して下され……。ほんに某が当番の時間で良かった、若い者だけが立っていたならば血を見る所でしたぞ……」
どうやら彼は母上と顔見知りらしく、左手で額を抑えながらそうぼやく。
「あら? 見知った顔が有ったからこその挑発よ。その位の分別が付かぬ様では藩主の妻など務まりませぬ。何処ぞの御方はそれすら理解の外の様ですけれど……」
今回の一件、その黒幕に心当たりが有る彼のように母上は獰猛な笑みを浮かべながら、そう言葉をかえす。
それから数分と経たず門扉が大きく開かれ、俺達は屋敷の敷地内へと招き入れられた。
「浅雀藩のお歴々、お久しゅう。と言っても半分以上は見たことの無い若手のご様子、順調な代替わり何よりで御座います」
見える範囲だけでも百を軽く超える侍たちが居並ぶ中、母上は頭を下げることすら無くそう言った。
やはり此処でも刀に手を掛け撃発しそうに成っているのは若手の者達だけであり、ある程度以上の年齢の者達は何も感じていないかの様に若手を抑えに回っている。
家臣の代替わりは順調なのかも知れないが、主家である野火家に跡継ぎ問題が起こっている以上、それはこの上ない嫌味の言葉だが、それでもなお許される何かが、猪山藩に……母上には有るのだろうか。
「……して、ワシに話が有るとの事であるが、一体如何なる話ですかな?」
家臣達の間から一歩、また一歩と進み出ながら、心無しか怯えた様な青ざめた顔色でそう言葉を発した、彼が浅雀藩主野火役満その人だろう。
身の丈は五尺を少し超える程度と小柄な分厚い眼鏡を掛けた彼は、武人と言うよりは、前歴通り商人の方が向いていると思える風体である。
「……浦殿のご依頼で、御子息様の初陣に我が子志七郎が同行しました。その際、何者かの手の内と思われる忍術使いに命を狙われたのです」
ゆっくりと言い聞かせる様に顛末を口にする母上、だがそれは激情に走りそうになる己を押し殺している様に俺には見えた。
母上の言葉が進むに連れて、俺達を取り囲む侍の顔色が変わっていく。
撃発しそうになっていた者達の間にも理解の色が広がるのが見て取れた。
そしてその中に他の者達とは違う反応を示した者が、数人俺の目に止まる。
「……と言う訳で、そちら様からの依頼で我が子を巻き込んだ、その落とし前を付けて頂きたく罷り越した次第。そちらの家中だけで済ませたならばでしゃばる事も有りませんが、我が子が巻き込まれた以上黙っては居れませぬ」
「た、たかが一万石少々の小藩の分際で、三十二万石の大大名野火家の家中に口出しするとは、無礼千万にも程が有ります! 皆の者、叩きだして御仕舞なさい!」
雌獅子の様な獰猛な笑みを浮かべる母上に、そんな言葉を返したのは藩主では無く、恐らくはその妻であろう女性だった。
「あら、亭主である役満がこの場に居るのに、其方が勝手にその様な命を出すなど……そちらの方が余程僭越なのではないかしら?」
だが母上は臆する事も無く口元に手を当てて嘲笑いながら言葉を返す。
その言葉の通り誰一人として鯉口を切る者は居らず、中には困惑した表情で此方から視線を切り己の主を見る者さえ居る。
「……猪山藩と浅雀藩が争わぬのは、猪山の武勇を恐れるが故では無い。猪山より流れ出たる猪河の流れは我が藩東部の水利をほぼ担う、もしも塞き止められでもすればどれほどの民が渇き息絶える事か」
溜息を付きながら、己の妻を諭す様に役満様がそう言うと、母上は勝ち誇った様な満面の笑みを浮かべ、それからよく似た表情で溜息を付き、
「にしても、随分と簡単に下手人が解ったわね。語るに落ちたとはこの事よな」
そう言った……あれ? 役満様と母上、表情だけじゃなくて顔もよく似てないか?




