百六十一 志七郎、危機を乗り越え窮地に至る事
「甘酸っぱ塩っぱ辛苦!!」
口の中に広がるなんとも言いがたい凄まじい味に思わずそう叫び、完全に落ちかけて居た意識が急速に覚醒していく。
倒れ伏す事無く立ったままを維持出来ている事から、意識が飛んだのがほんの一瞬の事だと理解できた。
何が起こったのか自分でもよく解らなかったが、俺まで眠り込んてしまい、りーちだけになればこの状況を切り抜けるのは難しい事は明白だ、なにはともあれ春香の術とやらの効果から脱したのは有り難い。
慌てて視線を先程の忍者へと向けると、奴は右肩を押さえ怒りの眼差しで此方を見詰めて居た。
どうやら俺が眠り込んだ一瞬にりーちが放った弾丸を避ける事が出来ずに、肩を打ちぬかれていたようだ。
「おのれ……、我が術中に有る者から斯様な手傷を受けるとは……だが所詮はガキ一匹……我が刃の錆にしてくれるわ……」
ガキ一匹? つまりは奴は俺の事をりーちだと勘違いしているのだろうか? 最初の不意打ちからりーちは草の間に身を伏せている故に未だ見つかっていない? と言うのは流石に希望的観測が過ぎる様に思える。
攻撃を受け始めてから三発を放ち、そのどちらもが的確に命中しているのだ、最初の一発は俺が撃ったと勘違いした様だが、三発目は奴の術に掛かりかけた瞬間、むしろその言葉はフェイクと考える方が自然だろう。
一歩一歩、ゆっくりとした足取りで近づいてくるその素振りだけを見れば、かなりのダメージを受けている様に見えるが、それとて欺瞞で有る可能性は捨てきれない。
近づかれる前に止めるべきだろう、そう判断し前に出る事を決意するが、それでりーちの射線を遮りフレンドリーファイアを貰っては冗談にも成らないだろう。
顔を動かさず眼球だけを動かし、視界の端でりーちの姿を確認する。
大人二人と俺、身長差で術に掛かるタイミングがズレた様に、立ったままの俺と伏せたりーち、その姿勢の差の所為だろう、前を見ていた顔が支えを失った様にカクンと前に崩れたのが見えた。
こうなると誤射の恐れも無いが、援護も期待できないな……。
唾を飲み込む音が妙に大きく聞こえた、だがこれで完全に覚悟は決まった。
氣を高めそれを目と頭に集中する、と視界から色が抜け落ちていき、それと同時にただでさえゆっくりとした足取りだった男が更に速度を落とし、コマ送りの映像を見ているかの様になる。
氣を使った意識加速だ。
俺自身がその中で相手よりも早く動ける訳ではないが、照準を合わせるのにはそれで十分。
両膝と左肩そして腹を狙って一発づつ、計四発を立て続けに連射する。
即死するであろう、頭や心臓を狙わなかったのは、別に相手を殺す事に忌避感が有ったからでは無い。
刀で生き物――特に人間――を殺す事には未だ慣れたとは言い切れないが、銃で人を撃つ事事体は前世でも何度も有った事を思い出したからだ。
正当防衛でも銃を撃てば問題になる様な国に長い事居たので忘れかけていたが、海外研修で南米や欧州に派遣された際には、地元のマフィアを相手に銃撃戦に及んだ事も2度や3度の話では無い。
此方の命を狙って襲いかかってきている相手を撃ち、結果として殺してしまった事は無いにせよ、それを覚悟して撃った事が無い訳では無かったのだ。
では何故今回わざわざ急所を外して撃ったのか、それは相手の背後を探る為である。
弾倉に一発残して撃ったのも無力化仕切れず最期の足掻きが有った場合に備えてだ。
どちらもマフィア相手の銃撃戦が殆ど日常と言える様な場所で、現地の刑事達がやっている事から学んだ事だ。
意識加速下では、撃ちだした銃弾が着弾するまでの間でもこれだけの事を思い出すことが出来た。
その上で視線を切る事無く相手の動きしっかりと見定める、やはりあのゆっくりとした動きは此方の油断を誘うための演技だった様で、着弾するよりも早くその場に丸太を残して跳び退いた。
その丸太が何処から出した物か、どうやったのかは加速した視界でも見極める事は出来なかったが、あれは所謂『変わり身の術』と言う奴だろう。
普通の状態で目の前で行われたならば、確かに相手を見失い隙を作ってしまいかねない危険な術では有るが、その退く姿をはっきりと確認した以上俺には何の効果も無い。
跳んだ先で身を伏せ姿を隠そうとするその様子からは、俺が隙を作った所を狙って再度不意打ちを仕掛けようと言う魂胆が見て取れた。
さて、次の一手はどうしようか……、遮蔽物の無いこの場で銃弾を装填し直すのは危険過ぎるし、間合いを積めて刀で勝負するには相手の力量が掴めて居ない以上、リスクが大きすぎる気がする。
それに相手が一人とは限らないのだ、あの一人が俺を引き付けて、伏勢が三人を仕留めに来ると言う可能性もありそうだ。
となれば、俺はこの場を動かず向こうから仕掛けてくるのを待つのが良いか……。
そこまで考えた所で意識加速を解く事にした、意識加速は脳に掛かる負担が尋常では無い、三十秒も使えば酷い二日酔いの様な頭痛に半日は苦しむ事になる。
視界に色が戻り、辺りの音が臭いが感じられる様に成ると共に、奴を挟んだ反対側に白い何かが蠢くのがちらりと見えた。
兎鬼では無い、あれは四煌戌だ!
偶然か、それともこの状況を察知してかは解らないが、どちらにせよ四煌戌達は俺に助太刀しようとしているのだろう。
直ぐにでも仕掛けさせるべきか、いや……。
耳に氣を集め辺りの気配を探ろうかとも考えたが、海底殿河底殿、両名のいびきが煩すぎて音を頼りにするのは無駄に思えた……。
考えていても埒が開かない……出たとこ勝負は好みでは無いが、先ずは確認できている相手を捕らえよう。
「紅牙! かかれ!」
四煌戌の三つの首の中でも最も勇猛な名を呼びそう命ずる。
この一合激で決着を着けるべく、銃を袂に滑り込ませ刀を両手で構え峰を返す。
「うぉぉぉぉぉぉん!」
「ぉん! ばうわうわう!」
飛びかかり、奴に喰らいつこうとした紅牙以外の二つの首が吠え立てた。
「糞! もう戻って来やがったのか!」
四煌戌の存在に気づいて居なかった訳ではなく、俺達から四煌戌が離れたタイミングを狙って攻撃を仕掛けて来た様だ、それはきっと彼等の索敵能力を恐れての事なのだろうが、時間を掛け過ぎた。
流石に噛み付かれる様な事は無く、声を上げながら伏せた姿勢から腕の力だけで跳び上がり、その攻撃を避ける。
その瞬間、ほんの一瞬では有るが相手の意識が此方から離れた、当然ながらその隙を見逃す俺では無い。
十間程の距離を一足で跳び、未だ宙にある奴の身体を唐竹割りに振り下ろした刀の峰で叩き落とす。
完全に意識を俺から離していたらしく無防備過ぎる状態で一撃を受け、受け身も取れずに地に打ち付けられた。
背を強く打った為だろう激しく咳き込み動きを止めた、俺はその男の前に立ち刀を突きつける。
「勝負、有ったな。悪いが色々と聞かせて貰うぞ、お前には黙秘権……なんて物は無い、弁護士を呼ぶ権利も……無い。何がなんでも知っている事は歌って貰うぞ」
この世界では法関係が違うのでミランダ警告などする必要は無いのだが、思わず癖の様に口から出そうに成ってそれを訂正する。
だが、それが今度は此方にほんの些細な物ながら隙を作る事になってしまった。
そのほんの少し短い間に息を整え、
「忍びの者が、軽々しく情報を漏らすと思うな……。役目失敗は命を以て贖う物よ。冥府の道には貴様も道連れにさせてもらおうか!」
そうつぶやく様に言いうと、口の端を引き攣らせる様に笑い……そして爆発した。




