百六十 志七郎、渡り合い危機に陥る事
姿を見せろと言われて、姿を見せる様な相手ならば不意打ちなど仕掛けて来ないだろう。
当然ながら二人の言葉に応える声は無く、代わりに返って来たのは更なる手裏剣の雨だった。
だが不意を突いて尚余裕を持ってそれらを弾ける腕前を持つ二人が、来ると解っている攻撃を捌けぬ筈も無い。
となれば俺はりーちの心配をするべきだろう、そう判断し視線を向けると、彼はいつの間にやら地に身を伏せた狙撃の為の姿勢を取っていた。
飛来する手裏剣から身を隠すと同時に、もし視界に攻撃者の姿が入ったならば即座に反撃する為だろう。
思った以上に落ち着いているりーちの様子に少しだけ安堵し、それから素早く視線を手裏剣の出処へと向ける。
そして不可思議な事に気が付いた、この辺りは大きな木や岩の様な遮蔽物は無く、生えている草も精々大人の膝程度の高さの何もない野っ原だ。
そんな場所だと言うのに手裏剣を投げる者の姿は見えず、何もない空間からいきなり手裏剣が出現し飛来していたのである。
「ええい! 猪口才な!」
「斯様な攻撃、幾ら仕掛けて来ようとも拙者達には傷一つ付かぬわ!」
ひたすら繰り返される単調な攻撃に焦れてきたのか、二人はそれまでよりも更に大きな声を上げる。
その叫びには氣が練りこまれていたようで、文字通り空気が震えるのをその声が向けられた訳では無い俺にも感じられた。
それが功を奏したのだろうか、微かにだが周りの風景とズレた動きをする何かが俺の目に映ったのだ。
「そこ!」
俺は考えるよりも早く懐から愛銃を抜き、声を上げると共に即座に発射した。
火薬の弾ける乾いた音と共に撃ちだされた銃弾は、残念ながらその者を撃ちぬく事は無かった、だが決して何の効果も無かった訳ではない。
どういう理屈かは解らないが、透明人間の様に姿の見えなかったその者が、銃弾を躱す為に大きく横に飛ぶと同時に姿を表したのだ。
灰がかった赤茶色――柿渋色の頭巾で顔と頭を覆い、同色の着物袴に身を包んだその姿は、何処からどう見ても忍者のそれである。
そしてそれに連動するかの様に俺達を包囲していた者達が次々と姿を表わす、総勢六人の彼等は皆判で押した様に全く同じ姿だった。
「「「「「「我が隠身の術をよくぞ見破った、だが所詮は小手調べ。此処からは本気の本番、いざお命頂戴つか……
左手を広げたまま前へと突き出し身体を半身に構え背負った刀に手を掛ける、六人が皆全く同じ動きをしながら、全く同じ言葉を口にしていた矢先、乾いた炸裂音が俺達の足元から響いた。
すると忍者たちの一人が額を撃ちぬかれ倒れ伏し、そして煙になって消えた。
「「「「「口上の最中に撃つとはなんと卑劣非道か!? 正々堂々が聞いて呆れるわ!」
撃ったのは勿論りーちなのだが、彼等の視線は俺を向いている。
挨拶前の不意打ちは許されるが、挨拶中の攻撃は失礼だと言う事なのだろうか? そんな事を一瞬考えたのだが、その辺の事に頓着する様子も無くりーちは静かに次弾を装填し再び引き金を引いた。
だが流石に今度は相手も警戒していたらしく、銃弾が届くよりも早く全員が同じように身を躱していた。
「「「「「おのれ! 最早勘弁成らぬ! 貴様ら全員惨たらしく縊り殺してくれるわ!」」」」」
激昂した様子でそう叫びを上げると、忍者達が一斉に飛びかかってきた。
しかしそれは悪手だろう……。
姿が見えずとも殺気だけを頼りに全ての攻撃を撃ち落とせる二人なのだ、何のフェイントも無く飛びかかってきた所で全く脅威を感じる事は無い。
事実一歩前へと出た海底殿が槍を一薙するだけで、五人が五人共あっさりと弾き返されされた。
流石は大藩浅雀家から選抜された武芸者、義二郎兄上や伏虎よりは落ちるものの、十分に優れた使い手だ、正に鎧袖一触の活躍である。
たった一撃で勝負が付く等とは思わなかったのだが、打ち落とされた五人はボムン、ドロンっと音を立て煙となって姿が消えた。
「おろ!?」
あまりにもあっさりと呆気無さすぎる結果に、そう声を上げたのは追撃の為に矢を番えていた河底殿だった。
けれどもそんな間の抜けた声を上げながらも、流石にあからさま過ぎるこの状況に気を抜いた様子は微塵も無く、何時でも弓を引くことが出来る様に矢を手にしたまま周囲に視線を飛ばして居る。
海底殿も油断して残心を忘れる様な事は無く、振り切った勢いを上手く殺して再び槍を脇に構え、視線は再度敵を探していた。
その間にりーちは再装填を終えた様で、身動ぎ一つする事無く伏せ撃ちの姿勢を保っている。
俺は俺で右手に銃、左手に刀を構えたまま、先程の様に風景に不自然な所が無いかを、眼球に氣を集めて探す。
だがそれらしき物は直ぐには見つから無かった。
「大藩の参勤に参加が許されるだけ有って中々の腕前、だが若い……今暫く修練を積めば良き侍に成っただろうに惜しい物よ……」
前か後ろか右か左か、ただっ広い野っ原だと言うのに反響を繰り返したかの様に何処から聞こえているのか判然としない不可思議な声が聞こえてくる。
「其処なる童子も聞き及んだよりも幼気な容姿なれど中々の腕前、祖父から与えられた玩具で遊ぶだけの糞餓鬼等とはよう言えたものよ……」
……あれ? これは多分俺の事を言っているんだよな? だが祖父から与えられた玩具というのは……?
そうか! りーちは最初の攻勢の時から草の間に伏せていた、相手からは彼の姿は見えていないんだ!
それで俺をりーちと勘違いしているんだろう。
となれば、この状況を打ち破る鍵はりーちにあるかも知れない。
「だが。だがしかし、貴様らは既に我が術中! 風下に立ったがうぬ等の運の尽きよ!」
しかし俺がその考えをりーちに伝えるよりも早く、そんな言葉が飛んできた、思わずりーちを除く俺達三人は風上に顔を向ける。
おおよそ一町程の距離の所に、柿渋色の忍者装束を纏った男が立っていた。
「おのれ! 先程から怪しげな真似ばかりしおって!」
「正々堂々と戦う気概は御座らぬのか!」
その姿を認めそう叫びを上げつつも海底殿は前に出ようとはせず、河底殿は間髪入れずに矢を放つ。
矢は狙いを逸れる事無く男に届いた、しかし身体に刺さる事は無かった、突き刺さるよりも早く飛んできた矢を男が掴み取ったのだ。
「侍ならばいざ知らず、乱破透破が堂々たる戦などする訳が無かろうて。さてそろそろ我が術の効き目が出てくる頃だ。苦しまぬよう楽にしてやるから安心して眠るが良い……永遠にな」
男はそう言うが何をする様子も無くただのハッタリだろうと思った。
だが次の瞬間だった、海底殿と河底殿が不意に身体を大きく揺らし始め、崩れ落ちる様に倒れ伏したのだ。
その口からはいびきすら漏れて居り、この状況下で明らかに眠って居たのである。
「な!? 二人ともしっかりして下さい!」
慌ててそう呼び掛けるが、聞こえて居ないのか二人は大きないびきを立てて完全に寝入ってしまっている。
「無駄よ無駄、これぞ忍法春香の術。貴様らが打ち倒した我が分身に練り込んだ眠り薬が漂い落ちて来たのを十二分に吸い込んでしまったのよ。身の丈の違いからお前にはまだ効いては居らぬ様だが……そろそろだの」
慌てて口と鼻を抑えるが、一瞬遅く甘い香りが鼻孔に広がると、その言葉は随分と遠い所から聞こえて来た様な感覚に陥り、視界が大きく揺れそして完全に闇に包まれる。
意識が落ち切る直前、遥か彼方から何かが弾け飛ぶ音が聞こえた気がした。




