百五十九 志七郎、借りを作り、狩りに同行する事。
初陣といえば子鬼の森、と最初は安易に考えていたのだが、彼処は見通しが悪く俺達以外にも鯉のぼり連中が多数初陣に出ている。
そんな場所ではりーちの得物で有るライフル銃の特性を活かす事は出来ないだろうし、まかり間違って子鬼だと思って撃ったのが他の子供だったりすれば目も当てられない。
だからと言って、四煌戌の訓練のために行っていた狩場の森では鬼や妖怪と遭遇する事も殆ど無く、初陣と言う目的にはそぐわない。
となれば何処か違う場所を探す必要が有るのだが、残念ながら俺は江戸州全ての戦場を把握している訳では無い。
であれば餅は餅屋と言う事でりーちが手形の登録をしている間に、鬼斬りに付いて詳しく尚且つ面識が有り、場合によっては便宜を図ってくれそうな人物の所へと足を向けた。
「……という訳で、何処か視界が開けていて、初陣に適した戦場は無いでしょうかね?」
「ふむ……、心当たりは幾つがござる。そうですな……」
その人物とは、義二郎兄上の朋友でこの鬼斬奉行所に勤める、ヅラのハゲ丸こと桂髭丸殿だ。
無論前者に付いては口に出して言ったりはしない、彼のキラリと輝く頭は飽く迄も剃っているだけで禿げでは無いと言うのが彼の主張なのだ。
義二郎兄上は半ば親しみと誂い半々でそう呼ぶが、そこらの鬼斬り者が彼を禿げ呼ばわりしてガチで刃傷沙汰に成った事も一度では済まないと言うのは、此処に出入りする様になって然程経たぬ内に知った事実である。
そんな事をして問題に成らないのかと思ったのだが、禿げ呼ばわりは武士の……と言うか男の名誉に関わる問題で、無礼討ちの理由には十分なのだと言うのだから、笑えない話である。
とはいえ禁句さえ口にしなければ、彼は生真面目で義理人情に厚く機転と融通も効く、更には義二郎兄上と同格の武勇を持つ、一種の完璧超人なのだ。
相談するには持って来いの人物であると言えよう。
「兎鬼ヶ原辺りならば弓や銃で先手を取る限りは危険も少なく、程よい初陣になるのではござらぬかな?」
事実彼は然程悩む様子も見せる事無く、注文通りの戦場を答えてくれた。
「その場所へは俺は行った事無いので、連れて行って貰えないですか?」
他の役人にこんな事を言えば、笑われるか怒られるかだろう、鬼斬奉行所としては初めての戦場へは自力到達を奨励しているのだ。
それを解っては居るが、城門前広場に面したこの鬼斬奉行所から、郊外の戦場まで徒歩で行くとなるとかなりの時間がかかり、現場の要石に到着した時点で日が暮れる頃に成っているだろう。
そんな俺の考えや状況は桂殿も解っている事で、彼は一寸片眉を上げて見せながら、
「毎度の事となれば困りまするが、此度だけと約束頂けるならば構いませぬ。但し無料では引き受けられぬ、これは鬼二郎との交友とは別の、鬼斬童子殿に対する貸し一つとさせて頂くがよろしいか?」
と意味有りげに笑いそう口にした。
相手がそこらの木端役人ならば、貸しの取立てと称して無理難題を押し連れられる事もあろうが、相手はあの義二郎兄上が親友と頼む人物である、決して悪い事には成るまい。
そう判断し、俺は静かに首を縦に振った。
「ああ、そうそう。鬼二郎が帰ったら伝えて欲しい、貴様に大枚賭けたのに何負けてやがんだ! と……」
……一寸早まったかも知れない。
地に身を伏せ、息を殺しその時を待つ。
既に獲物に目星は付いている、後は此方に気が付かれる前に彼が引き金を引くだけだ。
乾いた破裂音が響き渡ると一瞬遅れて、氣で強化された視界の先に居た獲物の頭が朱に染まった。
「命中確認、四煌、取って来い」
そのまま倒れ動かなく成ったのを確認し命令を下す、すると四煌戌は声を上げることも無く静かに駈け出した。
戦場や狩場では無駄吠えを禁じる様に躾けてある、それは他の獲物に気取られたり警戒されたりするのを避ける為なのだが……
「流石は利市様! お見事にございます!」
「いや、実に天晴な狙撃ぶり! 如何な兎鬼と言えども近づかれ無ければ、恐るるに足らぬ物で御座いますなぁ!」
と相変わらず付き添いの二人が大きな声を上げるのであまり意味が無い。
今日の獲物である兎鬼はその名の通り、直立した兎と言うような風体で、その大きな耳が特徴的な鬼である。
江戸州鬼録と言う本に拠れば、その見た目通り大きな耳で些細な音にも敏感で、警戒範囲が広いので不意を突く事の難しい相手なのだが、今日の俺達は更にその範囲よりも遠くから狙撃する事で一方的に狩って居る状況だ。
しかし鬼とはいえどもたかが兎と侮るなかれ、彼等の持つ小刀は生え変わりで抜けた前歯なのだそうだが、その鋭さは尋常では無く下手な鎧などあっさりと切り裂き、更には前歯で首に食らい付き、食い千切る、別名『首刎ね兎』と恐れられる鬼達である。
けれどもその危険度は、不意を突かれ先制攻撃を受ける様な事さえ無ければ然程高い物では無い。
弓なり銃の様な飛び道具、それがなくとも槍や薙刀の様な長物であれば、間合いの差から十分に完封出来る相手ではある。
また彼等は警戒心は強くとも頭は弱いので、二人が声を上げる事で此方の存在を知れば、身を隠し不意打ちを狙う様な事をせず、安全圏に逃げる事を優先するので次の獲物を探す時に騒がなければ問題ないとも言える。
流石にその辺は彼等も心得て居るようで、そろそろ昼飯にしようかと思う頃にはもう4匹を仕留めていた。
「しかし、りーちの腕前はかなりの物だな。今の所一発も外して無いじゃないか」
動かない標的をただ狙って撃つならば兎も角、相手は此方に気づいて居ないまでも動いている、それも規則的な動きでは無く、気紛れで不規則な動きだ。
次の動きを予測したり、ふと立ち止まった瞬間を狙って撃って居るのだろうが、それでも五町も先の獲物の頭を一度も外さず撃ちぬいて居るのだから、その腕前は相当な物と言えるだろう。
「しかりしかり!」
「流石は殿の御子にございます!」
海底殿、河底殿の両名も俺の言葉に乗っかって絶賛の言葉を口にする、それは決しておべっかの類では無く、心底そう思って言っているのは、短い時間ながらも彼等を見ていて理解できた。
良くも悪くも彼等は武に偏った者らしく、腹芸の様な事をこなせる質の人間では無い事は明白だった。
「まぁ手前の腕も多少は有ると思うけど、御祖父様がわざわざ特注して下さった最新式の狙撃銃が素晴らしい物だからだよ」
聞けば、初祝で彼に技神の加護が有り、それによって与えられた狙撃の技能がある事が解ってすぐ、彼の祖父門前屋一発は商いの伝手を頼り、決して少なく無い金額を使い彼のための銃を作らせたのだと言う。
銃の本場北大陸の山人達は地底での戦闘で銃を使う、その為北大陸には射程が長い銃というのは殆ど無く、狙撃銃と呼べる程射程の長い銃は火元国で独自に進化した結果の産物……らしい。
「さて、四煌戌が獲物を回収してきたら昼飯にするか、そろそろ良い時間帯だ」
日の光がそろそろ真上に差し掛かっているのを指差してそう提案する。
その時だった。
ぞわりと背筋を逆撫でする様な殺気を感じ、咄嗟に刀を抜いてりーちを庇う様に位置取りする。
直後、金属がぶつかり合う甲高い音が響き渡った。
殺気を感じ取ったのは俺だけでは無かったようで、りーちを除く二人もまた即座に獲物を振りぬき、飛来した何かを叩き落としていたのだ。
「うぬれ! 何奴!」
「姿も見せずに手裏剣とは卑怯なり! 姿を現せ!」
……うん、不意打ちなんて仕掛けてくる様な輩が正々堂々としている訳が無いじゃないか。




