百五十八 志七郎、陰謀を知り辟易する事
「残念ながら拙者も色々と忙しい身、色々とお見せして差し上げたいのですが、もう行かねば成りませぬ。連中が来るまで今しばらくお二人でお過ごし下され」
と口ではそう言ったが、浦殿は意味有りげに表情を歪め――獣面なので今一つはっきり解らないがおそらくは笑顔なのだろう――再び木の葉を取り出すとそれを今度は己の頭に乗せヒョイッと蜻蛉を切る。
ボムンっと大きな音を立て先程とは比べ物に成らない大量の煙が上がったかと思えば、その場に浦殿の姿は既に無く、一羽の大鷹が飛び立って行った。
「すんげぇ……」
そう呟いたのは俺では無く、横に立っていたりーちが漏らした物だ。
「もしかして、りーちも変化術を見たのは初めてなのか?」
自分のところの家臣が使う術を見ただけなのに、驚きの表情を隠せない様子を見てそう問いかける。
「さっきの小鳥を飛ばす術は見たこと有るけど、自分が化けて飛んで行くなんてのは初めてだよ!」
聞けば我が猪山藩よりも概ね十倍の規模を誇る浅雀藩だと言うのに、家中に人間の術者は一人も居らず、唯一浦殿だけが変化術を使う事が出来るのだが、よほどの事が無ければ術を使ったりする事は無いのだそうだ。
今回わざわざ鳥に化けてこの場を去ったのも、家中の者が俺に迷惑を掛けた詫びと言う意味も有るだろうが、恐らくはそれ以上に武士は市中を走っては成らないと言う法を破らず可能な限り早く帰る為だろう。
彼が数刻でも居ないだけで、長兄派と次兄派の家臣同士が刃傷沙汰を起こしてもおかしくない程に野火家家中は荒れているのだと、りーちは口にした。
「それが解っているなら、彼に苦労掛けるような事をしたらダメじゃないか……」
ついつい子供を叱る様な口振りでそう言ってしまう。
「わかっちゃいるけどね……、手前だって銅鑼に迷惑を掛けるつもりは無かったよ……」
本来付き添いに来るはずだった者達を多少驚かせる程度つもりで、彼等が此処に探しに来る事も無く浦殿に泣き付いたのは完全に予想外の事だったのだそうだ。
俺から見れば、自分達の失態を隠し立てせずに早急な報告、連絡、相談が出来ると言うのは部下に持つには有り難い資質だと思えるのだが、未だ幼いりーちには『自分では何も出来ない半端者』と映っている様だ。
まぁ、家の中が荒れていれば色々と嫌な事も有るだろうが、それは周りに迷惑を掛ける免罪符には成らない。
だが俺がそれを指摘するまでも無く、彼自身がその事をよく理解しているようなので、それ以上責めるのは止めにした。
「手前は武士に、侍になんて成りたく無いんだ……。手前は商人に成って御祖父様の見世を継ぎたいんだ……」
俺が何も言わずに居ると、りーちは唐突にそう口にした。
沈黙に耐え切れず適当な話題を口にしたと言う感じでも無かったので、彼が此方を見ているのを確認し、小さく頷き続きを促す。
その話に拠れば、彼の母は一人娘で彼女が婿を取る事で実家である門前屋は次代に存続されるはずだった、実際一度は彼の父が婿養子と成り跡継ぎとしての勉強を初めて居たのだ。
だが前藩主が早逝し現藩主が就任する事に成った事で、そのハシゴが外された。
となれば当然ながら、改めて婿を取る事を考えるべき筈だったのだが、娘の元に通って来る藩主を追い返す訳にも行かず、ズルズルと関係を重ね、結果りーちが生まれる事に成った。
生まれたのが女児ならば、無理に江戸へと連れて来られる事も無く、その子は門前屋のお嬢さんとして養育された可能性も有る。
だが男児で有る以上は江戸屋敷で養育されるのが幕府の定めた法、それに従った結果現在門前屋は跡継ぎ不在なのである。
「……それだけなら、しょうが無い、運が無かったと諦める事も出来たかもしれないけれども、手前は見てしまったんだ。家老の蓮宝と御用商人の福露屋が門前屋を潰した後の儲けに付いて話しているのを」
おいおい、なんだか随分ときな臭い話に成って来たぞ……。
当然の事ながらも彼は父母にその話をしたのだが、子供の言う事と聞き入れて貰えなかったらしい。
「福露屋は阿漕な手管で銭を稼ぎ、泣かされた領民は決して少なく無い、とは浅雀藩ならば子供の手前でも知っている話。御祖父様は正道でそれに対抗しているのでまだマシだけど、門前屋が潰れるとそうも行かなくなる……」
悪徳商人と癒着した国家老と、その悪徳商人に取って目の上のたんこぶとでも言うべき邪魔なライバル企業……うん、色々と厄介な話を聞いたかも知れない……。
「その為にも手前は、侍では無く商人に成りたいんだ!」
拳を握りしめそう声高に宣言するりーち、事の是非は兎も角としてその思いの根底は彼の生真面目で心優しい気質が有るように思えた。
その言葉に対して俺が口を開きかけた時である、
「利市様! ご無事で! ご無事で何よりで御座る!」
「利市様の身に何か有れば! 拙者は! 拙者はぁ!!」
と此方を見て叫び声を上げながら二人の侍が、鬼斬奉行所の門を潜り駆け寄ってきた。
まだ若い、恐らくは元服したばかりの十五、六歳位の二人は、共に揃いの鎧に身を包み一人は槍、もう一人は弓を背負っている。
そんな彼等は俺達のもとへとやって来くると、恥も外聞もないと言った有様で泣き崩れ、良かった良かった、と繰り返していた。
それにしても大きな声である、一歩引いた場所に居る俺でも耳が痛く成りそうなのだから、直ぐ側に居るりーちは尚更だろう。
銃声に慣れたとはいえ四煌戌達に取っても彼等の声は、耳障りらしくついさっきまで休んでいた位置よりも、いつの間にやら遠くへと移動してた。
「勝手な事をして、ごめんなさい。手前はなんとも無いから、いい加減に泣き止んでよ……」
引きつった顔でそう言うりーち、喧しいと言う事も有るだろうが、それ以上に大の大人がおんおんと泣き喚く様が周りの視線を集めいている事に気が付き、恥ずかしく感じているのだろう。
だが、コレについては自業自得である。
俺は同じ一団に見られるのを避ける為、四煌戌が居る場所まで静かに移動した。
「初めまして鬼斬童子殿、某は浅雀藩士海底月之助と申す!」
「同じく浅雀藩士で河底魚丸で御座る。恥ずかしい姿をお見せ致しまして、誠に申し訳御座らぬ!」
それからしばらくして、やっと泣き止んだ二人が自己紹介してくれた。
槍を背負った方が海底月之助、弓を背負ったのが河底魚丸、どちらも随分と泣いた所為か目元が腫れぼったいが精悍な顔立ちをしており、りーちが事前に口にしていた様な無能の類には見えない。
しかし、本当に大きな声である……先程までは感情の昂ぶりで声が大きく成っているのかと思ったのだが、どうやら小奴ら地声がデカイらしい。
「猪山藩主猪河四十郎が七子、猪河志七郎です。今日はよろしくお願い致します」
そうは思っても口には出さないのが大人の対応、俺はそう静かに言って軽く頭を下げた。
「いやいや此方こそよろしくお願い致します!」
「拙者等はこの度が初めての参勤故、江戸周りの戦場には不案内で御座る、鬼斬童子殿にご一緒頂ければ千人力! いざ、いざ、参りましょうぞ!」
声も大きければ、アクションも無駄に大きい……、りーちが彼等を巻いたのは『五月蝿かったから』と言っていた文字通りの理由だったのではなかろうか?
そう思ってりーちに視線を向けると、俺の考えを肯定するかのように、彼は妙にアメリカナイズされた動きで肩を竦めて、溜息を付いて見せたのだった。




