十四 志七郎、世界の広さを知る事
「ふぃぃぃぃ、だいたい終わったの―。思ったより被害は少なそうなの―。これなら貯金で十分復旧できそうなの―」
黒煙の出元である石窯のような物(錬玉釜というらしい)に何やら薬品を注ぎ処理したら、あとの掃除自体はさほど手間のかかるものではなく、作業は昼食を待つこと無く終わらせることが出来た。
どうやら被害があった部屋は、このような事態を想定しているのか壊れた物などはあまり無く、棚や机に乗せられていたと思われるものも土間に散乱しているだけだった。
それらを智香子姉上の指示に従い拾い集めていたのだが、乳鉢や天秤ばかりなど何処の文化圏に有ってもおかしくないものに混ざり、西洋アンティーク風の銀食器や金細工の片眼鏡など、明らかに別の文化圏から持ち込まれたとしか思えないものがチラホラと混ざっている。
ただ、時代劇などでよく目にする西洋文化の象徴とも言える地球儀や時計がなかったのはなぜだろうか?
「の? ののののの? どしたの、志七郎君? なにか気になるものでも有ったの?」
どうやらこの身体は思った事が表情に出やすいのか、そう問いかけてきた。
「いえ、姉上の服装や部屋にある物がこの世界ではあまり見たことのない、別の文化圏の物に見えたので、少々珍しいなぁ……と」
まぁ、今はまだ家族に隠すことも無いので、素直にそう答える。
「ののののの! 志七郎君は鋭いの! 西洋の服は動きやすいし涼しいし色々と便利なの、でもおかーさまやおとーさまには、はしたない格好だって怒られるの」
確かに布地が多く体の線が出づらく踝近くまで丈のある和装しか知らない人には、胸の膨らみや腰のくびれがわかり丈も短い彼女の服装は破廉恥なものと映るかも知れない。
「調合の道具なんかも、ヒノクニで作られたものより西洋の技術で作られた輸入品の方が質もお値段も良い感じなのー」
ヒノクニ? 肥の国か? 輸入品? この世界では鎖国政策は取られていないのか?
「輸入品ですか? 姉上は外国の物を買っているのですか?」
「なの。霊薬の技術はこの国にも昔から有るけど、より発展した錬玉術は西洋が本場なのー。あっしも師匠がヒノクニに来なければここまで優れた錬成師になれなかったのー」
……どうもこの姉上は話し好きなのか、人の話を聞いていないのか、質問をするとどこかズレた回答がポンポンと飛んでくる。
それでも根気よく質問を繰り返すことで、色々と俺の知らない事を教えてくれた。
纏めると、この国の正式な名前は火元国で、諸外国では火竜列島と呼ばれている事、世界的には東の端の辺境である事、姉上は前世で言うところの錬金術を研究する学者の弟子で、師匠はまだ見ぬ素材を求めて西洋と呼ばれる地域から旅をしてき、姉上に技術を仕込んだ後はまた旅立っていった事等がわかった。
「……そして、これが世界地図なのー。こうしてみると暮らしている人間にとっては広い火の国が、世界的にはちっちゃな島国だってことがよく分かるの―」
そういって姉上が見せてくれた地図は、東西南北それぞれの方向に1つずつ、計4つの大陸と、世界の中心に一本の木が描かれた、不思議な物だった。
「これが、世界ですか? これが……」
正直、色々な物が俺の知っている江戸時代とあまりにも似ているものだがら、世界のあり方もまたよく似たものだろうと、思い込んでいる部分があった。
だが、姉上に見せられたのは、前世とは似ても似つかぬ別世界であることを如実に語っていた。
「そーなのよー。この真ん中に有るのが世界樹で、この右の端っこにある小さいのが火竜列島なのー」
東の大陸のすぐ右側、地図の右端に描かれた列島も日本列島とは違う形をしているように見える。
4つの大きな島と無数の小さな島々の日本列島とは違い、火竜列島は2つの大きな島と無数の小さな島々で構成されている。
その他にも地図には、各大陸の大きな都市と思われる物が記入されているが、南の大陸にはかなりの数、北の大陸にはそれなりの数の印が記されている、どうやら南北の大陸も不毛の極地というわけでは無く人が住んでいるらしい。
「この地図が正しければ、西の大陸……西洋というのは随分と近いように思えるんですが……?」
地図上ではこの国から東の海はさほど広くなく、東へ行けば地球よりも遥かに簡単に西の大陸へとたどり着けるように見える。
「の? この国の東はそんなに距離もなく世界の果てなの。東に行っても西洋には辿りつけいないの」
世界の果てって……、天動説の世界かよ。まぁ外国に付いてある程度知識のある彼女でも知らないのならば、突っ込んでもしかたがないだろう。
「まぁ、外ばかり見てもしょうが無いの―。この国にはこの国のまだ見ぬ素材が沢山あるの―。それにこの国特有の技術や文化だって色々あるし、そういうのを取り込んで錬玉術をどんどん進化させるの―」
えいえいおー! と腕を振り上げそう朗らかに笑う姉上はこの上なく楽しそうに見えた。
その後姉上の着替えを待って、俺達は昼食を取るため母屋へと向かうことにした。
いつもならば、姉上は自室に備蓄した食料で食事を済ませるそうなのだが、その料理にも錬玉釜を使っているらしく、釜を再建するまでは母屋で食事をすることになるそうだ。
「母屋のご飯のほうが美味しんだけど、錬玉術は作業を途中で止めれないことが多いから、どうしても食事に時間を取れないことが多いの―」
と言う事らしい。
母屋に着くと丁度昼食が出来上がった所だったらしく、すぐに広間で御膳を前にすることが出来た。
昼食はお勤めに出ている家臣も多く、家族も皆それぞれの予定が有るようで全員揃うことは殆ど無い。
その所為もあってか昼食は簡単な感じの献立であることが多いが、今日のは牛丼、味噌汁、筍とこんにゃくの煮物、ほうれん草の胡麻和え、以上4品と中々に豪勢だ。
丼ものは明治以降の発明で、それ以前は飯に他の物を乗せるのは下品だと考えられていた、と言うのが前世の世界だがこの世界では肉食が当たり前であるように丼ものも普通に食べられているようだ。
どうやら、昼食を同席して食べるのは母上と智香子姉上だけらしい。
「ちーちゃん。随分とお久しぶりな気がするけど、ちゃんとご飯は食べてるのかしら?」
「だいじょうぶなのー、最近は面倒で手間の掛かる調合が増えてるからどうしても手が離せないけど、ちゃんと食べてるの―」
「それなら良いですけど。貴女もそろそろ縁談の一つもあっておかしくない年頃ですからね。錬玉術は確かに優れた技術ですけれども、武家の婦女子としての嗜みと慎みもしっかりと身につけないとダメですよ」
「はーい、なの」
言い聞かせるような母上の言葉に、姉上は殆どなげやりといった感じの返事を返した。
「で、しーちゃん。ちーちゃんのお仕事についてはわかったかしら?」
そんな姉上の様子に軽くため息をつきながら、今度は俺に話をふる。
「そういえば、この世界の地理についての話ばかりで、姉上の行う錬玉術とやらについては、詳しく聞いていませんね」
「錬玉術は最近江戸に入ってきたばかりの新しい技術です。何をするにせよ今後はこの技術が様々な影響を江戸だけでなく火の国全てに与えることでしょう。しーちゃんも概要程度は学んでおくべきですね。ちーちゃん、午後からもしーちゃんを頼みますよ」
「わかったのー、午後からは壊れた物や汚れてダメになった物なんかを買いに行くつもりだったの―。志七郎君も連れて行くの―」
相変わらず、俺の予定については俺には決定権が無いらしい。