百五十七 志七郎、同類? と出会い、愛称を交換する事
利発そうな面立ちをした野火利市と名乗った少年は、俺よりも頭一つ程大きく、シンプルでは有るが仕立ての良い袴、江戸ではあまり見ることの無い恐らくは革製と思われる西洋風の胴鎧、背中にはライフルの類に見える銃を背負っていた。
腰に挿した小脇差も含めて、どれもが流石は大大名の子弟が纏う物、決して華美な物ではないのだが、それでも随分と高級品に見える。
だが、それら以上の問題が一つ有った。
「野火殿、」
その疑問を問いただすためそう呼びかける、
「あ、手前の事はりーちと呼び捨ててください。年の頃も然程変わらず、互いに今は大名の子、改まる必要は無いでしょう」
と、呼び名を訂正された、その事でまた疑問が一つ増えた訳だが……
「りーちですか? 先程は利市と名乗った筈では?」
そう問いかけると、彼は子供が見せるような物では無い感情の篭もらない笑みを浮かべ、
「まぁ、愛称の様な物です」
そう返答を返してきた、事前に母上から聞いていた通り色々と複雑な事情の有る家なのだ、聞かない方が良い事も有るだろう、そう思えたので彼の言う通り呼ぶ事にしよう。
だが愛称と言う事ならば此方もそれに相応しい呼び名を相手に許すべきだろうか?
父上や兄上には志七郎と呼ばれているし、母上や姉上が呼ぶ『しーちゃん』と言うのは、年齢的に考えれば然程不自然とは言えないが、俺の中身的には同年代の同性に呼ばれるのは勘弁して欲しい。
ほんの一瞬考えた後、
「ではそう呼ばせてもらおう、俺の事も七と呼び捨てくれ」
熊さん八っつぁんでは無いが、俺の名前の中で切り出して呼びやすいと思えるのは、そこだろう、と考えそう呼ばせる事に決めた。
「はい、これからよろしく」
呼び方に付いての事はコレで良いとして、話を本題に戻そう。
「で、だ。何故、君は一人で此処に来たんだ、付き添いの方はどうした?」
そう、彼は一人の同行者も連れずたった一人でこの場にやって来たのである、何人かの家臣一緒に来ると聞いていたのにそれが居ない事を疑問に思ったのだ。
「ああ、五月蝿いので撒いてきました。手前が怖気づいて逃げ出したとでも思って、今頃はその辺を探し回ってるでしょう」
と悪びれる様子も無く、そう言い放つ。
「……大丈夫なのか? 初陣の付き添いに選ばれるって事は、君の味方なんだろう?」
その言葉に色々と思う所はあるけれども先ずは話を聞いてみよう、と考えそう問いかけると、
「手前は侍として身を立てる心算など毛頭無いからね、彼等を味方なんて思った事ぁ一度も無いよ」
やれやれ何も解って無い、そう言わんばかりに肩を竦め頭を振りながら、そんな答えが帰ってきた。
彼の言葉に拠ると、現在の野火家では母上の話通り誰を跡継ぎとするかで、派閥が出来ているが、その内訳に色々と問題があるらしい。
忠義に厚い者達を中心に長男が後を継ぐべきと考える一派、国家老を中心に次男が藩主と成ることで利益を得たい一派、その双方に与する事が出来ず利市を擁立する事で一発逆転を狙っている一派、と長男派以外はほぼ私欲優先の派閥なのだそうだ。
しかも質の悪い事に、利市派の者達と言うのはその大半が主家の御子息とは言え所詮は商人如きの卑しい母の私生児で、藩主に成ったとしても言い包めればどうとでも動かせる……と侮りを隠そうともしない無能揃いなのだと言う。
「母上も箱入りのお嬢様でそう言うのに全然気付く事も無く、連中に煽て上げられて調子に乗ってますし、全く以て馬鹿ばっかりですよ我が藩は……」
俺が言うのもアレではあるが、そう言う彼の物言いははっきり言って子供のそれでは無かった。
……もしかしてこの子も転生者なのだろうか。
と一瞬思いもしたが、前世でも幼い頃から色々な苦労を経験した所為か親に似ず幼いながらに賢しく、物分りの良い子供は何度か見た事が有る。
警察学校同期の友人には少年課に配属された奴も居り、そこから聞いた話では小学校に上がるか上がらないかと言った年齢でも、馬鹿な親に育てられたにも関わらず、道理常識を弁えている子供の事を何度か聞いた覚えも有った。
それに彼の事情は理解できたが、流石に俺達二人だけで初陣と言う訳にも行かない。
下手をすれば浅雀藩の面子を潰したと言う事で、家同士の揉め事にも成り兼ねない、そんな事にも思いが至らないのだから全てのことを完全に理解している訳では無いのだろう。
そう考えると確かに大人びた事を口にしては居るものの、行動その物は子供のそれに過ぎない様に思えた。
……さて、問題は今のこの状況をどうするべきか。
「利市様! やはり先に来ていましたか……。ご無事で何よりですが……幾ら愚か者でも、あの連中にも家族が居るのですから、こういう事はお止めくだされ……」
と、そんな叫び声が奉行所の前庭に響き渡った。
声の主を探してみれば、門の外から駆け寄ってくるタヌキ……浦殿の姿が有った。
その姿を見て、バツが悪そうに顔を顰めるりーちは、文字通り悪戯が見つかった子供の様で、流石に歳相応に見える。
「……まだ約束の時間でも無いのに浦さんが来たって事は、あの連中探しもせずに泣き付いたの? 本当に良く武士を名乗ってられるねぇ……、ああいうのが居るのは領民に取って不幸な事だよね? それに手前みたいな子供に撒かれるなんて下の下でしょ」
悪い事をしたという自覚は有るようだが、それを責任転嫁するその姿を見ると、子供が誰彼構わず我儘を言っている、と言うよりは信頼し心を開いた人に甘えている、そんな風に思えた。
浦殿は派閥としては長男派と目されては居るものの、飽く迄もその理由は主君に対する忠義故……と言う事でりーちに対しても決して粗雑な扱いをしていないのだろう。
「お言葉の通り、子供に撒かれる等侍としてあるまじき事でござる。ですが連中、利市様が何者かに拐かされた、と肝を潰した様子で駆け込んで参ったのです。拙者も殿も本気で心配したのですから、どうかこの様な真似は謹んで下さいませ」
言葉通り、心底ホッとした様子でそう諌める言葉を浦殿が口にすると、そこまで言われて流石に気が咎めたのだろう、
「はい、ごめんなさい……」
と素直に謝罪の言葉を返した。
その様子を見て一つため息を付くと、浦殿は懐から一枚の木の葉を取り出した。
「利市様を見つけました。やはり鬼斬奉行所へ一人で来て居りました、予定通り馬鹿共を此方へ寄越して下さい」
木の葉など一体何に使うのかと思えば、彼が手にした木の葉にそう話しかけると、ポンッと軽快な音と煙を上げ、木の葉が雀に化けて飛び立って行く。
「殿に報告を飛ばしましたので、直ぐにあの連中も来るでしょう。頭の出来はアレな連中では御座るが、最低限の腕っ節と忠義は持っている者達を選出したのですから、彼等をとは申しませぬ、彼等を選んだ拙者を信頼してくだされ」
「はい……」
そんな二人の遣り取り他所に俺は初めて見る不思議な術に驚きを隠せなかった。
いや話には聞いた事はある、妖怪の中にはその種独自の術を使う者が居ると、浦殿が使ったのはその類、所謂化け狸の変化術と言われる物なのだろう。
屍繰り討伐戦の際に会った狸狢連合の方々は手にした得物こそ変化術で生み出した物だったらしいが、今の浦殿の様に如何にもと言った術は使っていなかった。
「という訳で、付き添いの者が来るまで今しばらくお待ち頂くのですが……変化術に興味がお有りで?」
精霊魔法とも、陰陽術や錬玉術等の人間の使う術や、神仙術とも違う目の前で起こったファンタジーな光景に久々に胸躍り、思いが顔にでるのを隠せなかった様だ。




