百五十六 志七郎、決断し出会う事
母上の言葉を素直に受け取るならば、俺が行かなければ不幸な事故とやらが起こりかね無いと言う事ではなかろうか?
考えてみれば、若くして江戸でも最強クラスと言われている義二郎兄上と一緒に行った俺の初陣でさえ、一歩間違えれば命を落としていてもおかしく無い状況だった。
『子鬼の森』での大鬼との遭遇は流石にレアケースではあるが、普通の子鬼相手だって七つの子供では絶対無傷で倒せるとは限らない、武家のそれも大名の子供であれば氣を扱う事は出来るだろうがそれでも危険が無いとは言い切れない。
ましてや付き添いの者に悪意が有れば、自らの手を汚す事無く初陣の子供一人を鬼や妖怪の餌食にする事など造作も無い事だろう。
俺自身は経験は無いがMMORPGを題材にしたネット小説ではMPKなんて行為がちょくちょく描写されていた。
流石にゲームのそれ程お手軽、簡単に出来る事では無いだろうが、それに近い事はこの世界でも起こり得るとは思える。
だが俺が参加すれば意図的なそれは避けられるのでは無いか、と母上は言う。
万が一俺が命を落とす様な事が有れば、藩と藩の付き合いに亀裂が入る事体にも成り兼ねないし、最悪弔合戦の名目で合戦と言う事も起こり得る。
そう思わせる事が出来れば先方も下手な手は打てない、と言う事らしい。
「ですが大藩である浅雀藩のそれも藩主の意向すら無視する様な連中が、小藩である猪山藩との揉め事を恐れる様な事があるのでしょうか?」
母上の言は希望的観測に依るものであり、最悪を想定するならば俺が居ても平気で危険な手を打ってくるかも知れない。
もしくは俺の初陣の時の様に本当に不幸な偶然が起こった場合にも、そんな騒動を起こるならば俺が参加する方が事体が悪化する様に思える。
「藩の規模はこの場合あんまり関係ないわ。猪山藩を相手にする場合本当に怖いのは一郎が出張る事だもの。義ちゃんと伏虎も居るし、今の猪山藩と事を構えようなんてのはよほどのうつけ者ね」
あー、うん……『あの一郎』とか『一郎だからしょうがない』なんて呼ばれる彼の二つ名の中には『一人軍隊』なんてのも有ったはずだ。
その弟子であり『鬼二郎』の二つ名を持つ義二郎兄上と、その兄上を打ち倒した『砦落とし』の伏虎、その三人の武名だけでも抑止力としては十分過ぎる程で、更に他の家臣達もが参戦すれば大藩でも只では済まないだろう事は、容易に想像できる。
そんな思惑を含めて、浦殿は俺に依頼を持ってきたのだろうと言うのが母上の予想である。
「だからと言って、油断してはダメよ? 物事の道理を弁えない愚か者と言うのは何処にでも居るし、本当の馬鹿っていうのは予想の斜め上を行く物だから……」
うん、それも前世に嫌というほど経験している。
常識では考えられないような飛んでもない犯罪を犯す馬鹿と言うのが、世界的に見ても治安の良い前世の日本でも一定数は居たのだ、後先考え無い輩は居ないと思うほうがどうかしている。
俺が行かなくても事が起きる可能性が少ないと言うのであれば、浦殿も身内の恥を外へ晒すリスクを冒す筈も無い。
となれば……
「よし、決めました。浦殿からの依頼、受けようと思います」
多少の危険は有るだろうがそれは普段の鬼切りだって同じ事、俺が気を付ける事で一人の命が助かるならば、躊躇う理由は無い。
「それじゃぁ、先方にはそう返事するよう笹葉に言わないとね。事の詳細は兎も角、智ちゃんにも霊薬と術具の用意をしてもらう様に頼んでおきなさいね」
「はい、解りました」
母上の言葉に俺は準備に付いて考えを巡らせ始めた、幾つかの術具は予備を用意してもらうのが良いだろう、先方に渡す事で最悪を避けられるかも知れない。
笹葉に返事とスケジュールの確認を、姉上や望奴に霊薬と術具の準備をお願いし一週間。
さしたる問題も起こる事は無く依頼当日となり、鎧甲冑に身を包みそろそろ通い慣れたと行っても良い道を歩き一人と一匹(三匹?)で鬼斬奉行所へとやって来た。
浅雀藩子弟の初陣に俺が付き添うと言う依頼を受けたとなれば先方の体面に傷が付くので、建前上はソロで鬼斬りに出ようとしていた俺が同年代の子供が居たので一緒に出陣した、と言う形を作る為である。
普段ならばさっさと遠駆要石が有る受付へと行くのだが、今日は野火家の人達と合流しなければ成らないので、前庭がよく見える場所に腰を下ろす。
つい先程辰の刻を告げる鐘が聞こえたばかりなので、約束の時間よりも少しだけ早く付いた筈だ。
置き時計や掛け時計の様な大型の時計であれば多少裕福な程度の家にも有るのだが、江戸に住む大多数の者は幕府が鳴らす鐘の音で時間を知る事になる。
残念ながら腕時計や懐中時計の様な持ち歩けるサイズの時計は超希少品で、上様本人や上様から下賜された一部の大名が持っているだけである。
そんな訳で出先で正確な時間を知る事が難しいこの世界での待ち合わせは、鐘が鳴る時間帯を指定するのが一般的だ。
今日の待ち合わせは辰の四つなので、もうしばらくは此処で人間観察でもしていよう。
「四煌戌、伏せ、休め」
「くぅん」
「わん」
「ぉん」
そう考え命令を下すと、3つの首が思い思いに返事の声を上げてその場に蹲る。
その背を撫でながら周りを見回せば、背中に鯉のぼりを背負った子供達の集団が目に入った。
俺が兄上に連れられて初陣に出た時にも居たが、アレは町人の子弟が初陣に出る際に身に着けるいわば若葉マークの様な物である。
と言う事はあの子供達もこれから初陣と言う事なのだろう、見た所皆十歳前後といった所だろうか?
少なくとも五つ、六つと言った幼児としか言いようの無い程幼い子は居ない様に見える。
……もしかしたら利市君も加護持ちなのかも知れない。
あの子供達を見ていてそう思えた、考えれてみれば数えで七歳ならば未だ小学生にも成っていない歳頃である、幾ら幼い頃から武芸を仕込んだとしても命の遣り取りをさせるには流石に時間が足りないだろう。
だが生まれながらに何らかの技能を持って居るならば、それを活かす準備が整えば無謀と言う程の事でも無いのだろう。
確か得物は銃器だと言う話だし、本人の身体能力が子供のそれでも、ある程度技術が有ればそれなり以上の戦力にはなるかもしれない。
それにしてもあの子供達の装備は随分とまぁ粗末な代物に見える、前面が金属で作られた『前掛具足』を付けていれば良い方で、木を削って作ったらしい剣道の胴の様な物を身につけた子や、まともな防具すら付けず着物姿の子供すら居る。
武器も刀を持つ物は居らず、木の柄に穂先だけ金属の粗末な槍や、中には青竹の先端を斜めに切っただけの竹槍を持っている子供すら居る有様だ。
あんな装備で大丈夫かよ……とも思うが、素槍ですらまともな物を買おうと思えば十五両はする、使用する金属の量が多い防具はそれ以上掛かる。
銭金の問題の上に泣いて嫌がる子供を無理やり出陣させる……と言う様子でも無いならば、俺に出来る事は無い……。
頭を振ってそんな考えを頭から追い出し、改めて他の観察対象を探すと、キョロキョロと誰かを探す様に辺りを見回し、それから俺を見定めて近づいてくる子供が居た。
「三つ首の犬に漆黒の出で立ち……、失礼ながら貴方が猪山の鬼斬童子殿でしょうか?」
と、子供の割に随分と丁寧な物言いでそんな言葉を掛けられた。
「確かに俺が鬼斬童子、猪河志七郎です。君は浅雀藩の?」
そう返事を返す、
「はい、浅雀藩主野火役満が三男利市です。今日はよろしくお願い致します」
と彼はビシっと音がしそうな程に綺麗な姿勢を作りそう口にした。




