百五十五 志七郎、背景を知り思い悩む事
跡目争いで良い歳をした大人が殺り合っているならば、なんの躊躇もなくお断りしていた。
俺の感覚では武士も筋者も対して差のある者とは思えない、前世でも警察を指して国営暴力団『桜田門一家』等と揶揄される事もあったが、少なくとも俺の居た捜査四課に関しては、あながち間違った表現とは言い切れないだろう。
馬鹿が一人二人死んだ所で自業自得とは思えども、それを理由に義憤に燃えたりする事など無い。
堅気を巻き込まない様に勝手に共倒れになれば仕事が減って万々歳……なんて事すら考えた事も有る。
だが数えで七つ、満年齢にして五~六歳の子供がその渦中に有るとなれば話は別だ。
自分の責任で生きる事すらも出来ない様な子供の命を、私利私欲の為の道具にするのは、人の道……仁義に悖る下衆の極みとしか言えないだろう。
そう考えると引き受けざるを得ない、と言うのが俺の判断だ。
だがそれでもその場で反射的に返答を返さなかったのは、前世の経験に依る価値観と武士の価値観の差が未だに完全に埋まったとは言いがたい、そう考えたからである。
「別に誰に相談する事も無く決めねば成らぬ、という訳では有りませぬ」
浦殿が席を立ち彼を見送りに出た笹葉が戻ってくると、思い悩み応接間で座ったままの俺にそう言葉を掛けた。
「ですが、浦殿は公言無用と……」
そう言われたから、俺自身で答えを出さねば成らないのかと思ったのだが、
「あれは社交辞令……とまでは申しませぬが、誰彼構わず話してくれるなと言う程度の事で御座る。ご自身で物事を判断し決断を下す等、志七郎様の御歳では出来よう筈が無いのですから」
「あ……」
言われてみれば当たり前の話である、前世で考えるならば俺は未だ小学校にも上がらぬ歳で、物事の判断は親に委任してしかるべき年齢だ。
そんな俺に何かを依頼するならば、少なくとも両親――父上は今国元なので母上だけだが――に笹葉から報告が上がり、その上で判断がくだされるのが筋である。
となれば母上に相談するのは既定路線として、気になるのは笹葉の見解だ。
「笹葉は今回の一件、どうするべきだと?」
素直にそう問いかけると彼は顔色一つ変えること無く、
「家老としての立場で申し上げるのであれば、いくら友好大名と言えども他家の御家騒動の為に主家のご子息様を危険に晒す等、言語道断……といった所で御座るな」
そう言い放つが、それからニヤリっと意味有りげな笑みを浮かべ、
「ですが、一武士、一男子として申し上げるならば……、朋友がああして頭を下げて頼んで来たのですから、なんとか叶えてやりたい……と思いまする」
と深々と額づきながらそう口にした。
「……という訳なのですが、母上はどうするべきだと思いますか?」
縁側で何やら厳しい顔で瓦版を読んでいた母上を見つけ、件の事を相談する事にした。
すると母上は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、
「しーちゃんが私の事を頼ってくれるなんて、嬉しいわ! いくら過去世の記憶があるとは言っても、貴方は未だ子供なのですから、どんどん頼って頂戴ね!」
それからさも嬉しそうな笑顔でそう言った。
前世で大人だった事のある俺としては、父上や母上の事を間違いなく親だと思っては居るのだが、自分で出来る事は自分でして可能な限り甘える様な事はするべきではない、と思っていたのだが、どうやら母上はそれが寂しかったらしい。
別段他人行儀に接していたつもりは全く無かったが、母上とはもう少し距離の取り方を考える必要が有りそうだ……。
「ええ、まぁ、はい……」
取り敢えずそんな玉虫色の返事を返すと、一応は満足してくれたらしく満面の笑みで一つ頷き、それから少しだけ困った様な表情へと変えて口を開く。
「んー、彼処の家は色々と面倒な事に成ってるのよねぇ……」
そんな言葉から母上は野火家の御家騒動に付いて知っている事を、つらつらと話し始めた。
野火家の現当主野火役満は次男で本来は家督を次ぐ立場では無く、国元の商家の娘と結婚し婿養子に出た。
だが兄夫婦が流行病で早逝してしまった事で状況が一変する、跡継ぎとして野火家に戻る事に成ったのだ。
相手が武士階級だったならば、嫁入り婿入りの立場を入れ替えるだけで済んだのだが、大大名の正室が商家の出では格式に関わると言う事で離縁させられ、改めて国家老、蓮宝家の娘を娶り、しばらくの間を開けて前妻を側室とした。
「そこまでならばよくあるとまでは言わないけれど、そうそう珍しい話では無いのよね……話が面倒になるのは此処からなのよ」
と母上は努めて難しい顔を作りながらそう言ったがその目は明らかに笑っており、ゴシップを楽しむ噂好きのおばさんその物である。
ともあれ話の続きだが、再婚の段階で既に前妻との間には長男が生まれていた。
大名と成った役満氏の子で有り正式な婚姻の上での子供なので、その子は正式に野火家の嫡男として迎え入れられたのだが、そうなると正妻が面白い筈も無い。
正妻が身籠り男子を出産するまで前妻の側室入を邪魔し長男を邪険に扱ったのだ、父親が江戸に参勤している間は庇いようも有ったが、国元へと戻れば奥方の意向に逆らう者は殆ど居ない。
直接的な虐待の様な事は無かった様だが、多感な幼少期をそんな環境で過ごしながら、多少ひねた性格ながらも問題を起こす様な青年に成らなかったのは、浦殿の尽力が大きいだろうと言うのが事情を知る者達共通の見解らしい。
そして正妻との間に次男が生まれ、程なくして未だ側室と迎え入れられていない前妻もまた子を産んだ、離縁したはずの前妻の元に国元にいる間、足繁く通って居たのである。
これまた正室の怒りを買うには十分な話で、初祝によって役満氏の子で有る事は明白だと言うのに、側室でも無い女の子は庶子として扱うと強固に主張したのだそうだ。
庶子と言えども男児で有る以上は家督を次ぐ可能性は有るので江戸で養育される事になったのだが、長男の扱いに不満を持った前妻は自分も一緒でなければ江戸には行かせない、と自分と子供の命を盾に取り主張した事で、正式に側室入りする事になったのだという。
結果、母の愛情を受ける事無く育った長男『清一』、側室の子に家督を継がせる訳には行かないと正室に言い聞かされて育った次男『平和』、母に守られ両親の愛情を受け育ったが庶子扱いを受ける三男『利市』、と敵対するには十分と言える三兄弟と成ったのだ、と母上は見てきた様に語った。
「随分とお詳しいですね……今回の話を浦殿から聞いた時には他言無用と言われたのですが……」
御家騒動は、それが明るみに出れば御家取り潰しすらあり得る様な重大な醜聞だと言う事だった筈だが、何故そんなによく知っているのだろうか?
「隠したところでこの手の話はどこかかしらから漏れる物ですよ。無論詳細がそのまま外に出る事は無いけれど、色々な伝手で入ってきた話を一通り纏めて吟味すれば、大体の事は推測出来ますよ」
だがそれでは推測憶測の域を出る事は無いだろう、幾らタレコミや噂を集め推理した所で仮説だけでは逮捕状が下りる事は無い。
「……事の背景はよく解りましたが、結局俺はどうするべきでしょうかね」
間を置き裏付けに付いて言及されるのを待つが、その気が無さそうなのを感じ取り、諦めてそう問い直した。
前世では仕事柄複雑な家庭とか、問題のある家庭と言う奴はそこそこ目にしてきた、その中でも最悪と呼べる様な物は例外とすれば、そこそこ面倒な内容では有った。
正直な所、あまりお近づきには成りたい部類では無いが、領地が隣接している上に同年代となれば、ずっと避けて通るという訳にも行かないだろう。
だが、今回の一件で三男派に猪山藩が与すると見られるのも問題が有りそうな気がする。
「んー、しーちゃんの将来を考えると、受けて置いて損は無いとは思うのよね……流石に他藩の子、それも二つ名持ちが居る所で不幸な事故なんて真似も出来ないでしょうし……」
再び考える素振りを見せながら呟いたその内容は、ちょっと冗談事では無い物騒な言葉を含んだ物だった。




