百五十一 志七郎、解決を傍観する事
「ドーモ、猪山藩の皆さん、お刺身鰤デース!」
義二郎兄上に比する……いや身の丈は兄上よりも更に大きく2米程、身に纏っているのは薄く安っぽい着流しなので、着物の上からでもその身体付きがよく解るのだが……全身を鎧う筋肉も二回りは太いかも知れない。
これで大銀杏の髷でも結っていれば力士だと誰もが思うだろうが、彫りの深い西洋人然とした顔立ちに、輝く白銀の巻き毛、首から上だけを見るならば前世の音楽室等に飾られていた絵画を思わせる、そんな風情である。
年の頃は六十を回った所といった位だろうか? どうやら前世で言う所の西欧系の人種らしく、今一つ判断が難しい感じだ。
「おやまぁ、ついさっきお前さんからの返事を受け取ったばかりだってのに、随分と早い到着だねぇ」
どうやら彼が母上が招聘していた人物の様だ。
「ハーイ、ミー共の弟子が見つかった書いてマスターから、煮ても焼いても居られズ、全力全壊で飛んで来たネー!」
そう言って彼は文字にするならばHAHAHA! とでも書きたくなるような笑い声を上げた。
「飛んできた……って貴方、まさか関所を通らず本当に空を飛んで来たんじゃないでしょうね?」
彼の言葉に何か不味い所が有ったのか、母上は焦りの色を隠すこと無くそう問いかける。
「イエー、あちらの山から此方の街まで『空飛ぶ板』で飛んで来たヨー?」
サムズアップしながら肯定の意を返すと、あちゃーと言わんばかりに母上は顔に手を当て天を仰ぎ見た。
関所を通らずに江戸へと入る『関所破り』は、関所で手形を誤魔化したりする『関所破り』とは違い罪に問われる事は無い。
関所が無い場所の殆どが強力な鬼や妖怪の縄張りでそこを突破するのは並大抵の難易度では無く、それが出来る者は殆ど居ないからだ。
だが今回の場合はまた別の話で『術者』は『銃器』と並んで、江戸市中に入る事が規制されている存在なのである。
『術者育成の令』が発布され今までより許可が出やすく成っているとはいえ、流石に無許可で逗留させるのは問題が有る。
我が藩に他意は無いしおそらく上様も問題視する事は無いだろうが、政敵とでも言うべき相手からは謀反を企てている等と非難や攻撃の材料となりねないのだ。
「笹葉! 急ぎ幕府に詫び状を持って行って頂戴……。返答が来るまでは、屋敷から出ないで頂戴ね……」
母上はため息を付きながら笹葉と彼にそう指示を出す。
「は! 直ちに!」
即座に動き出す笹葉と、
「アレ? もしかしてミー共、なんか殺っちまった?」
状況が掴めて居ないらしい彼。
「あーうん、良いのよ……虎殿がこの国の言葉も法も今一つ理解仕切れて居ない事を解ってて、急いで来いなんて書いたのは私だもの……」
本当ならば智香子姉上と望奴、そして彼の再会はもっと感動的な場面を演出するつもりだったようだが、流石に大問題と成り兼ねないこの状況ではそんな事をしてる余裕も無い様だった。
「と、取り敢えず! 貴方の事を知らない者も多いから、先ずは自己紹介をして頂戴。後の事はなんとかするから」
普段の楚々とした立ち振舞とは違う、慌てた様子でそう促す母上。
すると彼は戸世人が仁義を切るかの様に、腰を中腰に落とし右手の手のひらを見せるように前へ突き出し、
「私、生まれも育ちも北大陸です、錬玉学術協会の産湯に浸かり、姓はワーゲン、名はティーガ、人呼んで『風来坊の虎』と発します」
とそう言葉を発した。
俺には、服装や髪型と相まって日本文化を勘違いした外国人観光客のそれによく似ている様に思えた。
「お師匠お久しぶりなの!」
「お師匠様……こうしてまた会えるとは思ってなかったのね……」
「オーウ! 我が生弟子達ヨー、おひさまプリンネー!」
中断していた夕食を取り終えると、河岸を変えること無く今度こそ師と弟子の再会と相成った。
彼が我が家に居たのは丁度俺が生まれる前の事で、姉上は約五年、望奴は十余年ぶりに顔合わせとなる。
特に望奴は幼い頃修行半ばにしての離別であり、再会の目等無いと思っていただけ有ってその感動は一入なのだろう、良い年をした男が誰憚る事無く滂沱の涙を流し、その語尾は嗚咽に紛れている。
「ヤッタロー、黄身の事はずっと審判してたヨー。お嬢さんの事が無ければ、ミー共が連れて行きたかったネ……けど、コレも髪様の落ち身引きネ、今度はこそ黄身にミー共が持ってる技と術、全てのレシピを伝授するネ!」
胸中に秘める物が有るのは虎殿も同じ様で、望奴をその分厚い胸板に力強く抱きしめ、涙混じりの声でそう言った。
「でも、でも一寸待って欲しいのよ。あっしは今、錬玉術の修行に注力しきる訳にゃ行かねーのよ……」
だが望奴はぐっと身体を引き離し心底辛そうな面持ちで否定の言葉を吐き、一呼吸深く息を吸い込むと決意を固めた表情で改めて口を開く。
「あっしにゃこの十年苦楽を共にした相棒が居るの、その相棒にゃ今までに無い苦難に対面してる、そんな状況であっしだけ修行を再開するなんて事ぁできやしねぇんでさぁ」
「ぼ、望奴!? 何を言うてはりまんねん! ワテの事ぁ気にせんと、やりたい事やればええやんか! それでがっつり稼げるようになれば、豹堂家も望月家も再興の目処が立つやおまへんか!」
その言葉に驚いたのは他でも無い豚面で有る。
「そーだよ! アンタが一端の錬玉術師に成りゃ、最悪豹堂の再興が成らなかった時だって、お前さんの仕官は堅いじゃないか! 豚面の事は主君で有るアタシが考える事さね!」
そして自身の為に夢を諦めさせた、と望奴に対して負い目を感じているらしい瞳嬢も、豚面の言葉に同意する。
「オーウ? ミー共に出来る事が有れば南でも擦るネ。ちょいと桑しく効かせるネ」
三人の様子を見て只事ではないと虎殿も思ったらしく、彼もまた表情を引き締めてそう問いかけた。
「お師匠様……実はですね……」
藁にも縋ると言う様な、切羽詰まった表情で望奴が今日あの口入屋で有った事を語り出す。
「ンー、『狂化』とはまた面胴小手突きな話ネー。デモダイジョーブネ、ミー共なら、なんとかなるカポネ!」
話を聞き、少しだけ唸り声を上げ考える素振りを見せたのだが、それでも彼はニパッと音がしそうな程に良い笑顔を見せて、ドンっと厚い胸板に拳を叩きつけた。
彼の言葉に拠れば『狂化』と言うのは世界的に見れば決して珍しい能力では無く、西方大陸や北大陸の冒険者達の中には意図的にその能力を習得した『狂戦士』と呼ばれる者達も居るのだという。
『狂化』は二段階の効果が有り、常動効果で有る知力の低下と身体能力の向上、この部分は豚面にも既に影響が出ている部分だと思われる。
そして問題となるのが命の危機が迫ると猛り狂い、敵味方区別する事が出来なくなり、動く者全てを敵と見なし襲いかかるという状態だ。
多少の個人差は有れども、基本的に心身に対するダメージが一定以上に達した時に発動するのは変わらない、ならばそれを可視化して管理し危険域に達する前に適時霊薬などで回復を行うのだと虎殿が説明してくれた。
「調度良い器械で寿司、それらの道愚を作って見ると良いネ。材料もレシピもミー共が一通り持ってるから岩盤ネー」
先の見えない不安要素が取り除かれた事からか、姉上を含めた四人の表情は希望と期待に満ち満ち輝きを取り戻した様に見えた。
そんな様子を俺はただ静かに食後の茶を啜りながら眺めていたのだった。




