百五十 志七郎、誂われ悩みを共有する事
「剣術六 拳銃術三……、随分とまぁ色々と持ってやがるなぁ……、たしか五つだろぅ? 末恐ろしい坊主だな……だがしかし……」
ひとしきり笑いを取った後、豚面が俺の身体を持ち上げてくれたので、皆がした様に鬼斬り手形を水晶へとかざすとそんな言葉が返ってきた。
「しかし……なんでしょうか?」
俺にも豚面の様に何か自分でも知らない不安要素でも有るのだろうか、言葉を濁した風の金太老に改めて言葉の先を促す。
「いや、なんというか、まぁ手堅いと言うか堅実と言うか……面白みの無い技能構成だと思ってな。猪山の戦人と言うよりは、古株の町方与力……いや騎乗技能が無い事を考えると、隠居した同心の様な組み立てじゃねぇか」
町方与力や同心と言うのは町奉行の指揮下に居る役人である、十手を貸与された町人――下っ引や岡っ引――を巡査や巡査長だとすれば、警部や警部補に当たるだろうか?
そう考えると、金太老の見立ては決して大きく間違っているとは言えない。
「面白みが無いって……おっちゃんはうちの弟に何を期待してたの……」
「だってあの鬼二郎の弟で、鬼斬童子なんて字を持つガキだぜ? それに猪河当代の御子は皆、神の加護を受けてるって話だったからな、もっとぶっ飛んだモンを持ってそうなもんじゃねぇか」
聞けば義二郎兄上も此処をよく利用しているそうで、やはり金太老が手形を検めたのだが、その時彼が見たのは知る限り全ての得物を五段以上と言う高位で収めて居た、そんな化物っぷりだったらしい。
中には長剣や騎兵槍と言った火元国では殆どお目にかかる事の無い、外つ国の武器も多々含まれていたそうで、そこから考えれば兄上が武神の加護を受けている事は明々白々だったそうだ。
「まぁ坊主と細長いのにゃ問題無しだ。あとはソッチの太い方の扱いを決めねぇとな……」
煙管を一息吸い込み、煙を吐きながらそう言うその姿はため息を隠しているかの様に見えた。
「ワテは……自分の事も良う判らんような愚か者ですねん。金太はんの思う通り、味様したってください」
諦めたとは違うが、感情の見えない不思議な笑みを浮かべ豚面は、全ての判断を金太老に託すとそう言った。
その言葉を受け、煙管を咥え腕を組み考え込む仕草を見せる金太老。
「……そうだな、お前さんの戦歴を鑑みた上で、回せそうな仕事が有ればくれてやる。ただ、他所様と組ませるのは無しだ、生きるも死ぬもテメェ一人の事にさせてもらおうか」
ほんの少しの沈黙の後、煙管を灰落としに叩き付ける音を響かせて、そう結論を口にする。
此処で斡旋される仕事の中には単独では難しく、単騎で仕事を受けに来た場合には数人を纏めて当たらせる、と言う事も少なくないらしい。
気心のしれた相棒との共闘ならば問題無くとも、行き摺りの相手では何を切っ掛けに『狂化』が発動するかも解らない、それ故の判断と言う事だ。
「へぇ、それで十分ですわ。ご面倒掛けてホンマに申し訳ありゃしまへん」
そう言って豚面が頭を下げると、
「御武家様が町人に頭を下げるもんじゃねぇよ。わしはきっちり何時も通りの商いをするってだけの話だ」
金太老は煙管に詰める新たな煙草を丸めながら、もう話は終わったとばかりにそう言い捨てる。
依頼の出し方、受け方を姉上から説明され見世を出ると思いの外時間が経っていたらしく、空が夕日の朱に染まっていた。
「……という訳でんねん。近いうちに神さん所言って詳しい事聞きに行きまっけど、それまでは朝稽古も止めよおもうてますねん」
夕食の席、家族も家臣も皆が揃った場で豚面は包み隠す事無く打ち明けた。
今まで発動する事は無かったとはいえ何が引き金に成るか解ら無ず、もしも発動してしまえば敵味方区別なく皆殺しにするまで止まらない、それが『狂化』と言う能力なのだ。
そのことを知ってしまった今、何時爆発するか解らない爆弾を懐に抱え込んで居る様なそのストレスは計り知れない物だろう。
となれば、彼が周りから距離を取りたがるのは理解できる。
「何もそこまで気にする必要は無いじゃろ。武勇に優れしと謳われる我が猪山、過去に狂化持ちが一人も居らなんだ訳では無い、多少の個人差は有れどもそう大きくは変わらんじゃろ」
だが砂を噛む様な思いをして口にしたであろう豚面の言葉を、笹葉はあっさりとそう否定した。
その言葉に拠れば、過去の猪山藩家臣達の中にも狂化の持ち主は居り、その発動条件は皆一様にして『命の危機』もしくは『極度の怒り』のどちらかが発動条件と成っていたのだそうだ。
「二十数年を生きてなおその様な能力を持っている事を知りもしなかったと言う事はじゃ……どちらにせよそう簡単に発動する物では無いのだろう。ギリギリの実戦ならば兎も角稽古や試合程度では問題にはならんじゃろ」
余りにも楽観的な物言いいに豚面は腑に落ちないと言った表情を浮かべたが、それを更に否定する様な言葉を口にする事は無かった。
「それよりも、問題は望月殿と智香子姫の事じゃのう。智香子姫もそろそろ縁談の一つや二つ有っても良い年頃、それが日がな一日兄弟子とはいえども男と二人きりと言うのは、外聞が悪すぎますじゃ」
武に関して心配することは何一つ無い、とそう言い切った笹葉がまた別の問題を提起した。
「別に何を憚る事をしてる訳じゃねーの、言いたい奴にゃ好きに言わせとけば良い話なの」
当の本人である智香子姉上はそれをどこ吹く風と言った様子であっさりと受け流すが、望奴の方が恐縮仕切りといった風情で縮こまってすら居る様に見えた。
「あー、あっしとしてもですね、色々と学ばせて頂きたいのはその通りなんですけど、流石にお姫様や藩の体面に傷を付けるような事は慎みたいと思って居ますんで……」
体面、そう体面の問題なのだ、嫁入り前の若い娘が若い男と一日中二人きり、そこに色恋の様な感情が無くとも、端から見ればそんな事は解りはしない。
藩邸の中のことなので、家中の者が何も言わなければ、そんな事が問題に成る事は無いだろうが、人の口に戸は立てられないと言う言葉もある、噂と言うのは何処から立ち昇るか解らない物なのだ。
「その事なら、あと数日もしない内に解決するわ。先方さん、思った以上に江戸の近くに居た見たいだし、先日公布された『術者育成の令』も有って関所で長々と留められる事もなさそうですしね」
対照的な二人の反応を他所に、そう言葉を掛けたのは母上だった。
豹堂家の三人が我が家へとやって来て直ぐ、母上はその問題を解決出来る人物を招聘する手紙を出したのだと言う。
その人物は風来坊も良い所で、仁一郎兄上の育てた『伝書鳩』でも確実に連絡を取ることは難しいのだが、偶々近況を知らせる手紙がつい最近届いており、駄目で元々と言ったつもりで文を認めた所、直ぐにでも江戸へと来ると返事が来たのだそうだ。
そして以前ならば『術者』と言うだけで江戸へと入るのに長々とした手続きが必要だったのが、昨年の火災を切っ掛けに新たに出された法令のおかげでかなり簡略化され、お花さんの時の様に長く待たされる事は無い筈だと言う話だ。
「彼の方が来訪されるまでは、不自由を掛けるけれども二人きりで作業する、と言うのは避けて頂戴ね。何処の馬の骨とも解らない浪人者に娘を傷物にされた……なんて噂が立つといろいろと面倒だからね」
無論、母上は彼が何処の誰で有るか等解っている、だが外野が騒ぎ立てる無責任な噂と言うのは、よりセンセーショナルな方向へと尾鰭が付いて行く物だ。
「はいなの……」
その事は姉上も理解しているのだろう、母上の言葉に素直に応じる言葉を返した、その時である。
「ヘーイ、心肺ゴム用品ネー。ミーが来たからには何の代紋も無いヨー」
と、調子外れの声を響かせながら襖が大きく開かれ、義二郎兄上と比する巨体が現れたのだった。




