百四十九 志七郎、古強者と相対する事
百四十六 志七郎、改めて調合の手伝いをする事
にて智香子の年齢に誤りが有りました十三歳では無く、正しくは十五歳です。お詫びして訂正致します、誠に申し訳有りませんでした。
誂う様な物言いに一寸だけムッとした物を感じたが、俺達の誰が口を開くよりも先に老人は手で俺達を制した。
煙管を煙草盆に打ち付け灰を落とし新たな煙草を詰め、火入れに雁首を突っ込み火を移すと、それを美味そうに一口燻らせ、
「猪山の錬玉姫が連れてきたガキって事ぁ、よほどの馬鹿じゃ無けりゃ猪山の鬼斬童子だと察しはつかぁね。それが無くとも体幹の振れの無さ、賢しげな眼差し、そいつを見りゃ尋常のガキじゃねぇたぁ一目で解るさね。さっきのは只の茶目っ気と堪忍してくれや」
と悪びれる風も無くそう言い放つ。
「相変わらず、人を喰ったおっちゃんなの。そのうち本気で無礼討ちにされるの」
姉上はそんな彼の為人をよく知っている様で、苦笑を浮かべそう言葉を返す。
「おいおい、大名家の姫君がマジなんて下世話な言葉を使うんじゃねぇよ。そんなんじゃ嫁の貰い手に困るぜ?」
「余計なお世話なの、あっしの口回しが下品なのは今更の話なの。こんな悪所に出入りしてるんだからしょーがねーの」
どちらの言葉使いも決して上品とは言えないのだが、そんな風に憎まれ口を叩き有っていても、実際にその言葉に下卑た感情が篭っている様子は無い。
「んな事よりも真面目に商いの話をするの。今日は鬼斬り者三人と錬玉術師見習い一人を登録しに来たの」
「そら、見た通りに要件だわなぁ……。ああ、相手が御武家様じゃぁ、此方から名乗るのが筋か……。わしはこの見世の主で金太つー者だ、若い時分にゃぁ『魂潰し』なんて二つ名で呼ばれた元鬼斬り者だ」
彼の言葉を聞き、俺達がそれに応え自己紹介を返そうと口を開くよりも早く、
「おっと、オメェさん等の自己紹介は必要ねぇぜ。鬼斬り手形を検めさせて貰わにゃいかんからな、ソレをみりゃぁ氏姓どころか今まで斬った鬼や妖怪、犯した罪の全てが丸解りだからな。つー訳で一人づつ手形を出してくれや」
と、そんな事を言い放つ。
鬼斬り手形はただの身分証明や、遠駆要石を使う鍵と成るだけでなく、彼の言葉通りその者の人生の全てが記録されている。
だがそれを読み取るには手形だけでは無く相応の機材が必要で、それらは通常神々の社か幕府に縁の有る役所にしかない筈だが、以前鬼斬り奉行所で使ったのと同じような水晶の塊を彼は机の下から取り出し置いた。
「ん……ああ、こりゃそこの鬼斬り奉行所から借り受けてる物だ、別に後ろ暗い手管で手に入れた物じゃありゃせんわ」
俺が訝しんでいる事が表情に出ていたらしく、金太老は苦笑いを浮かべながらそう補足してくれた。
「そういう事なら、安心……なのかしら? んじゃあっしからお願いするのね……」
どうやら、俺だけでなく望奴も同じ事を考えていたらしい……。
「薬術三に錬玉術一……格五十五……。望月薬太郎? オメェさん……豹堂旗下望月家の生き残りかい? 先代にゃぁ色々と世話になったもんだ……オメェさんなら錬玉姫の紹介なんか要らねぇや、先代に受けた恩はきっちり返さねぇとなぁ」
望奴の父は江戸でも一二を争う凄腕の薬師で有り、多くの医者や薬種問屋と深い繋がりが有り、この見世が開店した当初から多くの依頼を出して居た太客だったらしい。
瞳嬢絡みの一連の騒動で断絶したと思っていたのが目の前にこうして現れたのだ、金太老の胸中は如何程の物だろう。
「……お言葉は有り難いけれども、あっしは親父の技の大半を受け継がず、この歳になって改めて錬玉術師の修行をやり直してる半端者。親父への恩返してーなら、あっしが一人前の仕事が出来る様になってからにして欲しいのねん」
だが、彼の申し出を望奴はそんな言葉であっさりと辞退した。
「へっ! 口先だけは一丁前見てぇだなぁ……吐いた唾は呑めねぇぞ?」
ニヤリっとそんな音が聞こえそうな、不敵笑みを浮かべそう念を押す。
「浪人の身でも、一応は武士。武士に二言は無いのよ」
すると望奴もまた普段の軽薄そうな笑みでは無く、覚悟を決めた侍の表情でそう答えた。
「あいわかった、んじゃ他所様と同じ様に依怙贔屓無しの扱いをさせてもらおうか……。んじゃ次はどっちだい?」
満足そうな表情で言葉を返すと、望奴から視線を外し俺と豚面へと水を向ける。
「ほなら、ワテがお先させてもらいますわ……」
と豚面が自身の腰に下げた鬼斬り手柄を取り水晶にかざす。
「棍棒術七に体術八、剣術五……こらまた随分と武に関する技能ばかりだねぇ……。っておいおい『狂化』って良くもまぁこんな能力持ちがその歳まで生きてたもんだ」
渋面も露にそんな事を言う金太老。
「へ? ワテそんなん知りまへんで? 望奴、おまはんはしってはりました?」
だがその言葉を聞いて豚面は何を言われているか解らないと言った風情で、相棒に問いかける。
それに対して望奴はただ無言でブルブルと首を横に振ることでその答えを返した。
金太老に拠ればこの狂化と言うのは、身体能力や勘の様な物を劇的に引き上げる代わりに知能を劇的に、それこそ敵味方の区別すら付かぬ程に低下させる……そんな能力なのだそうだ。
けれども、幼いころからずっと行動を共にしてきた望奴は、そんな素振りなど一度も見た事が無いのだと言う。
「まぁ、常にそんな状態じゃぁまともに暮らす事すら出来ねぇわな。たぶんなんかの切っ掛けで発動する類の能力なんだろ。もっと詳しい話が知りたけりゃ大社様にでも聞きに行きゃぁ良い……しかし」
金太老はボリボリと懐に突っ込んだ手で腹を掻きながら、いかにも面倒な事が起こったという風に言葉尻を濁した。
「……そこまで言うたんやったら、気ぃ使わんでくれた方がワテも気が休まりまんねん。遠慮せぇへんで全部言うたってや……」
普段の惚けた笑みを消し、何時になく真剣な……だがそこはかとなく不安を抱えた様な、そんな複雑な表情を見せ豚面は金太老に水を向ける。
「今まで大丈夫だったからと、今後も大丈夫たぁ言い切れねぇ……、悪ぃがこんな爆弾を抱えた奴に大仕事を割り振る度胸はわしにゃぁねぇ……」
心底気の毒に思っているのだろう金太老は歯切れが悪い、だがそれでも豚面の望みを断ち切る言葉を放った。
「ほなら、仕方あらしまへん……。ワテも知らんようなそないな危ない物抱えてるって、解っただけでも儲け物や。ホンマに望奴や瞳嬢様を手に掛ける様な事が無かったんは運が良かったんやろなぁ」
豚面は激することも消沈する事も無く、ただただ静かに笑ってそう言った。
「まぁ近いうちに金太はんの言う通り大社様に詣でて詳しい事聞いて、それから考えたらええねん。いうても考えるのはワテやのうて望奴やけどな。ほなら次はボンの番やでー」
それでもやはり思う所は有るのだろう、俺にはその笑みが無理をしている物に見えた。
けれどもそれを指摘するのは余りにも心無い仕打ちと成るだろう、後に続く俺に対する気を遣っての笑みとも取れるのだ。
「はい、では……」
彼の気遣いを無にしない為にも俺は努めて何時も通りの平静さで、手形を取りだしカウンターに乗せられた水晶に手を伸ばす。
だがしかし大人の胸の高さのそれには、この小さな身体では精一杯背伸びをしても届かない。
氣を使わず何度か跳んで見るが、指先が下側に触れる程度で全く高さが足りなかった。
そんな俺の行動は端から見れば随分と滑稽な物に見えたのだろう、誰ともなく吹き出し、皆が笑いをこらえ切れずに声を上げる。
先程まで漂っていた沈み込んでいた空気は完全に消え、望奴も豚面も吹っ切れた様な笑みを見せていた。




