百四十八 志七郎、口入屋へと赴く事
「そ~言う事なら任せるの、どうせ午後から顔出すつもりだったから一緒に行くの」
納品から帰って来た智香子姉上を捕まえ母上に言われた事を伝えると、彼女は開口一番そう口にし、その言葉通り昼食を取り終えると、俺と姉上、望奴に豚面の四人で姉上が贔屓にしている口入屋へと向かう事に成った。
望奴は姉上同様、依頼を出し素材を手に入れる為、俺と豚面は依頼を受け銭を稼げる様にする為である。
どちらの場合でも、口入屋は信用出来る相手以外とは大きな取引をする事は無い。
依頼をしたは良いが支払いがされなかったり、依頼を受けたにも関わらず納品されず等といった事があれば見世の信用に関わるからだ。
その為、通常は小さな取引をこつこつと繰り返して信用を積み重ねるのだが、今回は既に太客としての信用を得ている姉上の紹介と言う事で下駄を履かせて貰うのである。
この場合信用に関わるミスやトラブルを起こせば、紹介者の信用にも傷が付くと言う事になる、このあり方は所謂『一見さんお断り』の見世と通じる物が有るようだ。
それとは一寸違うが前世でも、建設業を営む方に不動産屋を紹介して欲しいと言う話をすると『紹介するってのは保証人に成るのと一緒、身内でもおいそれと紹介なんか出来やしない』なんて答えが返ってきたと言う話を聞いた事が有る。
信用は長い時間を掛けて積み上げていく物だがそれを突き崩すのは一瞬だ、というのも前世ではよく言われていた言葉である、きっとその辺の感覚はこちらの世界でもさほど変わりはしないだろう。
「そんな簡単に紹介なんてしても良いんですか? もしも俺が何かやらかせば姉上の信用にも傷が付くんじゃぁ……」
そんな事を考えそう姉上に問いかけると、彼女は一瞬きょとんとした表情になり、それから笑って口を開いた。
「ああ他所の見世ならあっしもこんな簡単に紹介したりしねぇの、今回は志七郎君や兄弟子殿、豚面さんに対する信頼とか信用とかとは別の所……今日行く見世の親父さんへの信頼なの」
そんな俺達の会話を横で聞いていた望奴と豚面の表情の変化は劇的だった、紹介の重みと言うのは俺が考えていた以上に彼等へのプレッシャーに成っていた様で、固まっていた面構えが明らかにホッと安堵する物に変わっていた。
あとから聞いた話では、武士にとって信用と言うのは『家』に付く物であり、公的には既に断絶状態と言える豹堂家とその傘下の望月家、豚川家はその名前を出した所で、それがどうしたと一蹴されるレベルの扱いを受けていたのだと言う。
それを昨日今日の付き合いである自分達に対して向ける姉上や我が家のやり方に、疑問を感じ何か裏があるのでは無いか、このまま瞳嬢を含め自分達の運命を委ねて良いのか、とそんな事を望奴は考えたのだそうだ。
豚面は自分で判断行動することの出来ない自分を紹介等して、何かやらかせば自分だけでなく姉上に引いては猪山藩猪河家に迷惑を掛ける事になり、その結果豹堂家再興の目が潰れるのでは無いかと思ったのだと言う。
だが姉上が二人の家の信用では無く、口入屋の親父に対する信頼だと言った事で、自分達の背負う物が猪山藩にとっては軽い物に過ぎないと、そう思えたのだそうだ。
「あっしらは本当に……なんもかんも無くしたのねぇ……」
それは同時に今まで見ないふり、気付かないふりをしていた、自分達の無力さを突き付けられた様な物だったらしい。
「なに言うてはりますのや。無くした物はまた拾い集めれば良え、瞳嬢様が生きてりゃ逆転の目は有る、そう言うたのは望奴やおまへんか。あの日おまはんが言うた事を信じてワテも瞳嬢様も生きてきたんやで」
けれども豚面は愚直とも言える、いや物事を色々と考えない質だからこそ、十年余りもの間、変わらずに相棒が口にした希望を見続けていたのかも知れない。
「そういえば……そんな事も言ったかもしれないわねぇ。そうよね……無いならまた集めれば……、また積み上げれば良いのよね……」
そして自分でも忘れかけていた、そんな励ましの言葉を相棒の口から聞き、望奴は改めて己等の行く末に希望を抱いたのだそうだ。
「さて付いたの、此処があっしが贔屓にしている『鬼の褌屋』なの」
姉上が俺達を案内しそう声を上げたのは、江戸城南門前広場の一角、丁度鬼斬り奉行所の真正面に有る小さな見世だった。
と言うか、そこに見世が有ると解っていなければ見逃してしまうような、見世と見世の間に戸口だけが有り下手をしなくても両隣の見世の一部にしか見えない店構えで、看板らしい看板も下がっていない。
言われてよくよく見てみれば、暖簾の様な物に『鬼の褌、万鬼斬り口入れ致し候』と記されていた。
「随分と見窄らし……あいやいや、控え目な佇まいですね……」
正直な話武士の、それも大名の娘が出入りする様な場所には見えない、その印象は他の二人にとっても同じだったらしく、彼等も困惑の表情を隠せないでいた。
「そりゃぁそうなの、真っ当な武士が出入りする様な場所じゃねーの」
すると妙にアメリカナイズされた様子で肩を竦め、やれやれと言わんばかりの表情で首を振りそんな答えが返ってくる。
姉上に拠れば普通の武士は何か必要な物が有れば御用商人に調達を命じ、その御用商人が市場でそれを手に入れる事が出来ない場合、御用商人がこの見世へと調達を依頼するので、侍本人が此処へとやって来る事はまずあり得ない事なのだそうだ。
そしてその依頼を受けるのも武家に属する鬼斬り者では無く、町人や浪人者といった少しでも多くの銭を稼ぎたい者達で、真っ当な武士がこんな所に出入りしているのを見られれば、銭に困って居ると言うふうに見られ、面子に関わる問題となり得るのだと言う。
では、なぜ智香子姉上は自身がこうしてこの見世へと出入りしているのか。
それは彼女が江戸では殆ど知らない者は居ない二つ名持ちの錬玉術師で有る事で、彼女が希少な素材を早急に手に入れたがる理由が誰にでも明確であり、そして何時か嫁に出てその後も錬玉術師を続けるにはコネを持ち続ける必要が有る。
そんな誰もが納得出来る事情があるから彼女がこうして一人でやって来ても問題に成る事は無いのだ。
「つっても、それは一般的な武家の話なの、家の場合にゃ誰が出入りしても問題に成る事ぁねーの」
猪山藩猪河家と言えば『たとえ嫡男で有ろうとも自分の小遣いは自分で稼ぐ』と言う家祖伝来の伝統が有る、その伝統は武士であれば誰でも、町人でもちょっと世事に通じている者ならば誰でも知っている程には有名な事だ。
その為『銭を稼ぐ』と言う事と『貧困』がイコールで結ばれる事は無く、ただの小遣い稼ぎと見做され問題視される事は、あり得ない事なのだそうだ。
「何時までも見世の前に居られちゃ商売になりゃせんわい。入るならとっとと入ってくれや……」
姉上の解説に俺達が聞き入っていると、不意に見世の奥からそんな言葉が投げかけられた。
「おっと、みんな中に入るの。おっちゃんまいどーなの」
姉上に続き戸口を潜り薄暗い部屋の中に入る、どうやら狭いのは戸口だけで少し奥へと入ればそこは結構の広さが有った。
中には無数の張り紙が壁一面に貼り付けられており、それを数人の鬼斬り者が懸命な表情で物色している様だ。
そしてさらにその奥には声の主と思われる老人が木製のカウンターの様な所に座り、煙管を吹かしながら此方を見詰めて居た。
「よう、錬玉姫の嬢ちゃん。なんでぇぞろぞろとガキまで連れて……商売の話にしちゃ面白可笑しい組み合わせじゃねぇか」
ニヤリっと音がしそうな程の不敵な笑みを浮かべ老人はそう口にした。
……こういうのをやり手爺とでも言うのだろうか?




