十三 志七郎、庭の離れの謎に迫る事
「よっしゃっ! こいやー!」
「なんの、まだまだぁ!」
翌朝、いつも通り早朝稽古へと向かうと、稽古場は激しい活気に満ち満ちていた。
昨日稽古を休んだ分を取り戻そうという事なのか、皆いつも以上に熱が入っているように見える。
俺はこれまたいつも通り打ち合う者達の邪魔にならないよう、稽古場の端で一人素振りを始めた。
ただし、今日はただ素振りをするだけではなく、他の人達の稽古を――特に打ち合いをしている者達の動きを観察しながらである。
するとどうだろう、よくよく見れば一刀一足と呼ぶには少々どころではないほど遠くから、ほんの一瞬で間合いを詰め打ち込んでいたり、それを受け止めたかと思えばまた目にも留まらぬ速さで飛び離れる。
他にも岩を素手で打ち続けそれを叩き割る者や、複数の巻藁を刃も付いてないたんぽ槍でなぎ払い断ち切る者など、常人離れした技を見せる者達が至る所に見受けられた。
前世の剣道では達人と呼ばれる人達に稽古付けてもらった事も少なからず有るが、その人達にだってあそこまで超人的な技を見せられたことは無い。
意識して見れば、打ち込む武器や拳にうっすらとだがオーラのような物が見える。
あれが義二郎兄上に聞いた氣功の効果か……。
「おう、志七郎。今日も素振りか精が出るな。だが他所事に気をとられておっては、せっかくの稽古も意味をなさぬぞ?」
噂をすれば影、ではないがちょうどタイミングよく義二郎兄上が手ぬぐいで汗を拭いながらそう声を掛けてきた。
他の者の稽古を眺めるのに気をとられ、自身の稽古が疎かになっていることを指摘され、思わず手を止め兄上を見上げる。
「あー、幾らお主が過去世で手練と呼べる程に稽古を積んできた武士と言えども、昨日今日で身につく程に氣功は簡単な物ではござらぬよ」
武芸十八般全てに通じているという噂通り色々な武器を日替わりで稽古しているらしく、今日は木刀ではなく錫杖の様なものを手にしている。
「兄上……」
「昨日も言ったが、お主はまだまだ幼い、そう焦る必要はない。先ずはよく食らい、よく寝てよく稽古する。そうして身体を作ることが先決だ。さすれば、自ずと氣功の兆しも見えてこようぞ」
……義二郎兄上、これだけしっかりとした事言えるのに、なぜ家族達からは馬鹿者扱いされるのだろうか?
ワシワシと頭を撫でられながら、俺はそんな疑問を抱いていた。
それは稽古を終え朝食の席での事だった。
何の前触れもなく、地響きを伴った爆発音が屋敷中に鳴り響いた。
その轟音は前世で聞き覚えのある銃声の比ではなく、映像で見た記憶のあるガス爆発事故の時のそれに近いものに思えた。
それに驚き箸を取り落としたが、なぜか俺以外には驚く素振りすら見せるものは居ない。
「おぉ、ここしばらくは随分と静かじゃったが、久々にやらかしたみたいじゃのぅ」
苦笑交じりにそう言う父上の様子からは特に焦ったりするものは無く、日常的にある事なのだと感じられた。
「そうじゃな……志七郎や、特に問題は無いと思うが念の為じゃ、飯を食い終わったら池向こうの離れに智香子の様子を見に行ってくれ」
「はぁ……、わかりました」
味噌汁を啜りながらそう命じる父上に、自分と周りとの温度差に戸惑いながら、ただ素直にそう頷くことしかできなかった。
食後、父上に言われた通り離れへと足を向ける。
一番大きな庭の一角には、大きな池がありその池を挟んで屋敷の反対側に件の離れがある。
街で見た商家や下屋敷とくらべても決して大きいとは言えない建物だが、家臣や兄上達が暮らす長屋に比べるとかなり造りがしっかりしており、結構な金を掛けて建てられた様に見受けられる。
ただ、その屋根が屋敷は瓦葺きなのに対し、草葺きであることから完全に建築様式が違う建物に見える。
近づくまでもなく、離れからは黒い煙が上がっており、何かが焦げる臭いが風に乗って感じられた。
だが火の手が上がっている様子は無く、父上や他の皆の反応通り緊急性は無いのだろう。
池をぐるりと回りこんで、離れに近づくと扉という扉、窓という窓、その全てが開け放たれており、煙がモクモクと上がっている様子が伺えた。
……これだけの煙が上がっているのに、火の気が感じられないのはある意味不思議だ。
手ぬぐいを口に当て、煙を吸い込まないように中を覗こうとした時だった。
「おょ? あややや、これは志七郎君。驚かせちゃったみたいなのー」
見た感じ中々に逼迫した惨状に見えるその場に似つかわしくない能天気な声で誰かに呼びかけられた。
慌てて振り返るとそこには厚手のワンピースにポケットの沢山付いたベストという、洋服姿の少女がそこには居た。
「……智香子姉上?」
思わず切り返した声が疑問形だったのは、俺が見たことの有る彼女は稀に広間に食事をしに来た時くらいであり、その時には他の人達と同じように和装であったからだ。
……というか、生まれ変わってから洋服を身につけた人間を見たのは間違いなく初めてだ。
「はいはーい、姉上なのですよ―? いやー、久しぶりにやらかしちゃったの―」
てへへっ、と頭を掻きながらそういう彼女は、14歳という年齢以上に幼くも見える。
「……やらかしたっ、て何が有ったんですか?」
「あやややー。新しい調合を試したら、大失敗しちゃったの―。やっぱりレシピに載ってる素材が手に入らないからって、代用素材を使うのは難しいの―」
あれ? 今レシピって言った? だが、街では拉麺とか飯場賀とか外来語を見かけない訳でもないしおかしな事ではない、のか?
「いやー、義兄ちゃんが、頼んでた素材持ってきてくれたからって、ちょっと調子に乗りすぎたの―。やっぱり天狗の羽箒じゃ、重力石の代わりにするには霊力が足りなかったの―。今度は大天狗の羽団扇で試してみたいの―。でも、結構いいお値段になるし、しばらくは普通の霊薬とか術具とか量産が出来て、需要もある物で資金を稼がないといけないの―。そもそも、入万袋を作る素材は西洋でも希少なのー、植生もモンスターの種類も違う極東地域で作れるレシピなんてまだまだ確立されてないの―。西洋から輸入された素材を使えば間違いなく作れるけど、どう考えても材料費が高く付き過ぎるの―」
早口でそうまくし立てる智香子姉上のセリフには所々で聞き捨てならない言葉が混ざっていた。
モンスターって、西洋って、この人はこの国以外の外国に対する知識があるのだろう、というか服装からしてそうに違いない
そんな考えを余所に、姉上は未だ軽快な口調で長々言葉を紡ぐが、その内容はどんどん専門的な物になっていき、俺の耳には右から左に抜けていく。
「……だから、今回の失敗は必然なのー。決してあっしの腕が悪いとか、師匠の言い付けに背いて手抜きしたとかじゃないのー」
言いたい事が一段落したのだろう、そう言って姉上は一瞬口を閉ざした。
「ところで姉上、ここでこうして話をしていて良いのですか? 後始末をしなければならない様子ですけど……」
放っておけばまた再び止まること無く長々と話をされるのが予想できたので、慌ててそう口を挟んだ。
「あやややや! そうなのー、吹っ飛んだ釜を再構築しないとだし、衝撃で色々吹っ飛んじゃったから、部屋の掃除もしないといけないのー」
「ではお手伝いしますから、早々に済ませましょう」
ため息と共に俺はそう口にした。色々と聞きたいこともあるし、彼女の事を知るにはいい機会だろう。
そう、自分に言い聞かせながら。