百四十五 志七郎、三人の受け入れを見守り、色を感じる事
母上が上げた鶴の一声で三人は諸手を挙げて我が藩に受け入れられた……という訳ではない。
当然と言えば当然の話である、今屋敷に残っている家臣達は短い者でも祖父の代から猪河家に仕えてきた者達だ。
そんな所にどこの馬の骨とも解らぬ者達をいきなり『一緒に暮らす新しい仲間』などと言われてもはいそうですかと行く訳が無いのだ。
流石に母上が受け入れを決め、それを表明した以上表立ってどうこう言う者は居ないが、表情や態度の端々に彼等に対する不満の様なものが見て取れた。
しかも母上は俺や智香子姉上、そして三人にも素性を家臣達に語ることを禁じ、彼等の扱いに付いても家臣に準ずる物とするが正式に召し抱えた訳ではない、と説明するに留まった為、若い家臣達の間では憶測が憶測を呼び色々と酷いことに成っている様だった。
そして彼等が我が家へとやって来て数日、彼等を少しだけ心配し気を配る様に心掛けて居たのだが……。
「よっしゃ! もう一丁! どっからでもかかって来なはれ!」
家臣の一人を打ち倒した豚面は愛用の金棒を肩に担ぎ上げ、周りを取り囲む他の者達を視線で牽制しながらそう声を上げた。
全身を覆う分厚い筋肉とその得物から解る通り、豚面の戦闘スタイルは完全なパワータイプで、動き事体は鈍重その物である。
それでも若手とはいえ家の藩士を圧倒しているのは、間合いや呼吸の掴み方が異常に上手いからだろう。
今も四人を同時に相手取っている筈なのに、遠目から見る限りでは一対一の勝負を連続で繰り返しているだけにしか見えない。
「あっしもまだまだくたばっちゃいないのよ、豚面だけに気を取られてたら、後ろからバッサリいっちゃうわよ~」
その囲みの外、打ち合っていた家臣の刀を弾き飛ばしその喉元へ刃を突き付け、相手が降参の意を示すのを待って、望奴が声を上げた。
細身の長身と言った風情の望奴だがその得物はなんと小太刀、それも二刀流だった。
腰に差した鞘は普通の太刀の物に見えたのだが、どの様な細工がしてあるのか鞘の前後両方に刀が収められていると言う、不可思議な構造に成っている。
二刀を器用に使いこなす彼は、力よりも速さと技を重視する質の様で、その手数が尋常では無い、試し切りの時に見せたのは一呼吸の間に左右で三度ずつ、合計六回もの斬撃を繰り出すという早業だった。
更に実戦となれば彼の作った様々発明品や霊薬、術具をも使いこなすと言うのだから、その実力は計り知れない。
「ふむ……流石は奥方様が推挙する者達、良い腕をしておりますなぁ。あれほどの者達が在野であったとはのぅ」
俺の横で家の若手と二人の稽古を見て、笹葉が素振りの手を止めそう言った。
この実践さながらの稽古は笹葉が言い出した物である、彼等が少しでも早く家と家臣達に馴染める様にと考えての計らいだった。
『武勇に優れし猪山の』と謳われているだけあって、我が藩の者達は比較的脳筋気味であり、実力を認めたならば受け入れるのは早い、逆に言えばその実力を示さない限りは決して受け入れられる事は無いと言う事らしい。
「あの二人がかなりの使い手なのは、軸の振れない立ち振舞で理解出来ていた事です。むしろ俺が驚いたのはあちらですね……まさか、姉上と互角以上とは……」
そういう俺の視線の先には薙刀を振るう礼子姉上と、それに素手で対抗する瞳嬢の姿があった。
「ああ! もう! いい加減、一発くらい殴らせなさい!」
「馬鹿をお言いでないよ! 幾ら刃引きとは言えそんだけ氣が乗ってりゃ、下手をしなくてもあの世行きじゃないかい!」
苛立った様子で礼子姉上が薙刀を振るうが、瞳嬢はそれを見切り躱し、時には腕で攻撃をいなし少しずつ少しずつ前へと進み、突きと蹴りを繰り出すがやはり得物の間合い差は大きくどちらもクリーンヒットは一度も無い。
瞳嬢の振るう技は、俺の見る限り前世で言う所の『空手』に近い様に見える、あのやたらと裾の短い着物も蹴りを繰り出しやすい様にする為の物らしい。
この火元国では女性用の下着……パンツは一般的な物では無い、褌を身に着ける者も居ない訳ではないが、それとて一般庶民にとっては晴れの日の正装の一部であり、江戸に住む者の大多数は『穿いていない』のが普通だ。
とは言え、あれだけ足を大きく上げて蹴りを繰り出している以上、色々と見えてはいけないものが丸見えになりかねない事を考えると、相応の対処はしているはずである。
流石に覗き込む様な真似は出来ないし、しようとも思わないので真実は解らないが……。
俺がそんな下世話な事を考えている間にも勝負は続きそして決着を見た。
打ち込まれた薙刀を身を屈めて潜りぬけ、その峰に左手を強かに打ち付けると、それによって姉上の身体が僅かに流れ、その隙を逃すこと無く繰り出された右拳が眼前に寸止めされたのだ。
「あたしの勝ち……だね?」
瞳嬢は笑いながら勝ち名乗りを上げるが、恐らくは薄氷を踏む思いでの勝利だったのだろう、その笑みはどこと無く無理をして浮かべて居るように見えた。
礼子姉上は我が藩の女性の中ではおミヤを別格とすれば最強と言える、母上も決して弱くは無いのだがやはり姉上の持つ膨大な氣を持つ有利さは覆し難く、純粋な技量は兎も角、総合的な戦闘力となると姉上が数段上と言う事になる。
この世界にも剣道三倍段と言う言葉は有る、無手で剣を持つ者を打ち倒すには三倍の実力が必要だという意味合いで使われる言葉だが、剣に限らず得物の長さの差と言うのはそれだけで大きなアドバンテージに成るという事だ。
その礼子姉上を稽古とは言え打ち倒したのだから、瞳嬢の強さは尋常では無いと言えるだろう。
「ええ、お強いですねぇ、瞳さん……。わたくしも少しは自信が有ったんですけどねぇ」
薙刀を置き、袂から取り出した手ぬぐいで汗を拭いながら、此方も力ない笑みを浮かべそう答えを返した。
「そりゃね、あたしの方が四、五年は長く生きてるんだ。事武芸に置いては一年だって長すぎるくらいさね。それにあたしは神の加護こそ持っちゃいないが、ここ十年ばかりは鬼斬りを繰り返して来たんだ、その実戦経験は伊達じゃないよ」
むんっと力こぶを見せつけるような素振りでそう笑う瞳嬢は、靭やかで力強い黒豹の様な美しさを纏って居るように見える。
どうやらそう感じたのは俺だけでは無いようで、笹葉が喉を鳴らし、望奴や豚面と打ち合っていた筈の若手達も彼女の笑顔に見惚れ、手を止める者が多数居た。
ぱっと見る限りでは健康的な美しさなのだが、そこはかとなく艶めかしさを感じさせるのはなぜだろうか。
見目の美しさだけで言うならば姉上も決して劣っているとは思わない、前世の世界ならば女優やモデルと言った芸能人としても十分以上に活躍出来るだろうルックスの持ち主だ。
だが瞳嬢の魅力はその見た目だけでは無いのだろう、俺には理解出来ないが家臣達の一部は彼女を見る目が変わった様に思える。
それは情欲や色欲と言った物で目を血走らせた風情であり、端から見てみっとも良い物では無い。
「ん、ん……」
その事に自分で気が付いたらしい笹葉は、自分がその様な目で瞳嬢を見たことを誤魔化す様にわざとらしい咳払いをした。
すると、手を止めていた者達もハッと顔を上げ、欲情を振り払う様により一層力強く得物を振り始める。
人によっては真剣を手にしている者も居る、稽古中に気を抜けば下手をせずとも怪我では済まず命を落としかねない。
そんな事は重々承知である彼等が色香に惑わされると言うのは、それこそ尋常の事ではない。
そんな彼女を娶る者は色に溺れる事無く、色に狂った者から彼女を護れる、そんな剛の者でなければ、身を持ち崩す事になるだろう。
……傾国の美女と言う言葉が有るが、瞳嬢はまさにそれなのかも知れない。




