百四十四 志七郎、三人の去就と婿取りに付いて話し合うの事
「お話は解りました……、まったく智香子が絡むとどんな事でも平穏に終わると言う事は無さそうね」
家宅捜索へと来ていた役人達が、目的を終え屋敷から引け始めたのと殆ど変わらぬ頃、母上が信三郎兄上と連れ立って帰って来ると、おミヤから母上へ話が通されたらしく、俺、智香子姉上、そして瞳嬢達の五人が密談用の離れへと集められた。
そして扉が閉じられると、母上は眉間に皺が寄るのを伸ばす様に揉みながらそう言った。
「今回の事はあっしの所為じゃねーの……」
「そうです、決して錬玉姫の所為じゃ有りません、迷惑を持ち込んだ私達が言えた義理じゃないですが……」
そう反論の言葉を口にする姉上と、それに同意し彼女を弁護しようと試みる瞳嬢、だがその二人の言葉も、母上にギロリと音がするほど鋭く睨めつけられると口を噤んだ、その視線に込められた『黙れ』と言う意思を感じ取ったのだろう。
「仔猫の事はそれに掛かる費用さえ負担してくれるってぇなら、おミヤが了承すりゃ済む事、問題はそっちの三人の先の話なのよ……そっちの二人はこの御嬢さんを娶るつもりは有るのかい?」
色々と思う所が有るらしい母上はため息を一つ付き、それから唐突にそんな事を言い出した。
「ふぁ!? そ、そりゃそんな恐れ多い事出来るわけねーですよ! あっし等にとって瞳嬢様は飽く迄主家のお嬢様。それを娶るとかもー、そんな事しちゃったら御館様にもご先祖様にも申し訳が経たないのよ」
望奴は本気で焦った様子を見せながらそう返答を口にする。
「それにあっしじゃどう逆立ちしても豹堂家を再興する事ぁ出来ねーの。瞳嬢様にゃぁ文武に優れた良い婿さんを取って貰って仕官してもらわねーと……」
ただ家名を繋ぐだけならば適当な相手で、それこそ体面を気にしないならば行き摺りの相手だって構わないだろう、だが彼等が望んているのは『御家再興』
幕府重職にあった豹堂家を同等もしくはそれ以上に盛り立てたいと言っているのだ。
その為には錬玉術師の出来損ないでしか無い自分には荷が重い、役者不足なのだと望奴は心底そう考えているらしい。
「ワテにも瞳嬢様の旦那は務まりませんわ。ワテは二人と違うて頭悪いさかい、先の事も考えへんで有る分全部食うてまうねん。せやから、二人が居らなんだらワテはとっくに飢えてくたばってますわ。ワテに出来るんは二人の言う通りに暴れるだけでんねん」
腕力と体力には自身が有るが考える事は自分の仕事では無いと豚面は言う、人の上に立つ以上そうは言ってられないのだが、自分にはその能力は無いと自認しているのだ。
「そう……じゃぁ、我が猪山藩が貴方達二人を召し抱える、と言ったらどうするのかしら? もちろん望月、豚川両家を再興出来る様に武家に相応しい嫁は私が責任持って世話するわ」
二人の言い分を聞き母上は口角を少しだけ上げると改めてそう問いかけた。
それはたぶん二人にとって余りにも残酷でそして甘い誘惑だった、瞳嬢を切り捨てれば二人の仕官を認め猪山藩士としての立場を与えると言っているのだ。
だがそれは愚問以外の何物でも無かっただろう、もしも彼等が瞳嬢を切り捨てるという選択が出来る人間だったのならば、とっくの昔にそうしていた筈だ。
主君が自害した際、彼女の母が亡くなった際、彼女の従兄を半殺しにして出奔した際、そしてそれからも彼等が彼女を見捨てる機会は今までだって幾度と無く有っただろう、だが彼等はそれでも彼女を主家の姫と立て続けて来たのである。
今更、仕官を餌にされた所で、彼等が瞳嬢を捨てて自分達の出世だけを望む訳が無いのだ。
「お言葉有り難く存じますが腐っても我らは武士、主家を裏切っての栄達を望む程には腐れて居りませぬ」
そんな俺の考えは間違って居なかったらしく望奴はその表情を引き締め、普段の軽薄そうな町人言葉を止め、侍然とした面構えでそう言って平伏した。
「我らに慈悲を賜る度量がお有りだと申されますならば、どうか瞳嬢を、豹堂家を、我らが姫をお引き立てくださいませ」
豚面もまた思いは同じ様で、両の拳を床に押し付け額づきそう言葉を続ける。
そんな二人の姿を見て瞳嬢は目尻に涙を浮かべたまま何を言う事も出来ない様だ。
「ふむ……三人とも合格ね。夫が江戸へと戻り次第、我が藩が責任を持って豹堂家再興に相応しい婿を紹介してあげるわ。まぁ……ちょっと薹が立ってるけれども、行き遅れてるのは今更の事だし大丈夫でしょう」
三人の表情や所作を見て、その中に嘘は無いと判断したらしい母上は満足そうに頷きながら、そう口にした。
俺の感覚からすれば、二十歳そこそこの瞳嬢はまだまだ若い娘さんの範疇なのだが、結婚適齢期が十五前後で有るこの世界では彼女はもう『行き遅れ』の『年増』である。
本当の事では有るがそう言い切られた瞳嬢は、涙を引っ込め引きつった笑みを浮かべていた。
「取り敢えず、何時までも市井の長屋暮らしってのもなんだし、そちらは引き払って家においでなさい。殿方二人は家臣用の長屋に部屋を用意するし、御嬢さんは家できっちり武士の嫁としての嗜みを仕込んで上げるわ」
その言葉は事実上、豹堂家、望月家、豚川家の三家再興に猪山藩が尽力するという宣言に他ならなかった。
「さて……望月殿の事は智香子に任せるわ、貴方の師匠が育て切れなんだ兄弟子なのだから、その憂いは貴方がきっちり決着を着けなさいな」
母上は三人が荷物をまとめる為この場から去るとそう姉上に命じた。
「はいなの、あっしにとっても望む所なの」
どうやら姉上は三人を我が家に抱え込むと母上が言った時点でそうなるものと踏んで居たらしい。
だが父上の判断を待つ事無く三人の去就を我が家で握る事を決定しても良かったのだろうか、特に豹堂家は不名誉な理由で実質的に取り潰された家だ、その再興を猪山藩主導で行うのはリスクが大きすぎる様に思える。
「あら、しーちゃんは彼等の事が嫌いかしら?」
普段から顔に考えを出さない様、意識して来た甲斐有ってか、完全に考えを読まれた訳ではない様だが、それでもまだまだ表情に感情が出ているみたいだ。
「いえ、彼等がどうという訳では無く、彼等を我が藩で受け入れる事で受ける不都合が大きいのでは無いかと思いまして」
と、素直にそう疑問の声を上げると、
「あら、彼等を……いえ、豹堂家を我が藩主導で再興する事が出来れば、幕府の要職に着く家に大きな貸しを作る事になるわ。それは多少の危険を冒してでも取るべき方策だと私は思うわ」
と彼等に対する同情では無い、夫の留守を守る主君の妻の顔でそう断言した。
母上に拠ると、我が猪山藩は上様が将軍職に居る限りは確かに安泰と言えるが、次代の将軍がどこの藩に居る子が立つかで、その立場が大きく損なわれる可能性が有るのだという。
友好藩や中立藩ならばそこまでひどい事には成らないだろうが、万が一敵対している藩に世話に成っている者が将軍に擁立されれば、我が藩が冷遇される事も考えられるのだ。
最悪の場合、揚げ足取りとしか思えぬ理由で取り潰しと言う事もあり得る話なのだと言う。
幕府の要職に有る家と友好を結ぶ事が出来ていれば、そう言った最悪の事体を避けられる可能性が出てくるらしい。
無論、現状でもそういう伝手が無い訳では無い、だが使える手は多ければ多い方が良い。
それ故に母上は彼女達を助ける事に決めたのだそうだ。
「それにね、智香子が何処かに嫁に行けば、今までの様にこの子が作る霊薬や術具に頼れなくなるわ、嫁ぎ先の都合が最優先になるからね。でも、もう一人位腕の良い錬玉術師に貸しを作っておけば、大分マシに成るでしょう?」
ああ望奴も錬玉術師として一人立ち出来る様に育てれば、そういうメリットも有るのか。
そして、っと母上は博打にのめり込んで居る時と同じ、悪そうな笑みを浮かべ誰に言うとでも無く口を開いた。
「あのお嬢さんの婿に家の者を押し込んでおけば、どっちの意味でも使える手札に成るわ……、五つ六つ姉さん女房でもあの子なら何とかなるでしょ……」
彼女に宛がう婿の算段はどうやら母上の中では既に決まっているらしい……。
それが誰かはわからないが、そこを深く突っ込むのはなぜか危険な気がして、俺はその言葉を聞かなかった事にした。




