百四十三 志七郎、皆の行末を案ずる事
重い思いにどの様な言葉を返すべきか俺が迷い沈黙すると、彼はこの話は終わりだと言わんばかりに、さも美味そうに煙管を咥え煙を大きく吐き出した。
「増平様! 増平様! どちらに居らっしゃいますか?!」
そんな時である中庭の方から、焦りを隠さぬ声色で増平様を探す声が上がった。
俺達が居たのは台所の直ぐ外、勝手口のある屋敷の裏手である、幕府の老中である増平様がこんな所に居るとは考えても居ないのだろう、その声はこちらへは一向に近づいて来ない。
「おう此方じゃ、此方」
煙管で手を打ち吸い殻を落としながらそう声を上げる、すると何やら慌てた様子で一人の捕り方が此方へと走って来た。
「増平様、此方に居られましたか」
余程急いで居たのだろう、彼は俺の方を一瞥すらする事なくそう言った。
「もう帰る時分かい? そろそろ一通り終わったじゃろ」
そんな彼の様子に気が付かない訳が無い筈なのだが、増平様は表情一つ変えること無く、くるくると煙管をペン回しの要領で手遊びながら言葉を返す。
「いえ、ソレが困った事になりまして……」
そう言われ増平様は一瞬気遣う様な視線を俺に向けた、それに対し無言で首を縦に振り気遣い無用と意思表示する。
「……困った事?」
どうやら俺の意図は正しく伝わった様で、俺から視線を切り改めて呼びに来た捕り方に先を促す。
「へい、例の麻薬その物は無かったのですが、ソレとは別の……色々と不味い物が出てきまして……」
その言葉を理解するのに俺も増平様も一拍の時間を要した、そしてその後
「「……はぁ?」」
と二人揃って間の抜けた声を上げてしまったのは、きっと仕方の無い事だったはずだ。
我が屋敷の中庭、池に面した離れの前には多くの筵が敷かれ、その上には様々な物が並べられている。
その量は膨大で、決して小さいとは言いがたい離れの建物でも、その全てが中に有ったとは思い辛い程である。
その一角、あえて一纏めにしてあるのだろう、薬学や錬玉術に付いてド素人である俺ですら、一目でヤバイと解る毒々しい物が積み上がっている場所があった。
そこで姉上は取り調べとは一寸違うが、捕り方達を取り纏める立場の者と思われる年嵩の役人に詰問を受けて居る様だった。
「これは明らかに毒キノコの類であろう、こんな物を何に使うつもりだったのだ!」
そう言う彼が分厚い皮の手袋で持っているのは、燃えるような赤に雪のような白の水玉が入った、まさに絵に書いた様な『毒キノコ』である。
「それは『超力茸』て言うキノコなの、強壮剤や筋力強化薬の材料になるの。そのまんま食べると言う通り死ぬこともあるけどね」
そのまま食べれば死ぬって……それは、つまり毒キノコと言って間違っていないと言う事ではなかろうか?
「では、コレは? これはどう見ても『大鬼殺毒矢蛙』では無いか、これこそ殺し以外の何に使えると言うのだ」
人の顔ほどもある大きな蛙の干物を指し示しそう問う、毒々しい赤紫と黄色のまだら模様はやはりあからさまに毒が有ると言わんばかりだ、乾燥させてあの大きさなのだから生ならばどれほど大きいのか……。
「毒腺は取り除いてから乾燥させてるから、毒としては使えないのー。これは他の薬草と混ぜて煮出せば強心剤になるの」
その他にも『百歩蛇』という噛まれたら百歩も歩かぬ内に命を落とすと言われる危険な毒蛇や、『大土蜘蛛』という大人の掌程も有るやはりこちらも毒蜘蛛、更には蠍までもが生きたまま籠の中で飼育されている。
確かに彼等が言う通りここまであからさまに毒の有る物が大量に有れば、疑わない方が難しいかもしれない。
まぁ、毒と薬は紙一重、使い方や調合次第でどちらにでも成ると言う事なのだろうが……。
「おぅおぅ、こりゃ大漁じゃのう……。で、智香子殿、見た所幾つかは幕府の許可無く所持する事を禁じている品のようじゃが……きちんと申請はしておるかの?」
姉上と役人のやり取りを見、更に並べられた品々を見回した後、増平様は好々爺の笑みを浮かべたままそう問いかけた。
「幾つかは、昨日今日入手したばっかりの物だからまだ申請書出してないけど、それ以外はちゃんとしてるの」
「ふむ……なら話は早いのぅ。だれぞひとっ走り薬種改所へ行って目録の写しを貰って来いや、それと突き合せりゃ良いだけの話じゃろ。というか薬師や錬玉術師の所へ来るのに何故持っとらんのじゃ……」
呆れた様にため息を付きながらそう指示を出す。
「はっ、申し訳ありません。本日は『発する』関連の取り締まりだけで、それ以外は手を出さぬ予定だったのですが……、あまりにもあからさまに怪しい物があったので……」
前世に俺が経験した家宅捜索では、違法不法問わず疑わしい物は全てチェックし、当初の捜査対象では無い物であってもそれを理由に別件逮捕をする事は多々有った。
だが此方の世界では捕り方の大半は専門の捜査官ではなく、同心という役職に付いた武士に仕える者達で、あらゆる犯罪に精通しているという訳では無い。
それ故にこうした大々的な捜索の際には、毎回探すべき物を限定しなければ仕事に成らないのだそうだ。
現場で捜索対象外の禁じられた品が見つかっても、そうとは知らずスルーされるなんて事もままある事らしい。
なので今日も本当ならばこんな面倒な状況に成る事は無かった筈なのだが、誰が見ても危ないと解る物がゴロゴロと出てきてしまったので、スルーしきれなかったと言うのが実情の様だ。
「明らかなご禁制の品で有れば取り締まるのが当然じゃが……、それを見つけてもそれが解ら無かったり、見ないふりをする現状は少々問題じゃのぅ……なんとかせねば成るまいな」
と、増平様は腕を組み考えこむ素振りでそう呟いた。
姉上の方は問題無さそうだと判断し、俺はおミヤに説教を受けるあの三人と仔猫の事が気になりだしたので台所へと戻る事にする。
どうやらおミヤの説教は終わっていた様で、三人は疲れ切った顔をして台所の外でへたり込んで居た。
「おや、終わったみたいですね」
そう声を掛けると、
「……あぁ、久しぶりにがっつり叱られたよ。多少何かをやらかした所で、あんなふうに叱り付けてくれる人なんて、もう誰も居ないからねぇ……」
一寸だけ顔を上げ、懐かしい物を思い出すような表情で瞳嬢はそう言った。
望奴も豚面も瞳嬢より年上では有るが、二人共彼女を主と仰ぎ見る立場で、余程の事が無ければ叱り付けるという事は出来ないだろう。
長屋の大家は店子を自身の子供の様に扱うと言う話も聞いた事があるが、それでも町人では浪人とはいえ武士である彼女達には遠慮が出るのかもしれない。
そんな彼女達を子供に対してする様に叱り付けたおミヤの態度は、彼女達にとって今は無き両親を思い起こさせたのだろう。
そしてそれは彼女だけで無く、望奴や豚面にとっても同じの様だ。
「で、あの子達の事はどうすると?」
思い出に浸る彼女達には悪いが、そう言って話の先を促した。
「一応、殺さずに済むとは言ってくれたのねぇ。ただあの子達が大きく成るまで、その養育費はあっし達持ちって事だから、稼ぎどころか大赤字もいい所なのよ……多少の蓄えはあるケド、コレでパァよパァ」
トホホっと演技だった口ぶりでそう答えを返したのは望奴だ。
「後の事は悪い様にはせえへん言うてはりましたけど……ワテらこの先どうなりまんねんなぁ」
ズズッと汚らしく鼻を啜り、豚面は宙に視線を彷徨わせながらそう言いため息を付いた。
明日をも知れぬ彼等の未来に幸は有るのだろうか?




