百四十一 志七郎、江戸へと戻り睨み合う事
そうとなれば話は家に帰ってからだ、と言う事で俺達は彼女達と子猫達を連れ遠駆要石を使い江戸へと戻る。
「じゃぁ、あっし等は材料を調達してくるから、志七郎君と瞳さんは先に帰って欲しいの」
そして我が家へと向かうのだが、その途中で姉上と望奴、そして豚面の三人は追加のミルクを作る為の材料を調達する為、合わせて薬問屋への顔繋ぎの為別行動する事に成った。
なお望奴、豚面同様、現在は在野の身と言う事で瞳嬢についても苗字では無く、名前で呼ぶように言われている。
当初は薬問屋への紹介を兼ねて姉上と望奴の二人だけで行くと言う話だったのだが、豚面の猫アレルギーによる物と思われる症状が端から見ても酷い状態に成って来たので、一度子猫達から離れついでに何か対処法が無いか薬師のお婆に聞いてくるのだそうだ。
「では瞳嬢、猪山屋敷へと向かいましょう。あ、籠は俺が持ちましょうか?」
一応俺にも男の矜持と言うかそういう物が有り、彼女に大荷物を背負わせたままというのも気持ちが悪く、尚且つ臨戦態勢を維持しなければならない状況でも無くなった為そう申し出る。
すると瞳嬢は一瞬呆けた様な顔をした後、
「アッハッハッハ、流石は猪山の『鬼斬童子』ちんまい形してても、一丁前の男だってかぃ? アタシだって断絶したとはいえ武家の娘、こんな荷物の一つ二つで音を上げやしないよ、お気にしなさんな」
とさも可笑しそうに笑われては、手を出すわけにも行かない。
服装さえ選べば手弱女と言う言葉が似合いそうな彼女だが、その言葉通り身のこなしに危なげな所も無く、氣の扱いも俺以上に熟達している様子で、荷物の大きさや重さは全く負担に成っておらず、それどころか寝ている仔猫達を気遣い揺らさない余裕すらある様だ。
「問題無いなら、良いです。じゃぁ行きましょうか」
そう言って連れ立って歩きだす、時折四煌戌が走りだしたそうな素振りを見せるが、結んだ綱を引いてそれを制止しながらゆっくり我が家を目指す。
特に会話も無く静かに歩き続けて、江戸を南北に走る朱玄川に掛かる橋を渡って居る時の事だった。
「……なんだか今日はやたらと捕り方がうろついてるね、何処かで大捕り物でも有ったのかしら?」
辺りを伺う様な様子を見せると、瞳嬢がそう言った。
言われてみれば確かに普段の見回りとは違う、少しだけ殺気立った様子の捕り方達がちらりほらりと散見された。
だがそれは俺の前世の経験からすると、犯人を追い詰めたり追いかけたりする様な切羽詰まった現場の気配とは違い、どちらかと言うと家宅捜索で証拠を抑える前の刑事が醸し出す緊張感が近いように思える。
「何が有ったかは解りませんけれども、普通では無さそうですね……。少し急ぎましょうか?」
もしかしたら何か事件が有ってその後処理中なのか、または犯人が捕まっておらず捜索をしているのか、はっきりとしたことは言えないが早々に屋敷へと戻るのが正しいのではなかろうか。
「そうだね、別に後ろ暗い事が有るわけじゃ無いけれど、あんまり良い気持ちもしないしねぇ」
と意見が一致した所で、少しだけ足を早める事にした。
「御免、御方猪山藩の者に御座るな? 御役目により制止させて頂いた」
だが、そんな俺達の行動も結果として何の意味も持たなかった。
どうやら家宅捜索と言うのが正解だったらしく、しかもその対象と成っているのが我が猪山屋敷だったらしい。
まさか我が家がそんな対象と成っているとは露も思わず、門前へとまっすぐにやって来た所で、捕り方の一人に呼び止められたのだ。
「はい、私が猪山藩主猪河四十郎が七子、猪河志七郎ですが?」
一寸、訝しみながらそう答えを返すと、
「となればご一緒に居らっしゃるのが『錬玉姫』様で御座いますな? お待ちしておりました、ささ早々に中へと……」
と有無を言わせぬ切羽詰まった雰囲気で門の中へと通された。
そして前庭の様子を見て息を飲む。
屋敷に一歩も踏み込ませまいと刀に手を掛けたまま鋭い視線で牽制している笹葉達、我が藩の家臣と、これまた御役目故一歩も引けぬと言った風情の捕り方達が、一触即発の気配を放ちながら睨み合っていたのだ。
「ちょ!? い、いったい何が有ったんですか!?」
慌てて双方の間へと走りこみそう声を上げる。
「おお、志七郎様、お帰りなさいませ……、智香子姫様はご一緒では?」
すると、笹葉が緊張の顔色を消さないまでも刀から手を離しそう返答した。
「姉上はもうしばらくすれば帰ってくると思いますが、何が有ったんですか? 母上や信三郎兄上はどうしたんですか?」
父上や兄上達が不在の間最終的な判断と責任は母上に帰属する、未だ元服していない信三郎兄上にはその権限は無いが、俺同様主家の男児としてその意見が封殺される事は無い。
「お二人共外出中に御座います。主家の方々が居られぬ以上、たとえ相手が上様のご下知を受けていようとも我が藩の屋敷で勝手をさせる訳には参りませぬ」
こうして家老の笹葉が先陣に立っている以上、二人共外出中なのだろう事は想像できたが案の定であった。
彼等家臣にとって幕府と言うのは決して『主家の主家』という事で無条件に従う対象ではない。
まかり間違って主家と幕府が対立した時には、主家のために命を掛け戦場に立つ覚悟があるからこそ、主家は家臣(幕府にとっては陪臣)を家族と同等以上に遇するのだ。
故にどんな理由が有ろうとも、彼等は主家である猪河家の人間の許可無く捕り方を屋敷に踏み込ませないと言う態度に成る。
対して捕り方の彼等は、上からの命令に従い何らかの理由が有って我が藩への捜索へとやって来たのだ、何もせずに『留守なのでまた今度』という訳にもいくまい。
「……解りました。家中の男子を代表し俺が対応させて頂きます、代表者は何方ですか?」
双方の事情を汲み取りそう声高に宣言すると、
「儂が幕府老中、増平宗篤である。久しいの『鬼斬童子』よ」
そう言って姿を表したのは、以前上様に駄菓子を献上した際に顔を合わせた煩型の老臣だった。
「猪山藩、猪河家の将軍家に対する忠義には一点の曇りも無き事、儂も上様もよう知っておる、されど今回の一件に置いては一人足りとも例外を許しては成らん案件でな……」
と重々しい口調で彼が説明の口を開く。
その話をまとめると、ここ最近江戸市中である『麻薬』が蔓延し始めているのだと言う。
その麻薬はこの世界でも一般的に知られている芥子から取れる麻薬、阿片――此方では阿芙蓉と呼ぶ――よりも強い習慣性を持ち、さらには『氣の増大』や『痛覚の鈍化』と言った鬼斬りの効率を上げる効果が得られる為、爆発的な広がりを見せているのだそうだ。
だが末端の売人を幾人も捕らえたが、今のところその大本となる出処がはっきりとせず、事体を重く見た幕府は江戸州中の薬師、錬玉術師の家宅捜索を決めたと言う事らしい。
通常ならば一般の捕り方が、大店でも管轄奉行が出向けば済む話なのだが、藩邸は江戸州内に有っても奉行の手が及ばない一種の治外法権の様な物が認められた、前世で言う所の大使館の様な扱いである。
それ故にわざわざ老中という幕府でも殆どトップと言って良い人物が出向いて来たのだ。
彼の言う通り猪山藩を疑う様な事は無く、智香子姉上がその様な犯罪で稼ぎを得ているとは、多分彼自身思っては居ない。
例外を出すことで幕府が軽んじられる事を避けると言うのが全てだと、その口ぶりからも理解できた。
「お話は解りました。俺個人としては後ろ暗い事等何一つ無いのですから、好きにしてくださいと言いたい所ですが、最も重要な場所だと思います姉上の工房については姉上が居なければ下手に触れませんので、今しばらくお待ち下さい」
痛くもない腹を探られるのは業腹では有るが、相手の立場も理由も理解できる。
「まぁ、そうじゃろな……。藩主殿のお子の言葉で有れば此方としても無理強いは出来ぬ、だが余計な隠し立てをされると後々面倒では有るのでな、申し訳ないが皆にも今しばらく付き合ってもらおうか……」
うん、どうやら姉上が戻るまでまだしばらく、このにらみ合いは続けざるを得ないらしい。




