百四十 志七郎、光明を口にする事
豚面を除く二人の涙が一段落したのを見計らい、姉上は手にした子猫達を籠に戻しながら、一同を見回し口を開いた。
「お三方の先の事は追々考えるとして、今はこの子達の扱いを決める事が先決なの」
姉上の言う通り望奴が用意したミルクを飲み干されてしまった以上、再び子猫達がお腹を空かせない内にその去就を決める必要が有るだろう。
流石にこの子達が飢え死にするまで放置するという事は無いとは思うが、母猫から引き離された上に飢餓に苦しませるのは可哀想過ぎる。
もともとの彼等は、農家なり見世物小屋なりに売り付け、更には乳離れするまでミルクを定期的に売る、と言う方法で定期収入も得ると言う計画だったらしい。
だが姉上の話に拠ると10年くらい前までは、『乳母の木の実』からミルクを調合するレシピは見習い薬師でも知っている程に一般的だったものの、乳母の木自体が希少だったため、こうもり猫の危険性を別とすれば、決して悪く無い計画と言えた。
だが乳母の実から取れるミルクはレシピを調整すれば、猫だけでなく犬等の他の動物はもちろん、人間の赤ん坊ですら育てることが出来る素材で、その需要は常に高い物だった、可能ならば栽培し量産体制を整える事を考えるのは当然の事だろう。
その試みは現在の幕府が開かれるよりも随分と昔から行われてきたが中々上手くは行なかった、それが変わったのはここ数年の事で、しかもその技術を確立した浅雀藩野火家は、その利益を独占する事を良しとせず大々的に公開したのだそうだ。
結果現在は、物の流通がしっかりとしている江戸や京といった大都市圏では、比較的簡単に手に入る様に成ったらしい。
とは言え流石に銭を出してまでミルクを買い求める事が出来るのは、武士や大店といった裕福な家庭ばかりであり、一般庶民の子供がそれを口にする事は先ず無いが。
しかしそんな世の中の流れを、日々の生活に追われた彼等は掴めて居なかったようである。
「せやから、瓦版は定期購読せなアカンって言うてまんねん……。浮世の事情に疎いままやったら、御家再興もままなりませんわ」
懐紙で鼻をかみながら豚面がそう言うと、
「稼いだ側からお前さんが食っちまうんだから、そんな銭は無いでしょ。そこまで言うならもう少し食費を削るけど良いわね?」
と瞳嬢が切り返す。
「また話が逸れてるの、そんな話はまた後にして、子猫達の事を決めないと駄目でしょー」
二人の掛け合いに苦笑を浮かべながら望奴がそう突っ込むが、
「「そもそもお前の計画に穴があり過ぎたのが問題なんでしょ!」」
と二人に怒鳴り返されていた。
「まぁ、貴方方の計画の是非は兎も角、この子達を救う方法を模索する……って方向で良いのですかね?」
放っておくといつまでもコントを展開しそうな三人にそう問いかける。
「こんな可愛いとは思わなかったんだよねぇ……代用品とは言え乳を上げちゃえば情も湧いて来るもんさね……。稼ぎどころか大赤字になるだろうけど、この子等を見捨てる様じゃ御家再興なんて夢のまた夢ってもんさ」
一瞬戸惑う様な表情を見せた後、瞳嬢はそう言って目を閉じ深い深い溜息を突く。
「幸い真面目に鬼斬りに励めば、今日明日の飯の心配をする様な事ぁないんだ。出来る限りの事はするよ……、望奴、豚面、異存は無いね?」
そして再び瞼を開けた時、その瞳にははっきりとした決意が見て取れた。
「そこまで言うなら、あっしもこの子等を絞めるなんて事ぁもう言わねーの。後は現実的な解決方法を考えるだけなの」
瞳嬢の言葉を受け苦笑を浮かべながらそう言う姉上だったが、どこかホッとしている様に見えるのはきっと俺の気のせいではあるまい。
「こうして見知ってしまった以上、俺としても見なかった事にするのは心苦しいですし、協力する事に否は有りませんから、餌の問題はある程度なんとかなりそうですね」
金銭的な支援は流石に彼等の自尊心的に受け入れづらいだろうが、四煌戌の餌の材料を手に入れる際に少しだけ多めに狩り、それをおすそ分けする程度ならば双方にとってさほど負担にもならないだろう。
「後の問題は……家の長屋じゃ、小さい内は良くても大きく育ったら流石に飼えないわねぇ」
「長屋で飼うなら、ワテはその部屋にゃ出入りできのぅなりまんねん……。流石に全く協力せぇへん訳やあらしませんけど……」
「少なくとも江戸市中の、それも長屋で飼うのは無理だと思うの……。せめて大名屋敷なり下屋敷なり確保出来ないと運動もさせてやれねーの」
住まいの問題、
「躾けもちゃんとしないと、人を襲ったりしたら洒落にならないでしょうねぇ……」
「そっちも小さい内は大丈夫だろうけど、やっぱり大きくなる前にちゃんとしないと、アタシ達までお縄だねぇ」
「普通の犬猫相手の躾けと同じで良えんかいな? やっぱり妖怪やし色々特別な躾が必要になるんちゃいまっか?」
躾の問題……。
これらを解決出来るかもしれない一つの可能性に俺は気がついた。
「家で飼うと言うのはどうでしょう? 家の屋敷なら広さも十分ですし、躾についても仁一郎兄上が帰ってくれば解決するのではないでしょうか?」
「広さは兎も角、この件では仁兄ちゃんの加護は及ばないの」
だが俺のその考えも、とあっさり姉上に駄目出しされた。
仁一郎兄上に加護を与えている『獣』神 鹿角媛様である。
兄上が育てる動物達が尋常では無い能力を獲得するのも、その加護が動物たちに良い影響を与えるからであり、動物達に懐かれるのもその扱いが特別上手いと言う訳では無く、加護により明確なコミュニケーションが取れるかららしい。
だがそれらは飽く迄も『獣』に対してのみ効果を発揮し、『妖怪』や『霊獣』『魔獣』といった普通の『獣』から外れる存在に対してはその神通力も及ばないのだと言う。
言われて見れば四煌戌も特別兄上に懐いていると言う事も無いし、霊獣特有の病気や育て方への注意点等兄上にも知らない事が有った。
「一匹二匹死なせる前提で試行錯誤するなら、兄ちゃんでもなんとかなるかもしれないけれども、流石にソレを私達が勝手に決める訳にもいかねーの」
兄上は加護の件を別としても生き物が好きだ、四煌戌が弱っていた時も自分の力が足りないと嘆いて居た記憶が有る、そんな彼に命を消耗品扱いする様な事を押し付けるのは確かに酷い話だろう。
「ちょいと待ってちょうだい? 仁一郎……って、もしかして『鳥獣司』? あんたら猪河家の子かい!? て事は『錬玉姫』に『鬼斬童子』ぃ!?」
と俺達の話を聞き瞳嬢が驚きの声を上げた。
「あ……そういや名乗って無かったのー、仰るとおりあっしは猪山藩猪河家四子二女智香子なの」
「同じく猪山藩猪河家七子四男志七郎です」
向こうには名乗らせたのに此方が名乗っていないと言うのは、礼儀として一寸問題の有る事ではあるが、言われるまで気付かなかったのだからしょうが無いだろう。
「うわぁ、ガッツリ有名人じゃないの……。猪山の七兄弟って言ったら全員加護持ちって噂だったけど……マジなの?」
「猪山と言えば石高だけなら一万石の小藩やけれど、その実態は百万石を軽く超える力が有るって噂でおます。そんな家と縁が出来るってワテらついてまんがな!」
俺達の名乗りを聞き、望奴と豚面が喜色満面の笑みを浮かべ、手を取り合って喜びだした。
「とは言え、流石に『妖』神の加護を受けてる者は家にはいねーの。西大陸の冒険者の中にはテイマーとか言うのが居るらしいけど、そんな所まで伝手は無いの」
妖怪に関する神様なんてのも居るのか……。
まぁ猫又も妖怪に分類されている訳だし、彼等に加護を与える神様が居ても可怪しくは無……ん? 『猫』!?
「そうだ! おミヤなら! いやおミヤが駄目でも根子岳の猫王様や猫仙人様に相談すればもしかして!」
そんな叫び声が口を付いた、それはか細いけれども確かな光明の様に思えたのだ。




