百三十九 仔猫腹くちくなり、過去に思いを馳せること
「ミー! ミーミー!」
「ミュ! ミュミュミュ!」
「アーニャ! ニャ!」
「ゥナァ! ゥナァ!」
「ミーォ! ミ~ォ!」
「ニーォ……」
そうこうしている内に子猫たちは一匹また一匹と目を覚まし、母猫の温もりが側に無いためだろうか、聞いてる此方が切なく成るような声で絶え間なく鳴き声を上げ始めた。
「あー、はいはい! ちゃんと用意してあるから一寸待ってちょうだいね~」
その様子にどの様な対処をするべきか判断を付けかねて一同を見回すのと、望月殿――浪人の身なので『望奴』と呼び捨てで構わないそうだ――がそう言って自らの袂に手を入れるのは殆ど同時だったと思う。
「じゃんじゃじゃーん! ウバノミルク仔猫用!」
どこかで聞いた事の有るイントネーションで言いながら取り出したのは、着流しの袂から出てきたとは思えない、人の顔ほどの大きさの瓶1つと針のついていない注射器の様な物3本だった。
「これは『ウバの実』の絞り汁に『極楽鳥の卵の黄身』なんかを配合した物なのよ。コレをシリンジに吸い出してっと……」
瓶の中身を注射筒で吸い出すと、彼は籠の一部を開け中から一匹を掴み出す、そしてその筒先を仔猫の口に押し込んだ。
「「「「おぉ!」」」」
思わず彼を除く4人の口から、揃って感嘆の声が漏れた。
内容液を吸い出す際に引いた棒が、彼が改めて押しこむ事をしていないのに少しずつでは有るが戻って行くのを見たからだ。
「ありゃまぁ、随分とお腹が空いてるみたいなのね。すんごい勢いで飲んでるわ」
その言葉の通り、俺が見定めたよりも随分と早く小さなシリンジ一本をあっさりと飲み干し、まだ物足り無いのか空になってもなお一生懸命に吸い付いている。
「ねぇ、望奴。他の子達にも上げないと可哀想じゃないかい? ほらそれ後2本もあるんだからさぁ」
その様子を見ていた瞳嬢は当にとろけるような、年の頃よりも随分と幼く見える表情で、自分にもやらせろと催促し始めた。
「もう、瞳嬢様ってばぁ相変わらず可愛い物に目が無いんだから……乱暴にしちゃ駄目ですよ?」
望奴は苦笑混じりそう言って、改めてシリンジにウバノミルクを吸い出して仔猫と一緒に彼女へと手渡す。
「わ、ワテもやってみたいでおます! あーでも……ふぃ……フィ……フィックション! やっぱり猫はアカンですわ……」
おっかなびっくりといった手つきで仔猫にミルクを飲ませる瞳嬢を羨ましそうに見て、豚川殿――此方も同様『豚面』で構わないらしい――が口を開くが途中で大きなクシャミを一つすると、慌てて距離を取った。
「では「じゃぁ! あっしがやるの!」
彼の代わりに俺が、と立候補しようとしたその時、それを遮る様に姉上がそう声を上げていた。
いや、まぁ良いんだけどね、良いんだけどね、うん……
「いやぁ、ギリギリ……ギリギリだった……」
望奴が瓶の中を覗き込み、震える声でそう言った。
瓶の中に入っていたミルクを6匹の仔猫は綺麗に飲み干した所で満足したらしく、ぽっこりと膨らんだ腹を晒したまま、子猫たちは俺達の手の中で眠たげに目をしばたたかせる。
今は俺と姉上、そして瞳嬢の手にそれぞれ二匹づつを持っている状態で、望奴は後片付けを、豚面は周囲の警戒に回っていた。
「トホホ……まさかアレだけ苦労して用意したのに、たった一食で全部飲まれるとは、全くもって予想だにしなかったのね……」
深々とため息を付き天を仰ぎ見る望奴、どうやらこの『ウバノミルク』とやらを作るのは並大抵の事では無いらしい。
「もしかして……『乳母の実』を自力で手に入れてきたの? あれならわっしのよく行く薬問屋で商ってるの」
そう言う姉上に拠ればその実のなる『乳母の木』は『蟠桃』同様、戦場等の鬼の棲家の奥に自生しているが、その有用性と需要の高さから一部の藩では栽培に成功しているのだと言う。
腐れ街の一角にあったあの薬屋に行けばほぼ安定供給されているし、その値段も決して目玉が飛び出る程高価という訳でも無いそうだ。
「へぇー、そんなお見世が有ったの!? しかも腐れ街って、あっしらが住んでる所の直ぐ側じゃないの」
しかし、そんな話を横で聞いていてふと気になった事が有る。
「てか望奴さん……あーた、もしかしなくても錬玉術師なの?」
俺が問いただすよりも早く、姉上が戸惑う様な表情でそう口にした。
「んー、錬玉術師……の成り損ないって所ですかね~」
望奴が瞳嬢に対して何か遠慮する様な視線を向け、彼女が少しだけ陰のある笑みを浮かべ頷くのを見て改めて口を開く。
彼の話に拠れば、豹堂家の陪臣であった望月家は代々霊薬作りを家伝とする家系だったそうだ。
十余年前、この火元国に新たな素材とレシピを求めた流浪の錬玉術師がやって来た際、望月家は外つ国の技術やレシピを得る為、彼を招き家伝のそれと交換をしたのだと言う。
それにより望月家延いては主家である豹堂家はこの国で随一の錬玉術師の家系になる筈だった。
だがその試みを半ばにして瞳嬢を巡る事件が巻き起こる。
結果、かの錬玉術師は再び流浪の旅へと戻り、当時はまだ若年であった望奴は多くの技術やレシピを学び切って居らず、多くが失伝してしまったのだ。
「見習い薬師が作ることを許されている類の霊薬はあっしでもなんとかなるけれど、それ以上となると流石に手探りで独学するにゃぁ、銭が掛かり過ぎらぁね。せめてあと一年……いや、半年でも師匠の所で勉強できれば稼げる技術になったんだけどねぇ」
自嘲なのかそれとも諦観か、感情のこもらない不思議な笑みを浮かべながら、肩を竦めため息混じりにそう言った。
「ん、間違いないの。望奴さん、あーたあっしの兄弟子なの!」
少しだけ考える様な素振りを見せた後、姉上はそう言い切って何時も手にしているあの巾着の底面を彼に見せつける様に差し出した。
そこには『三角フラスコに入った四葉のクローバー』を意匠化したと思われる紋章が刺繍されている。
穴が空くほどに見つめると言うのは本当にこういうことを言うのだろう、姉上のそれをじっと見たあと先ほどの道具をしまい込んだ袂から、色こそ違うがほぼ同じ物と思わしき巾着を取り出し見比べた。
「それは……お師匠様の紋章じゃねぇですか!?」
「やっぱりなの。時期的にもお師匠から聞いてる話と一致するの」
初祝を受けてさほど時が経たぬ内、錬玉術と言う聞き慣れぬ技能の加護を受けた姉上の元に、その技術を持つ師匠が招聘されて来た。
それは望奴の話を鑑みると、彼等を取り巻く事件でその人物が放逐されたタイミングと噛み合った結果だと言う事は想像に難くない。
「お師匠が言ってたの。もしかしたら自分よりも優れた錬玉術師になれたかもしれない卵が、権力争いという化け物に食われてしまったって……、きっとソレは望奴さんの事なの」
姉上に一通りの基礎となる技術とレシピを教え、あとは己自身で研鑽と研究を積む段階と成ったと判断し、彼は当初の目的通り新たな素材の研究の為に旅立った。
その際に彼はそう言い残して行ったのだそうだ。
ポロポロと静かに涙をこぼす望奴、喜びなのか悲しみなのかその涙に宿る感情は彼だけの物だ。
だがそれ以上に止めど無く涙を流す瞳嬢、きっと自分の為に夢も希望も奪ってしまったと、そんな思いが瞳嬢には有ったのだろう。
そしてそんな二人以上に、当に滝のようなと表現すべき程に涙を流し続けている男が居た、豚面だ。
止まることのない涙と鼻水、きっとそれは酷い猫アレルギーに依るものに違いない。




