百三十七 志七郎、助太刀する事
四煌達の先導で歩き始めて暫く、遠駆要石を通り過ぎ、更に進んだ先に彼等の姿は有った。
どうやら俺達が母こうもり猫を倒してしまったことで、彼等は振り切ったと判断し休憩を取っている様である。
「まったく望奴、アンタの作戦は毎度の事ながら詰めが甘いねぇ。もう少しで食われる所だったじゃないか」
煙管から紫煙を燻らせながら、女がなじるような口調で細身の男にそう言い放つ。
「アレはあっしの責任じゃ有りゃせんでしょ瞳嬢様、あっしが調合した眠霞の薬はちゃんと効いてたのに、豚面がアホみたいに大きなクシャミなんかしたのが悪いんでさぁ」
それに対して望奴と呼ばれた細身の男は、さも心外だと言わんばかりに憤慨した様子でそう言い返し、もう一人の小柄な男へと矛先を変えさせた。
「そんな事言うたかて、ワテはガキの頃から猫が居るとクシャミが止まらのう成りまんねん。それは瞳嬢様も望奴も知ってはりますやろ? せやのにワテがあんな猫もどきの巣穴なんか入ったら、こうなる事は解りきった事やおまへんか」
豚面とあんまりにもあんまりな呼び方をされた彼は、確かにその名の通り豚のような面構えをしている。
そんな彼の返事は責めるような二人の言葉にも悪びれた様子は全く無い。
「まぁ、無事お宝は手に入ったんだから、そんな事はどうでも良いさね。あとはコレを見世物小屋なり、その辺の農家なりに高値で売り付けりゃアタシ達は大儲けだ」
風呂敷みを見下ろしながら瞳と呼ばれた女が満面の笑みでそう口にする。
年の頃とその美貌も相まってひどく妖艶な笑みなのだが、そこには媚びるような嫌らしさは無く、一種気品のような物すら感じられた。
「只猫でも鼠をよぅ取る猫の子は一両二両なんて大金で取引されてる物ですからね、妖怪猫の子ならその十倍は吹っかけても買う奴ぁ居るでしょ。こんなボロい商売思いつくなんて流石あっし当に天才の知恵回り!」
対してそう言う望奴の表情は酷く下卑た物であり、自分に酔っている事が一目で解る物だ。
「それだけの銭が有ればお家再興の目も出そうでおますな。取り潰し食らってから早十余年……数居た家臣達も散り散りに、最早残ったのもワテと望奴の二人のみ……。これまでの苦労も報われそうでんな」
二人の言葉を受けて目尻に涙を浮かべる豚面は、今までの苦労に思いを馳せているらしい。
俺達は気取られぬ様十分な距離を取りその様子を見聞きしていた、氣で強化した視覚聴覚はこの距離でも彼等の会話をはっきりと聞き取る事が出来る。
姉上は俺ほど氣の扱いが得意という訳では無いが、猫耳の付いた頭巾のような術具をかぶり、その効果で俺同様に盗み聞きができているらしい。
「呆れた連中なの……」
その会話の内容を聞き姉上がボソリとそうつぶやいた。
「と言いますと?」
俺がそう促すと、姉上はさも呆れたという風情で、
「鼠捕りに虎を飼う必要はねーの。見世物小屋にしたって余程の物知らずか、余程腕に覚えのある猛獣使いでも居なけりゃこうもり猫の子なんて危なくて飼えねーの」
と言葉を返した。
姉上の言う通り、先程俺達が仕留めた母猫は『猫』と言うよりは虎や豹、ライオンと言った大型肉食獣に近い体格だった。
もしかしたら幼い内は鼠を取るかも知れないが、成長したならば確かに鼠なんておやつにもならないだろう。
むしろそんな猛獣を飼うとなればその負担は並大抵の物では無い、前世でもライオンや虎と言った猛獣を扱うサーカス等のショーは有ったが、それらも虐待とも取れるような過酷な調教や、その失敗による事故死と隣合わせだったと聞き覚えがある。
そんな危険な生き物を只の『猫』同様の物と偽り売り付けるならば、それは詐欺と言って相違無いだろう。
しかもその金額が十両を超える大金となれば、どんな理由が有るにせよ死罪は免れない。
彼等の口ぶりからすれば、凄腕の『猛獣使い』に依頼されてと言う事でも無さそうだ。
命を奪われたこうもり猫達にとっては災難としか言いようが無いが、周辺に被害をもたらす危険な妖怪に分類されている相手だし、俺達が今止めれば大した被害も無く終わらせる事が出来そうだから、それは不幸中の幸いといえるかも知れない。
意を決して彼等の前に姿を表わす為、歩を進めようとしたその時だった。
姉上の首元で人形が騒ぎ出し、後方へと振り返った四煌戌達が静かに唸り声を上げ始めたのだ。
「あちゃー。あの連中、父親を仕留めずに子供を盗み出したみたいなの……。こりゃ修羅場になるの」
そう呟くのとほぼ同時、俺達の頭上を黒い影が通り過ぎると、談笑を続ける彼等に音も無く跳びかかった。
「ちょ! 振り切ったんじゃなかったのかい?! 望奴、豚面! こうなりゃ殺るしかなさそうだね!」
素早く立ち上がり一人飛び退る事でその攻撃を回避する事に成功した女がそう声を上げるが、それに応える者は居ない。
他の二人は完全に不意を打たれ、血塗れの姿でこうもり猫の大きな足の下に押し倒されて居たのだ。
雄のこうもり猫は雌に比べて更に一回り以上大きかった、アレを相手にするのは少しどころでは無く無謀としか思えない。
だが例え相手が愚か者だとしても、目の前で人が死ぬのを見捨てる事は俺には出来そうに無い。
即死していなければきっと助ける事が出来る。
そう判断し、俺は地を蹴った。
俺の位置はほぼ真後ろ、ここからでも翼を穿つ事は出来る、素早く背中の翼に照準を合わせ2連射した。
「……!?」
だが、完全に不意を付き放たれたと思った銃弾をこうもり猫は此方を見る事も無く、しなやかな動きで身体を横へと飛ばしあっさりと躱した。
俺達が居る事を知っていてなお此方に背を向けていたというのか……、いやあのこうもり猫の視線の先は未だ変わらず女の側にある風呂敷包みへと注がれている。
「あ痛たたた。折角居ない所を見計らったのになんで来ちゃうかなぁ……。あっしの完璧な計画が台無しじゃないの」
「不意打ちたぁ、男の風上にも置けねぇ奴でまんねん」
しかし俺の射撃も無駄ではなく、押さえ付けられていた男達二人がその軛を逃かれる。
「義理も謂われも無いが助太刀させて頂きます」
どの口で言う事かと思うが、そんな事を言っている時ではないと、俺はそう叫びながら残った4発を当たればめっけものとばかりに連射する。
けれども、薄い皮膜があるだけの翼ならば兎も角、全身を覆う毛皮は厚く硬い様で、小さな銃弾では指したる痛撃を与える事も出来なかった。
それでも多少は気を反らせたらしく、此方を完全に無視は出来なく成った様で、鬱陶しい物を見る様にチラリと此方を振り返った。
「望奴、豚面、今だよ!」
彼等も多少なりとも腕には自信が有る者達なのだろう、俺が作ったその隙を逃す事無くそれぞれの得物をこうもり猫へと叩きこむ。
「どついたるねん!」
豚面の持つ金棒は見た目以上の重さが有るらしく、たった一発それで鼻っ面を殴られただけのこうもり猫が、2歩3歩とたたらを踏んだ。
「はいはい! 隙だらけなのよ! よっし、点火! ポチッとな」
そこに望奴が槍を繰り出し肩口に深々と突き刺さり、そして……爆発したぁ!?
かなりの量の火薬を使っていたのだろう、その衝撃は結構な距離が有った俺ですら顔を覆う程である。
当然ながら至近距離でその爆発を受けたこうもり猫も、そして望奴、豚面の二人も只では済まず、大きく弾き飛ばされた。
「ありゃりゃんりゃ? ちょっと火薬の量を間違えたみたいなのよ~」
地に落ち少し転がると、煤と泥で黒く汚れた顔でそうとだけ口にし、望奴は力尽きたらしくその場に崩れ落ちた。




