百三十六 志七郎、撃ち切り裂く事
鬼が出るか蛇が出るか、そんな言葉がぴたりと当てはまるそんな状況に思えた。
谷の奥側から何者かが来るは姉上の道具や四煌戌達の反応から解る物の、それがどれ程の力を持つ者かまたどの様な特性を備えた者かは解らない。
鎧の隙間から銃を引き抜く、先手必勝とまでは言わないがやはり間合いが詰まる前に飛び道具で先制出来るのは大きい。
神の加護とやらに依るものか、それともこの身体のスペックが優れているのか、銃の扱い特に片手での射撃は前世よりも容易に出来る様になっていた。
氣を併用すれば、利き手では無い左手の片手撃ちでも動かない的ならば一町の距離くらいまでならばまず外すことは無い。
まぁ俺の手にしているDW47の有効射程はその半分程度なので、その距離で使う事は実際には無いだろうが。
ともあれ来るならば何時でも来い、とばかりに気を張り詰めされていたのも、そう長い時間では無かった。
奥へと進む道の向こうから、此方の方向へと走ってくる者達の姿が目に入ったのだ。
氣を瞳に込めて見てみれば、それは鬼でも妖怪でも無く、恐らくは鬼斬り者だと思われる人間達であった。
妙に丈の短い赤の着物に身を包み、太腿も顕に先頭を走る女性、年の頃は二十歳そこそこと言った所か、彼女は得物らしきものは手にしていないが、背中には大きな風呂敷包みを背負っている。
その後ろを走るのは二人の男、細身で長身の着流し姿の男と、小柄ながらも骨太で筋肉質な男、こちらは腰まで着物をまくり上げ褌を丸見せと言うスタイルだ。
細身の方は腰には刀背中に槍を背負い、小柄な方は肩に担いだ刺々しい金棒が得物なのだろう。
かなり焦った様子で此方に向かって走ってくる3人だが、その足捌きによどみは無く身体の軸にも振れは殆ど無い。
義二郎兄上と比べては相手が可哀想だが、我が藩の若手4人とならば良い勝負をしそうな位の実力は有りそうに思える。
だが待て、そんな彼等があのように恐れ慄き逃げる程の大鬼、大妖怪が彼等を追いかけているというのだろうか?
とそんな事を考えて居る内に彼等はどんどんと近づいて、そして俺達に一瞥もくれる事なく走り去っていった。
あっという間に遠ざかっていくその速さは尋常では無く、俺が氣を全開にして追いかけても追いつくか怪しい位だ。
「志七郎君、来るの!」
姉上の鋭い声に慌てて振り返る、とそこには背中に大きな翼を持つ七尺程は有ろうかと言う巨大な黒猫が音も無く降り立つ所だった。
江戸州鬼録に拠れば『こうもり猫』と言う妖怪だった筈だ、見た目通り肉食の猛獣であり、出会った場合には確実に仕留めなければ周囲の村落に復讐を企て被害を出す事が多い、と記されていたと思う。
「グルルルル……フシャ――!!」
殺気に血走った瞳で俺達を睨め回し威嚇の声を上げるそれに、俺は素早く照準を合わせ引き金を引いた。
乾いた音と共に撃ちだされた弾丸は狙いを誤る事無くこうもり猫の瞳を片方撃ち抜き、続け様に放った弾丸が肩そして翼を貫いた。
「食らえなの!」
それと殆ど前後する事無く、姉上が投げたボールのような物がその鼻っ面に直撃した、するとソレは弾ける様に割れ中から粉のような物が飛び散った。
「ギャニャァ!」
銃弾を受け眼を潰されても声すら上げず、此方へと飛びかかろうとする様子さえ見せていたこうもり猫が、両前足で鼻を抑えてそんな悲痛な叫び声を上げる。
無論その隙を逃す事は無い、銃を鎧の金具に引っ掛け刀を両手で持ち直し、氣を込めた足で地を蹴り素早くその懐へと飛び込むと喉笛を切り裂いた。
溢れだす返り血を浴びぬ様、再度後方へと飛び退り次の一撃を叩き込む隙を探す。
だがその必要は無かった、思った以上に喉の傷は深かったらしく、こうもり猫はそれ以上声を上げる事も無くそのまま静かに事切れた。
「この時期のこうもり猫に襲われるとはついてなかったのー」
そう言いながら智香子姉上は仕留めたこうもり猫に刃を入れ解体していく。
こうもり猫の肉は筋張っており臭みも強く食材としては下の下なのだが、毛皮は堅くしなやかで防具の素材として上々、またその骨や筋は様々な道具の材料に使えるそうで、中々に実入りの有る妖怪らしい。
「この時期と言うと?」
四煌戌に周囲の警戒を命じ、俺自身は解体を手伝いながらそう聞く。
「こうもり猫は秋から冬に掛けて子を産んで、今時期は子育ての真っ最中で早々巣から離れる事は無いの」
姉上の話では、こうもり猫は番で子育てをする生き物で、子育ての最中は雌は巣から殆ど出る事は無く、雄も巣を中心とした狩場から出る事は無い。
こうして単独で襲いかかってきたと言う事は番を得る前の若い個体だと言うのが姉上の見立てであった。
だが解体を進めていく内に嫌な事実に気がついた、腹と言うか乳房が全体的に膨らんでいる様に見えるのだ。
「姉上……これって」
「たぶん、志七郎君が思ってる通りだと思うの……」
それは授乳期の雌にだけ見られる特徴であり、つまりはこの冬に子を産んだばかりの母親だと言う事だ。
「厄介な事になったの……、これは番を探して仕留めないと駄目なの……」
こうもり猫は近隣の人間に復讐を企む程度の知能を持った獣、このまま俺達が帰ればこの周辺に住む無関係の者達に被害が出かねないのだ。
俺は比較的あっさりと仕留める事が出来たが、それは拳銃と刀がかなり上物だったから出来た事、町人上がりの鬼斬り者ではここまで簡単に倒せる相手では無い。
音も無く空から飛び掛って来るこうもり猫の奇襲を避けるのは容易では無く、夜のこうもり猫はかなり格の高い相手とされている。
「そもそも、何故子の居る雌が俺達に襲いかかってきたんでしょう? 普通は巣から出てこないんですよね?」
「なの。考えられるのは番の雄が餌を取れない状態に成ってるか……、後は子供が巣から居なくなったか……」
前者ならば番を探して仕留める手間は無くなるが、そうと断定する証拠が無ければ放置して帰るのはリスクが高すぎる、それに状況からして後者で有る可能性はあまりにも高すぎた。
「どう考えてもさっきの三人組ですよね、あいつらが子供を攫っていったとしか思えません」
「こうもり猫の子供は三味線の材料としてかなり高額で取引されてるの。でも普通は巣を襲うなら番も纏めて仕留めて手に入れる物だけれど……」
子供にだけ価値が有り親を仕留めるメリットが無いと言うならば、そう言う手法を取る者も出るだろうが、こうもり猫については親からも価値の素材を手にする事ができる、巣を発見したならば手勢を集めても十分利益が出るはずだ。
あの連中の意図は解らないが、それでも気付いてしまったからにはなんとかしなければ成らないだろう。
「四煌、さっきの三人の臭いを追えるかい?」
「「「わん!」」」
尻尾をちぎれんばかりに振りながら一声高く鳴いたのを見れば、その答えはよく解る。
「しょ~が無いの、解体は後にしてさっきの連中を追いかけるの。父親が生きてるなら、血の匂いなり子供の臭いなりを追って来るはずなの。今日は蟠桃を手に入れるのは諦めるしかねーの、さっきの連中を締め上げて埋め合わせにするの」
手にした巾着に巨大な死骸を押し込みながら、姉上は諦めた様にため息を付きながらそんな不穏な台詞を吐いた。
その表情は母上や義二郎兄上と同様に飢えた獣の笑みだった。
地面の臭いを嗅ぎ歩き始めた四煌達の後ろを進みながら、俺も兄弟だしあんな表情をする事が有るのだろうか? だったらやだなぁ。そんな事を思うのだった。




