百三十五 志七郎、採取に向かう事
「の~! やっちまったの~」
姉上は慌てた様子でそう言いながら窯の中を覗き込む。
俺もその横から同様に中を見ると、先程までの極彩色に変色を繰り返していた薬液が、今ではドス黒いヘドロの様な物に成っていた。
「あっちゃぁ……完全に産廃なの……。志七郎君、この湯気吸い込んじゃだめなの毒気に中たるの」
錬玉術によって生み出される様々な薬剤や道具は概ねその材料から想像が出来る範囲の物である、だが手順や工程に何らかの誤りが有った場合、通常の法則からは逸脱したものが生み出される事が有るのだそうだ。
そう言った中から新たなレシピが生み出される事も有るのだが、大概の場合には『産業廃棄物』とあまりにもそのままの名前で呼ばれている、何の役にも立たない物に成ってしまうのだと言う。
産業廃棄物と成ってしまった物は、江戸で行われているあらゆるリサイクルの流れから外れ、しかも厄介な事に毒気を発し周囲を汚染する為後始末にも中々難儀するらしい。
毒が有るのであれば、鬼や妖怪、動物の狩り等に使えるのでは無いかとも思うのだが、産業廃棄物の毒に侵されると、それらから取れる筈の素材も産業廃棄物同然の物に成ってしまう為中々使いづらいのだそうだ。
「うう、廃棄費用も結構掛かるのに……。あー、果実系の素材も無くなったの……」
両の手を地に付いて項垂れる姉上に、俺はどんな言葉を掛けるべきか一瞬迷った。
だが俺が何かを言うよりも早く、
「失敗しちまった物はしょーが無いの。志七郎君、今日はこれから素材を取りに行くの!」
と立ち直り、腕を振り上げながらそう宣言した。
「取りにって事は採取に行くって事ですね。それは良いですが産廃の処理は急がなくて良いのですか?」
放っておけば毒気でこの離れ自体が汚染される恐れが有るそんな話だったはずだ。
「専用の入れ物に移しておけば取り敢えずは大丈夫なの」
そう言って姉上が棚から持ってきたのはキラリと光る不銹鋼製の入れ物、それは前世の世界で見た事の有る『河豚のワタ入れ』その物だった。
「節分も終わったばかりで、何処の戦場も殆ど鬼も妖怪も出ない筈なの。それでも運が悪けりゃ襲われる事もあるだろうし、ちゃんと装備を整えて行くの」
と言う姉上に促され、甲冑を身に付け刀を帯び四煌戌も連れ、改めて姉上と合流し屋敷を出る。
姉上はあの屍繰り討伐の際と同じく、デニムのパンツに麻のシャツその上に革製の胸当てを着こんだ、洋風冒険者スタイルである。
髪が日本髪に結っているので、俺からすれば違和感が半端無いのだが、鬼斬り者の中には傾いた装いの者も少なく無い為か、その格好で街を歩いても特に注目されたりする事は無い。
節分の為、ここ数日散歩に連れて行く事が出来なかった事もあり、今朝の散歩は結構長く時間を取ったのだが、四煌達は疲れた様子も無くむしろ戦場へと連れて行かれるのが楽しいらしく、元気良くはしゃぎながら歩いていた。
一応江戸市中では綱を付けては居るのだが、彼等がある程度自由に動き回れる様に、長めの物を胴体にハーネスを付ける要領で結んでいる。
「で、姉上。採取に行くのは良いですが、何処に行くのですか?」
「んー、この時期に蟠桃を手に入れるなら、やっぱり足断谷なの。あそこの奥に確か蟠桃の木が生えてた筈なの」
「足断谷って……昨日まで俺達が討伐に入っていた場所じゃないですか」
事前に言っておいて貰えたならば、わざわざ取りに行かずともついでに入手する事も出来ただろう、と言外にそう言ったのだが。
「なーに言ってるの、ただでさえ限界ぎりぎりだったんでしょ。そんな状況で余計な事までしてたら、無事じゃ済まなかったの」
とあっさり言い返された、確かに言われてみれば昨日までの戦いは谷の入口に陣取っての完全な防衛戦だった、谷の奥に有る果実を手に入れる余裕は無かったかもしれない……いや、無かったと断言出来る。
考え無しの発言をしてしまった事を自省していると、姉上は更に口を開いた。
「志七郎君や信三郎君達が頑張って防衛したから、遠駆要石が使えるの。その事は素直にありがとうなの」
満面の笑みを浮かべそう言った姉上は、普段の言動は兎も角として、美少女と分類しても誰も文句を言う者は居ないだろう、素直にそう思えた。
江戸市街北東部、浅草と呼ばれる地域に有る鬼斬り奉行所浅草屯所より、遠駆要石を使い足断谷の入り口へとやって来た。
昨日の今日と言う事もあり、辺りは全く変わった様子は無い。
「四煌、警戒索敵」
綱を外しそう短い指示を出す。
「「「ぅぉん」」」
紅牙、御鏡、翡翠の三匹は声を潜める様にして小さく返事を返す。
訓練した通り周囲の気配を探る様に鼻をひく着かせ耳を動かす、三匹がそれぞれ別の方向に意識を向けることで、幼い彼等でも1人前に近い仕事が出来るように成って来て居た。
「「「ぅわん!」」」
少しの間を置いて三匹が揃って声を上げた、これは彼等の索敵範囲には獲物も敵も居ないと言う事だ。
「よし、警戒そのまま」
指で向かう方向を指示しながらそう命じると、彼等は再び辺りを警戒したまま指差した方向へとゆっくり歩きだす。
「あ、鬼の陰嚢が咲いてるの、流行性痴呆症の特効薬が作れる珍しい薬草なの。こんな所で手に入るなんて知らなかったの~」
何時何処から鬼や妖怪が出てもおかしくないのが戦場である、俺と四煌戌達が最大限の警戒をしながら進んで居ると言うのに、姉上はお構い無しに目に付く素材を集めて回っている。
「姉上、もう少し警戒して下さい。四煌戌達の索敵だって完璧では無いんですよ?」
流石に目に余ると思いそう注意を促すと、
「大丈夫なの、あっしはあっしでちゃんと警戒してるの。ほらコレが有れば不意打ちなんて先ず受けることはねーの!」
と礼子姉上に比べてかなりなだらかな胸を張って、首から下げた人形のような物を指し示す。
「何ですか? それ?」
「見鬼君なの、鬼や妖怪の氣を感知して反応するの。作るのに手間は掛かるけど便利だってお師匠が言ってたの」
見鬼とは、実体化していない鬼や妖怪、幽霊と言った物を見る才能を持つ者の事で、それと同様の能力を錬玉術で再現した道具と言う事らしい。
姉上の師匠謹製の物ならば、その効果範囲は優に一里四方をカバーできるそうだが、姉上が作った物であるそれは五町が精々だそうだ。
しかし間引きが済んだ直後の戦場であれば、それだけの範囲をカバーしていれば彼女の言う通り不意打ちを受ける事はまずないだろう。
だが、それにしたって
「そういう物を持ってるなら、先に言って置いてください」
と思うのは、俺だけではあるまい。
「のー、メンゴメンゴなのー。お、あっちに賢者草発見! おお、群生してるのー」
悪びれる事無くそう言いながら、笑顔で薬草の群生地に突撃する彼女を見れば『殴りたい、この笑顔』と思ったとしても、きっと俺を責める者は居ない筈だ。
ため息を一つ付いてなんとか怒りを飲み込んだその時。
「の!? 志七郎君、警戒なの! 見鬼君が反応してるの!」
のほほんと薬草を詰んでいた姉上が跳ね上がる様に顔を上げ鋭い声でそう言ったのだ。
「「「ぉん」」」
そして間髪置かず四煌戌が3つの顔を揃えて同じ方向へと向け小さく鳴いた。
どうやらかなりの速度で此方へと向かっているらしい。
俺は右手を刀に掛け左手で懐の銃を握りしめ、敵の到来を待つのだった。




