百三十三 幕間 仁義兄弟二人旅
「兄者、茶屋が見えてきたでござる。確かこの辺は外郎が美味いのでござったかな?」
峠を超え視界が開けると、我が長弟である義二郎がそう言って此方を振り返った。
「……つい先程も峠の茶屋で団子を二十も食ろうたばかりでは無いか、路銀にも限りが有るのだぞ」
「路銀なぞ、また稼げば良い話ではござらぬか。それにそれがしが食い潰している様な口ぶりですが、酒蔵や酒屋を見かける度に痛飲しとるのは何方でござる?」
江戸を出立してから半月、本来ならばそろそろ京に着いて居るべき期間が経っている、なのに拙者達はまだ、道程の半分ほどしか踏破していなかった。
原因はもうお分かりだろう、義二郎が食べ、拙者が呑む事で路銀を食い潰し、必要に応じて鬼や妖怪を斬ったり賭場を荒らしたりして、路銀を補給しながら進んでいるからである。
ここまでの道中使ったのが約二両、稼いだのは約四両と手持ちの路銀は増えては居るのだが、事前の予定など完全に何処へ行ったと言う感じだ。
「……程々にしておけよ」
ため息を一つつきながら、そう言って許可を出す、
「流石、兄者は話が解るでござる! おーい、そこな茶店のぉ! 外郎二竿と茶でござる!」
と両の手を口元へあてがい、そんな叫びを上げた。
だが茶屋が見えたと言っても、拙者達が居るのは峠の中腹当たりであり、その見世が有るのは平地のへ降りた先、まだまだ随分と距離が有る。
「……流石にこんな所で叫んでも、聞こえぬだろうて」
意気揚々と歩き出した弟の背にそう声を掛けるも、どうやら奴の耳には届いて居ない様だった。
『主様、街道右方向三町先、人が鬼に追われております!』
不意に空からそんな言葉が降ってきた、それは拙者にしか聞くことの出来ない声、上空に放っていた鷹の椿丸が発した物だった。
「義二郎! 右、三町先! 鬼と民有り! 割り入れ!」
馬に飛び乗り槍の穂鞘を手早く外し、腹から声を絞りそう命じた、必要最小限の短い言葉でも、あいつは理解し即座に行動に移る。
「ぬ!? おお! 猪山の鬼二郎、いざ参る!」
そう声を上げ義二郎は氣を弾けさせ走りだした。
「お侍様、ありがとうごぜぇますだぁ」
鬼――人喰鬼と呼ばれる、凶暴な奴だった――に追われていたのは地元の農民で山に薬草を取りに入った所で襲われたらしい。
「この辺はご領主様のご家来衆が、見回ってくださってますから、あったら大鬼が出る様な事ぁ、ねぇ筈なんですがねぇ」
その農夫の言葉に拠れば、この辺を治める浅雀藩野火家は家臣達を定期的に大規模な鬼斬り隊として出しているらしく、鬼の被害は比較的少ない土地らしい。
まぁ江戸と京を結ぶ東街道を有している以上、治安を重視した統治をするのは当然といえば当然といえるのだが……。
「あのなぁ、お前さんちゃんと暦を見てござるか? 節分が近い時期には数段鬼の数も質も上がるもんでござる」
義二郎の言う通り毎年この時期は各地で鬼の被害が増えるのだ、この時期に山に入るのは、自殺行為としか言えないだろう
「そ、そらぁ解っちゃおったんだが、家のガキが熱出して寝込んでるんですわ……。薬師のばぁ様の所にも残ってねぇって話で、オラが取りに行かにゃガキの命もアブねぇってんで……」
どうやら無謀な命知らずが銭金の為に無茶をした……と言う事では無く、病気の子供を助ける為に一刻も早く薬が必要な様だ。
智香子の作る霊薬ならば日持ちもするし早々悪く成る事も無いのだが、普通の薬師は生の薬草を使う事が多く必要な時に必要な薬が手に入るとは限らない。
まぁある程度大きな街ならば、銭を積めば買えない事は無いのだろうが、地方の集落ではそうも行かないだろう。
「兄者……」
その話を聞いた義二郎が、訴えかける様な目で此方を見た。
「わかっている……皆まで言うな……」
義二郎はこういう状況で見捨てると言う選択の出来る男では無い、藩主領主に成るならば藩や家にとって損益が有るならば時には切り捨てる判断も必要だが。
だがまぁ今日のコレは多少時間を食う事には成るだろうが、損という程の物でも無いだろう。
「では、行こうか……」
そう言って拙者達は街道を外れ山道へと踏み入った。
「有難うございました……お陰様でガキの命も助かりますだ」
薬草を手に入れ薬師のもとへと届けると、農夫は深々と頭を下げてそう言った。
「なんのなんの、結局あの後は鬼にも出会わずじまいでござったしな。それがし達は何もしとらんでござる」
最初に斬り伏せた人喰鬼から剥ぎ取った角や、一部の骨以外には実入りが無かったのは残念だが、まぁ子供一人の命を救ったのだから良しの範疇だ。
「せめてもの御礼でごぜぇますだ、家で飯でも食って行ってくだせぇ」
普通に考えたならば、農民の家で出される粗末な飯では無くそれなりの見世で食った方が美味いだろう。
だがこういった場合、彼等は彼等の精一杯のお礼をしているのだ、それを辞退する事は相手を忘恩の徒にしてしまう事に成る。
たとえ不味い飯であろうとも、美味いと食ってやる事こそが、侍の矜持という物なのだ。
とそんな事を考えている内に、彼の家へとやって来たらしい。
そこは貧しい農家の掘っ建て小屋……では無く、名主や庄屋と言われる様なそれなりに裕福で有る事の解る大きな屋敷であった。
「……ここが、其方の家か?」
「へぇ、野火様からここらの百姓の取りまとめを任されて居りますだ。おーい、今帰ったぞーい」
屋敷にそう声を掛け中へと入っていく、どうやら子供の看病で忙しいのだろうか、中からは誰かが出て来る様子は無い。
「ちょっと待ってておくんなせぇ。ガキの薬を飲ませたらかかぁに飯の用意をさせますんで……」
農夫――名主は手早く草鞋を脱ぐと足も洗わず縁側から中へと入っていった。
「兄者、こりゃ思ったより良い物が食えそうでござるな」
義二郎の言う通り当初想定していた只の百姓ならば、雑穀混じりの粥でも出れば御の字と思っていたが、これだけ大きな屋敷を構える名主で有れば白飯が食える可能性も有る。
地元でしか食されていないような飯の友でも有れば、旅先の馳走としては何よりだろう。
ついでに酒が有れば文句のつけようも無いのだが、流石に未だ日が高い内から呑むのは止めて置くべきか。
そのまま暫く縁側に座って待っていると、名主とその妻だと思われる中年の女性が熱そうな土鍋の乗った盆を二つ持ってきた。
「おまたせして申し訳有りません、ささ熱い内にお上がりくだせぇ」
蓋を開けると、中は煮えたぎった汁に野菜やきのこそして麺が入った料理だった。
「これは味噌煮込みうどんでござるな。この辺一帯で広く食われている料理だったはず、以前口にした時よりも幾分具材が豪華なように見えるが……」
どうやら義二郎はこの料理を以前にも食したことが有るらしい。
「へぇ、御武家様に出すお礼の馳走だって言うんで、少々張り込みました」
「……未だこの時期ならば、新たな収穫も遠いと言うのに、誠にかたじけない」
「何をおっしゃいますだよ、お二方が助けてくれにゃぁオラもガキも生きちゃいねぇ。命の代価にしちゃぁ安い物だわ」
「では遠慮無く、いただこう」
添えられた蓮華と割り箸を手に取ると、拙者にとって未知のこの料理へと挑みかかった。
煮えたぎる汁と熱いうどんに難儀していると、義二郎は鍋の蓋を取り皿の様に使い食べているのに気がつく。
よく見ると蓋には穴がなく、最初からそのように使われるのが想定された作りの様だ。
見た目通り濃い味付けだが、決して下品には感じない。
熱々のソレを拙者達は〆の雑炊まで美味しく頂いて、再び京を目指して旅立つのだった。




