百三十一 志七郎、母の裁きに驚く事
前話にて『富田藩』と記するべき所を『風間藩』と誤って記載しておりました、訂正しお詫び申し上げます。
ご指摘頂きました シーキトン様、誠に有難うございます。
その他気になる点などございましたら、お気軽にお教え頂ければ有り難いです。
また、今後はこの様な事無き様精進して行きたいと思います。
「多少はマシなのが居たみたいだね、お前さんがお頭かい?」
並の八九三では足元にも及ばぬ、ドスの聞いた声色で母上がそう問いかける。
「頭ってほどの者じゃぁありゃしやせんがね。こいつらに知恵入れしてるなぁ、儂ですわ」
男は暗がりから一歩足りとも動く事は無く、そう答えを返した。
「奥方様がお声を掛けて下さっていると言うのに、姿も見せぬとは無礼にも程が有るだろうが!」
そんな態度に怒声を上げて撃発しかけたのは、俺達が此処に居る原因の一人である今だった。
「お止し! 相手を見極める事も出来ずにそう頭に血を上らせるから、こんな騒動を起こすことになるのよ。よく聞けば腰よりも低い場所から声がしたのが解るでしょう。てことは相手は座ってすら居ない。床に付した病人相手に刀を向ける必要は無いわ」
覚めた口調でそう制止の声を掛けたのは母上本人だ。
だが少なくとも俺にはそんな微妙な判断を付ける事は出来なかった、どうやら他の者達も同様の様で困惑した様子で刀を向ける相手を定めきれずに居た。
「流石は猪山の奥方じゃな。おい、此方にも火を入れてくれ……」
落ち着いた様子でそう声を掛けると、手下の一人が声の主の側へと火の着いた油皿を持って歩みよる。
浮かび上がったのは、粗末な筵を一枚敷いた上に横たわる老人の姿だった。
「ちょいと起こしてくれや」
どうやら彼は、自力では上半身を起こす事も出来ない様子で、声を掛けられた手下が身体を支える様にして、座った姿勢へと体勢をかえる。
……右腕と左足が無い、顔にも目立つ傷がいくつも有りそのうちひとつは右の目を縦断し結果そちらの目が開く事が出来なく成っている様だった。
「見た通り疵物でね、こいつらの世話に成らにゃぁ生きる事すら出来ねぇ老骨だ。こいつらにしたって、人を殺めるどころか鬼に刃を向ける事も出来ねぇ様な根性無しばかりじゃ、人を騙くらかす位でしか生きる事の出来ねぇ連中でござんす」
その老人の言葉に拠れば、彼自身は若い頃本当に富田に雇われていた中間者だったらしい、だが他藩との揉め事の際に大きな傷を受けたのだと言う。
まともに働く事も出来ない様な状態に成っても骨川家の前当主は放逐したりせず、他の中間者達の手を借りながらも生きる事が出来た。
だが昨年、その当主が乱心し家臣を皆殺しにして果ててから状況が変わってしまった。
国元に居るはずの新当主は、病気療養中と称して、幕府へ代替わりの挨拶の為江戸へとやって来る事も無く。
一応とばかりに派遣されてきた江戸家老も何一つ実権は無いらしく、中間者達に賃金を払わなかった。
結果、多くの者達が新たな仕事を求めてこの屋敷を去っていった。
当然、彼を心配する仲間が居なかった訳ではない、だが明日の生活も解らぬ状況で他の仲間の世話に成る事を良しとしなかった彼は、一人この屋敷で静かに最期を迎えるつもりだったのだそうだ。
しかしそんな状況を変えた者達が居た、江戸で一旗上げようと出てきたは良い物の、怠け者だったり要領が悪かったりで食い詰め、家賃も払えず住処を追い出された、腐れ街で生きて行ける程の腕っ節も無い、そんな連中が空き家となったこの屋敷に流れて来たのだ。
最初の頃はほんの数人だったので、そのうちの何人かが屑拾いや人足など口入れ屋の仕事で糊口を凌ぐ事が出来たが、日を追う事に人数が増え、全員が生きるのに必要な仕事を確保出来なく成っていった。
正月を迎えても、おせちは勿論餅を食うことすら出来ない有様で、悪事を働いてでも大きく稼ごうと考えてしまったのだと言う。
「仲間内で盆を開く事は有ったし、その頃の道具も誰が持ち出す訳でも無く残ってたんでね、一回二回間抜けなお侍を騙して銭を稼いだら、それを持たせて故郷へ帰らせるつもりだったんですがね」
最初に引っ掛けたのが猪山の若い衆だったのが運の尽きだった、と覚悟を決めた老兵の瞳で母上を見上げながらそう言った。
その目を見れば彼が嘘を言っているとは思えなかった、だがどんな理由が有ったとしても悪事は悪事、例えそれが未遂で終わったとしても無罪放免、と見逃す訳には行かない話である。
「首謀者である儂は打首だろうと獄門だろうと好きにしてくだせぇ。だが若い連中の命は助けてやって欲しい、儂が余計な入れ知恵をしなけりゃ悪事なんざ巡らす知恵もねぇ馬鹿共ですからな」
誰かが何かを口にするのを遮る為か、畳み掛ける様にそう言った老人は完全に腹を括って居る様だった。
この国の法で考えるならば、五両の詐欺ならば首謀者は百敲き、他の者も五十敲きの上で、刑罰を受けたと言う証としての刺青を入れられる、と言った所だろう。
無許可で賭場を開いた事に関しては、場所が富田藩の下屋敷と言う事で、富田藩の者でなければ裁けないので、俺達がどうこうするべき話では無い。
純粋に罪の重さと言う話で有れば命を奪う程の話では無いのだが、騙されたのが武士で有るという点が問題となる、この一件において我が藩と被害者で有る四人は、彼らを『無礼討ち』と称して皆殺しにしても問題に成る事は無いだろう状況なのだ。
しかし無礼討ちは状況や証拠を幕府に届け出無ければ成らない上に、この場で彼を殺せば富田藩の下屋敷に押入ったと言う事自体が問題と成るだろう。
一番簡単なのは首謀者で有る老人を、我が藩の下屋敷に連行してから始末する事なのだが……。
何か良い解決方法は無いかと、皆が落とし所を考え倦ねて居たのだろう、しばし沈黙がその場を支配した。
「馬鹿な事をお言いでないよ。あんた一人の命を取った所で一文にも成りゃしない、先ずは矢田の身柄を返して貰うのが第一さね」
ため息を一つ付いて、沈黙を破る言葉を放ったのはやはり母上だった。
「あぁ、あの若いお侍なら別の場所に運ばせたよ。儂の命一つで収めてくれりゃ、明日の朝にでも開放させよう。だが根切りにするならば誰に知られる事も無く、そのまま道連れにさせてもらおうか」
根切りとは皆殺しにすると言う事だ、矢田を人質に若い衆を見逃せと言っているのだろう。
「……お、お頭だけに責任を押っ付けて、のうのうと生きて行ける訳、無ぇじゃ有りゃせんか……、実際に手を出したのはあっしでがす。お頭の命は助けておくなせぇ……」
と、そんな言葉が母上の足元から上がる、どうやら母上に伸された男がいつの間にやら目を覚ましたらしい。
「だからあんたらの命を幾ら取ったって、私等にゃ一文の得も無いんだよ。何も無かったって事にしないと、はっきり言って家には損しか残らない話なんだ」
なんで解らないのか、と言いたげな口ぶりで母上はそう言い捨てた。
母上に拠ると、今回の一件は『賭場を開いている猪山の者がイカサマに引っ掛かった』と言う醜聞となり、今まで築き上げてきた『猪山の賭場ではイカサマの心配は無い』と言う信頼に傷が付くのだそうだ。
下屋敷での稼ぎが藩の財政において、決して少なくない割合を占めている以上、それだけはどうしても避けたい事である。
「だからお前達の安い命なんざぁ要りはしない。だからと言って無罪放免って訳にゃ行かないがね。見た所、まともに働け無さそうなのは、頭のアンタ位だ……後の連中は身体で払って貰う事にするさね」
その言葉を理解するのに、敵味方双方とも数瞬の時間を要した。
「「「「……え? えー!?」」」」
そして、皆が皆揃って驚きの声を上げざるを得なかった。
それは仕事を世話してやるから働いて返せ、と言う実質的には無罪放免と殆ど変わらない提案だったからだ。




