百二十七 志七郎、家族と夜遊びについて語る事
昨夜の言葉通り、今夜の夕食は家臣達を含め皆で外食である。
以前聞いた話では料亭の様な飲食店に赴く際には、自身が何処の家に属しているのか解らない様に家紋の入った物を身に付けず、更に頭巾などで顔を隠した『お忍びルック』で出掛けるのが基本だったはずだ。
だが今夜はむしろその逆で皆が皆しっかりと家紋の入った裃に身を包み、女性陣も普段ならば身に付けない様な豪奢な刺繍や染の入った着物を纏っている。
母上のそう言う姿は偶に見かけた事も有るが、姉上達のそういった姿は初めて見る、まだ幼いと言える睦姉上もが着飾り薄化粧をしているのだから、全くもってお忍びと言う風情では無い。
「信ちゃんのお下がりが着れて良かったわ。流石に昨日の今日じゃ正装なんて用意出来ないものねぇ」
当然ながら俺もしっかりと正装をさせられているのだが、昨年着た裃では既に小さすぎたため、信三郎兄上のお下がりの狩衣を着せられていた。
子供が正装をする機会など殆ど無いので、余程の事が無ければ新たに仕立てる様な事はしない。
母上の言う通り、新たに仕立てるとなれば相応の時間と金が掛かるだろう、お下がりが着れて本当に良かった。
仁一郎兄上や義二郎兄上のお下がりでも良いと思ったのだが、残念ながら普段着ならば兎も角、正装については調度良いサイズが無かったのだ。
「奥方様、そろそろ出発しませんと約束の刻限に間に合いませぬ。未だ来ていない者は捨て置きましょう。早々食えぬ美味よりも遊びを取ったのです、自業自得という物でござる」
そわそわとした様子で、そう進言したのは笹葉だった。
彼の言う通り家臣の内の何人かが揃って居なかったが、彼等は何らかの御役目でこの場に居ない訳では無く、ただ夜遊びの為に出掛けているらしい。
俺は寝ていて知らなかったのだが、母上は朝食の席で今夜の外食を明言していたらしく、その場に居なかった者にも、笹葉はしっかりと伝えたのだそうだ。
それでも尚『たかが飯如き』と高を括って遊びに行ったのだから、彼の言う通り自業自得と言う事なのだろう。
「そうね、そろそろ向かいましょうか。皆、この江戸で……いえ、この火元国でも一、二を争う最高の美味、しっかりと堪能して来ましょうか」
優美な笑みを浮かべそう言う母上に、この場に居る皆が声を揃えて応じた。
屋敷を出て向かうのは、江戸中心部とは真反対の方向だった。
最高の料理を出す見世だというのだから、てっきり城の直ぐ側に有るのかと思えば、どうやら郊外の方に有るらしい。
「それにしてもお母様、石銀の夕餉とは昨夜は随分と大きく勝ったのですね」
日の暮れかけた道を提灯を持った家臣達に先導され進む道中、礼子姉上がそう口にした。
どうやら礼子姉上は我が藩の中間部屋が賭場で有る事を知っている様だ。
「あら、私の儲けでは無いわ。私の稼ぎは貴方の祝言に備えて積み立てなくちゃ行けないもの。今夜のお銭はしーちゃんの勝ち分よ」
クスクスと上品に笑いながらそう答えを返すと、礼子姉上は余程驚いたのか目を大きく見開き、
「あらまぁ」
と呆れた様な声を上げた。
「別に多少勝ったからと言って博打にのめり込む様な事は有りませんよ。俺は前世持ちですし、前世は賭場を取り締まる側の人間でした、博打で身持ちを崩した輩は沢山見ています」
この歳でギャンブル中毒の様な扱いを受けるのは心外である、とそう口にすると。
「別に賭け事を悪いとは言わないわ。ただ大人に混ざってあっさりと勝っちゃうしーちゃんが想像出来なくって」
と慌てたように礼子姉上がそう弁解する。
「別に大勝ちした訳では無いですよ、運が良かっただけです」
「どちらにせよ、大人相手に平常心で勝負事が出来る時点で、度胸の据わり方は尋常では無いでおじゃ。麻呂も一度父上に連れて行って貰ったが、縮み上がって見事に駒を溶かしたでおじゃる」
そんな俺の言葉に反応したのは今度は信三郎兄上だ、兄上は大きなため息を突きながらそうぼやく。
「信三郎君が行ったのは、未だ初陣前の話なの。命のやり取りを経験した今なら、また違う結果に成るはずなの」
度胸だけならば兄弟一、義二郎兄上を凌ぐ脳天気……怖いもの知らずの智香子姉上がそう慰める。
「と言うか、皆賭場に行った事があるんですか?」
この世界にはギャンブルに年齢制限は無い、なので兄弟皆に経験が有っても決して不思議では無い、だからと言って幼い内から博打に嵌り込むのは流石にどうかと思うが。
「にゃーは行った事ねーのにゃ。そのうち一度位は行くかもだけど、あんまりきょーみ無いにゃ―」
否定の言葉を口にしたのは睦姉上だけだった、聞けば皆一度は父上や母上に連れられて『我が藩の』賭場へと行った事があるのだそうだ。
「流石に他所へ行った事があるのは、上の二人だけよ。他所は状況次第では荒事にも成り兼ねないもの、女子供に出入りさせる訳には行かないわ」
うちはイカサマ、荒事厳禁なのでどんな客でも受け入れる事が出来るのだと言う。
行き帰りに客が辻斬りや強盗の被害に会うことも極めて稀に有るらしいが、それは何処の賭場でも一緒である。
もっとも、他所の場合には大勝ちした客の後をつけて行って、ばっさりやるなんて事も決して無い訳では無いらしいので、うちの賭場はやはり優良店と言って良いのだろう。
そんな状況で他の賭場が何故成り立つのかと言えば、うちは圧倒的にレートが高い所為らしい。
ある程度以上の身代が無ければ入れない高級カジノと言うのが我が中間部屋の位置付けなのだそうだ。
それに対し他の賭場はどうかといえば、幕府の許可を得た『公認』の場所はどこも手持ち以上の賭けをさせる事は無く、身持ちを崩すほどと言うのは中々無いらしい。
危険なのはやはり非認可の場所で、そういう所はだいたい親分が金貸しも営んでおり、高額の種銭無しでも博打が打ててしまう。
しかも上手く客から搾り取る為、サクラが勝つ様イカサマまで行われていると言うのだから始末に負えない話である。
「そういう見世でもサマを見破ったり、荒事に成っても悠々と出入り出来る腕っ節が有れば問題なく遊べるわ。仁ちゃんやぎーちゃんは偶にやってるしねぇ」
母上に言わせれば、そう言う事が出来るのも『遊び方を知っている』うちに入るので、多少なりともそれを理解させるため、子供達を賭場へと連れて行くのだそうだ。
良くも悪くも『遊び方』を知らない人間ほど、悪い遊びに嵌り込み身持ちを崩しやすいのだと、母上はそう言った。
だからこそ目の届く範囲で遊ばせ、多少『痛い目』を見せるのも勉強のうちなのだそうだ。
まぁ前世でも酒の飲み方を知らない者に酒を飲ませ、命に関わる事故が起きたりと、遊び方を知らない者が悲劇に見舞われる事は腐る程目にしてきた。
監督できる年長者が目下の者に『悪い遊び』を教えるのは、必要悪と言える事だったのでは無いかと思う。
流石に立場上推奨するような事は無かったが。
「まぁ、自分で稼いだ小遣いをどう使おうとそれぞれの自由では有るけれども、猪河家の猪山藩の名を汚す様な事にだけはしちゃ駄目よ」
とそう言う母上の言葉は、俺達兄弟に向けてと言うよりは、回りに居る家臣達に、特に若手に対して言っている様に聞こえた。
事実、心当たりが有ったのだろう数人が露骨に視線を逸したり、咳払いをしたりしている。
「お、奥方様! そろそろ見えて参りましたぞ、清望藩の下屋敷が」
目的地が見えたのは間違いないだろうが、そう言う家臣の声は上ずった物だった。




