百二十六 志七郎、打ち勝つ事
ゆっくりと腕を伸ばし象牙で出来たソレを取り、手元に並ぶ他の十三枚のソレらと合わせて吟味する。
欲していたモノが来た!
現状で俺が切るべき手札は二枚のうちどちらか、どちらを切っても待ち数は変わらない。
「立直!」
深く息を吸い込み、声を出しながら心を決めて片方を河に横向きにして捨てた。
そう、俺は今麻雀を打っているのだ。
「あ、龍。立直一発ドラ1、裏が……3枚乗りましたので跳満です」
「ゲェ! 直撃ぃ!?」
「流石は猪山の鬼斬童子! 只者では無い!」
「そんなやっすい手役が跳ねるって……どんだけ運が良いんだよ」
麻雀を選んだのは、他の賭博は前世の仕事関係で多少知っている程度なのに比べて、大学時代から警察学校時代、任官してからも誘われれば参加する程度には慣れているからと言うのもあるが、最大の理由は他に比べて時間が掛かるからである。
最初は母上について回って見学で時間を潰そうと思ったのだが、打たずにその場に居る人間はイカサマの片棒を担いでいると誤解を与えかねない、と言う事から駒を全て擦っても良いので適当になにか打つ様母上に言われたのだ。
様々なローカルルールで細かな所が違うのは前世でもよくある事だったので、事前に松吾郎に見せてもらった此処の麻雀のルールを纏めた本を見た所、俺が知っているのと多少差異はあるものの、理解の範疇であった。
その中でもこの世界独特な物と思えたのはやはり『氣や術の使用禁止』という所だろう。
ルールブックの中でその一文を見つけた時には何を当たり前の事をと思ったが、松吾郎の話に拠れば此処の賭場ではイカサマ全面禁止なのでわざわざ明文化されているが、他の賭場では『バレないイカサマは合法』と明言している場所もあるらしい。
前世でも漫画だけでなく、四課の先輩方、高齢の元ヤクザ等に、様々な手口の……余程訓練を積まなければ難しいであろう技工を凝らした玄人と呼ばれる者達が繰り広げたイカサマ話を聞いた事が有る。
そういう場所では玄人達の技が生きており、さらに氣や術による身体強化などと合わさって、冗談事では無いレベルでやりあっているのだそうだ。
その他に気になる点と言えば、後は『百万石』や『大車輪』といった役満が有効とされている事位だろうか?
とはいえ役満なんて物が早々飛び出す筈も無く、比較的平和なゲーム進行が続いていた。
そしてオーラスの一局で俺が上がったのが上記である。
ぎりぎりトップを取れるかどうかと言った際どい上がりのつもりだったのが、一発と裏ドラ3枚で2位以下を大きく引き離す結果と成ってしまった。
「このままじゃ収まりが着かん! もう半荘行くぞ!」
「おう! 此方もだ! ついでに酒もおかわりだ!」
「あかん! 種が尽きた。誰か代わりに入る奴居ないか!?」
「ここに居るぞ!」
どうやら、勝ち逃げはさせてもらえない様子だ……母上もどうやらまだ帰る素振りは見せていないし、
「死神の加護を受けし猪山の鬼斬童子、点棒尽きるまでお相手仕る!」
そう啖呵を切って俺は麻雀を打ち続ける事にした。
前世では良識や法律の範疇を超える様な賭け麻雀をした事は無い『一時の娯楽に供する物』もしくは現金でも千点十円くらいがせいぜいだ……自分が賭けていた駒の金額を知って肝を冷やす事になるのは、それから2時間後の事だった。
「いやー、しーちゃんも中々やるじゃないの。消えて無くなるかと思ってその分まで気合入れて稼いだのに……儲かっちゃった」
1位を取れたのは最初の半荘だけで、ソレ以降は2位3位の繰り返しだったので、決して大勝という訳では無いが、トータルではプラスになった。
微増した駒を返した所、母上は常連というか運営側の人間と言う事なのか、松吾郎に纏めて預けるだけだったが、出入り口付近には客達換金を求める列が出来ていた、どうやら今夜はそろそろ見世仕舞いらしい。
その横を通り過ぎる瞬間、見てしまった……然程多いとは言えない量の駒が、黄金色に輝く小判と交換されるのを。
「母上……気のせいでしょうか? なんか物凄い金額が動いている様な気がするのは」
思わずそう尋ねると、
「んー、しーちゃんに渡したのは大体二十両位かしら?」
吹いた。
四文で前世の百円程度の価値と考えて、四千文で一両、つまり一両で十万円、二十両なら二百万円位と言う事になる。
江戸では十両を超える盗みや詐欺は一律死罪とされる事を考えれば、もし溶かしていたならば洒落で済まない金額の筈だ。
「え! ちょ! 母上! じょ、冗談ですよね!?」
幾ら俺が前世持ちで見た目通りの子供とは言い切れないとは言え、ほいよっと簡単に渡して良い金額ではない。
選んだのがそれなりに慣れている麻雀だったから良かった物の、丁半やおいちょかぶ、チンチロリンの様なペースの早い賭博だったなら、下手を打てば全て溶かして居たかも知れないのだ。
「あら、こんな事で冗談は言わないわよ。それ位なら伏虎のおかげで稼いだあぶく銭の範疇だしね」
先日の兄上と鈴木の勝負、母上は鈴木に賭けて居たらしくその利益をそのまま賭場へと持ち込んでいたのだそうだ。
「種銭はお母さん持ちだったんだから、流石に全部お小遣いには出来ないけど、半分はしーちゃんの取り分にしてあげるわ」
提灯を片手に逆の手で俺の手を引き、母上は朗らかに笑いながらそう言った。
「それでも一、二両は有りますよね!? ちょっと子供の小遣いって金額ではないでしょう!」
ちょっと声を大にして言いたい、俺も多少なりともこの世界で自力で稼ぎを得る事も有るので、その金額がどれ程重い物かは理解できる様に成って来た。
鬼斬りに勤しめば決して稼げない金額では無いし、目にしたことも無い大金というわけではないが、緑鬼王を討った際に上様から与えられた褒美が二両、武士の総領が部下に出す報奨金として恥ずかしく無いレベルの最低限と言える金額である。
「自分の小遣いは自分で稼ぐのが猪山流よ、種銭は私が出したけれどもそれを増やしたのはしーちゃん自身なのだから、気にしなくて良いのよ」
そうは言われても前世の所属柄ギャンブルにのめり込み身を崩す者は少なからず見て来た者としては、中々簡単にその金額を受け取ろうとは思えない。
何か良い方法は無いかと考えていると、ふと前世の同僚の一人を思い出した。
パチンコを趣味にしていた彼は、大勝ちした時には同僚を集めて、綺麗さっぱり飲食に使い切って居た事を思い出す。
金銭感覚が麻痺すると困る、あぶく銭を持っているとろくな事は無い、悪銭身に付かずだ。と彼は口癖の様にそう言っていたのだ。
「ならいっそそのお金で皆で何か美味しい物でも食べましょう、今なら人数も少ないですしその額でもそこそこ良い物が食べれるんじゃないでしょうか?」
屋敷に居る家臣の半分が父上と共に国元へと帰り、大上戸の仁一郎兄上と大食漢の義二郎兄上が居ない今ならば、十分に収まる金額だろう。
「そうねぇ……しーちゃんが良いなら、そうしようかしら? 腕の良い板前の仕事を見るのはむっちゃんの為にもなるしね」
むっちゃんと言うのは睦姉上の事だ、料理は武士の嗜みの一つとされており、全く料理が出来ない侍と言うのは稀なのだそうだ、それ故か侍が出先の屋台でちょっとつまむ程度ならば兎も角、飲食店で外食をするのは恥とされている。
無論、高級料亭の類はこの大江戸に幾つも存在するのだが、それらに武士が自ら足を運ぶ事はまず無い。
商家や他家の者に招かれて、初めてお忍びとしてその身を隠して出掛けるのだ。
そうでない場合には、料理人を屋敷に呼んで料理をさせるのが常識らしい、料理人が居なければ見世は開けない以上、貸切にする以上の金額を包む必要が有る。
一流の料理人の技を見る事の出来る機会は早々ないのだ。
「明日……と言うか、もう今夜ね。今夜は皆で石銀さんへ食べに行きましょうか」
……外食は外聞が悪いと母上から聞いた気がするのだが良いのだろうか?




