千二百四十四 大戦の予感を感じ愛しい娘と共に覚悟を決める事
火元国を実質的に支配している禿河幕府では、毎年睦月の上旬に何等かの理由で国許を離れる事が出来ない様な状況で無い限り、全ての大名が江戸へと下り上様の下に集まるのが恒例行事と成っている。
ちなみに江戸へと『上がる』ではなく『下る』なのは、火元国の正式な都は帝が御わす『京の都』で有り、江戸は飽く迄も帝から諸大名の統括を委任されて居る幕府の首都と言う位置づけだからだ。
この辺の事情は前世の江戸時代でも似たような感じだったそうで、日ノ本の真の中心である京都と天下の台所と言われた大阪周辺、つまりは近畿地方で作られた酒や醤油なんかが上物として珍重され、江戸に届いた時には『下り物』として扱われていたと言う。
なおこの辺の言葉の扱いは各藩の立地でも微妙に変わり、江戸よりも北や東に有る藩では『江戸に上がる』と表現するし、逆に江戸よりも西に有る藩では『江戸に下る』と言うのが普通らしい。
猪山藩は立地的に江戸よりも西で有り京の都からも然程離れていない場所なので、『江戸へと下る』と表現するべきなのだが、京の都の帝と朝廷よりも上様を含めた幕府への帰属意識の強さから『江戸へと上る』と表現する変な土地柄だったりする。
「と、そんな訳で御祖父様の密偵と善意有る富田藩士の一部が、現富田藩主で有りお連の親父さんの敵で……叔父に当たる男がやらかしてる圧政の証拠を上様に提出してあるからな。んで正月祝で全ての大名が集まる場でソレを理由に切腹を迫る予定に成っている」
此方の世界の江戸幕府では大名が江戸に詰めるのと、国許で暮らすのを一年毎に繰り返す参勤交代が行われている訳だが、毎年睦月の間は全ての大名が基本的には江戸に集まる事になる訳だ。
その際に前年中の論功行賞も行われるし、参勤交代の順番の関係でどうしても疎遠に成りがちな藩主同士の社交なんかも行われる。
故にソレこそ国許で謀反を企む輩が居るとか、一寸江戸までの旅をするには耐えられない様な病気や怪我をしたとか、藩士総出で対応しなけりゃならん様な大鬼や大妖が出たとか、本当にどうしようも無い理由が無ければ顔を出さ無い訳には行かない訳だ。
……つまり骨川強右衛門は色々な意味で既に詰んでいる状況な訳で、上様の前にのこのこと顔を出せば良くて切腹、悪くすりゃ武士としての体面を保ち自裁する事すら許されず打首獄門に処される可能性すら有る。
『苛政は虎よりも猛し』と言う言葉が有るが、虎よりも恐ろしい鬼やら妖怪やらが跳梁跋扈するこの世界に置いて、圧政は大名ですら裁きの対象に成りえる重い重い罪なのだ。
そもそもとして朝廷……ひいては帝から幕府に委託されて居るのは各地を統治する諸大名の取り纏めで有り、大名が大名として各地の統治を認められ民から税を取る権利を与えられて居るのは、積み上げた武を持って鬼や妖怪から民を守るが故である。
逆に言えば『もしも』の時に守ってくれると信じているからこそ、お百姓さん達が精魂込めて育てた米を年貢として徴収する事が許される訳だし、農村ではなく市街地に住む者達も戸口税やら人頭税やらをしっかりと納める訳だ。
「……じゃぁその方が素直に切腹に応じれば戦には成らないと言う事ですか?」
俺の言葉を聞いて少しだけ安堵の色を滲ませた表情でお連がそんな言葉を口にする。
「素直に江戸へと出てきて上様からの処罰をキッチリ受け入れたなら……ね」
この件に関わる情報をある程度受け取っている俺としては、そう成ってくれれば一番だとは思うが、残念ながらそうは成らないだろう……と言う確信が有った。
骨川強右衛門と言う男は欲望に忠実な男なのは間違い無い事実では有るが、ソレ以上に自己保身に長けた臆病者らしい。
先代藩主で有りお連の父親だった骨川筋右衛門様が、富田藩江戸屋敷に詰めていた藩士達を皆殺しにして自害した……と見られて居た事件の後、その当時唯一跡継ぎとしての権利を持っていた強右衛門は幕府からの再三の呼び出しを体調不良を理由に無視し続けたのだ。
どう言う心境の変化か、其れ共証拠隠滅が完了したと言う事なのか、はたまた国許を恣にする準備が整ったのか、強右衛門が江戸へとやって来たのは三年もの月日が経ってからだったと言う。
先代筋右衛門様は確かに小柄で細身では有ったが立ち振舞が堂々としており、小兵ながらも義二郎兄上辺りと並んでも引けを取らない貫禄が有ったそうだが、そうして現れた強右衛門は何処からどう見ても藩主どころか並の武士にすら見えない様な貧弱さだったそうだ。
武士は武に依って立つ者で有り、例え相手が先祖代々藩主の血筋であろうと弱者が頭領を貼り続ける事は出来やしない。
謀反や下剋上が推奨されて居る訳では無いが、弱い藩主に従い国許を滅ぼすくらいならば、いっその事自分が……と言う者は一定数は必ず居るし、強い奴が偉いと言う火元武士の性質上、そうした者から挑戦を受けたならば受けて立たねば正当を保てないのである。
……と言う事は少なくとも今現在の強右衛門は、諫言を口にする家臣達を撫で斬りに出来るだけの武勇が有るか、もしくはソレを代行する武力を持った忠臣が居ると言う事を示して居る訳だ。
しかも幾ら大名行列が通る様な街道が藩内を通って居ないとは言え、隣接する藩なんかへ直訴を試みる者を完全に遮断出来ている辺り、先ず間違い無く『策士』とか『策略家』等と呼べる様な者も居るのだと思う。
そんな輩が配下に居るとすれば、御祖父様の密偵が探りを入れて居たり、実際に戦と成った際には内応すると言う内諾を得ている家臣が居る事を、全く掴んで居ないと言う事も無い筈だ。
と成ると自裁が言い渡されソレを完遂しなければ御家取り潰しの沙汰も有り得る様な状況で、わざわざ強右衛門が江戸まで出向いて来るだろうか?
百歩譲って来たとしても果たして素直に自裁に応じるか?
彼が自害し果てたとして国許を接収する際には、お連を旗頭に立てて行く事で国許に残っている内応を約束している以外の家臣達が、未だ幼い少女とその許嫁とされている俺の実質的な乗っ取りを甘んじて受け入れるだろうか?
流石に長い圧政で苦しんでいると言う民衆が『オラが村の殿様の敵を討つ』と決起する様な事は無いとは思うが、強右衛門が圧政を強いるのに力を貸して居たであろう忠臣? とでも言うべき連中が抵抗する可能性は可也高いと思う。
下手をすると強右衛門自身が唯の傀儡で、其奴等こそが富田藩に圧政を強いている元凶と言う可能性すらあり得る話だ。
どうも御祖父様の手の者達も、強右衛門本人やその周辺まで探りを入れるのは難しいらしく、内応を約束している者もどちらかと言えば藩都に定住している者では無く、比較的辺境と言って良い地域で代官をしている様な者達らしい。
つまり富田藩外輪部の農村まではある程度探りを入れる事が出来ており、その辺に関しては話通りの苛政が行われているのは間違いないのだが、藩都やその周辺と言った中心部については驚く程に情報が少ないと言う。
この辺は最初期に一朗翁が押し込み強盗同然の方法でお連とその母親を救出した事も有って、藩都周辺の警備が厳重化したのが原因と見られては居るが……恐らくは他にも隠したい『何か』があるのだろうと御祖父様も言っていた。
その辺は俺も同意見で有り、逆に周辺部の苛政は本当に隠したい何かから目を逸らす為に行われている囮である可能性も捨てきれない。
……そう考えれば、恐らくは向こうの参謀役は『悪意に置いて勝る者無し』とまで謳われた御祖父様と、最低でも互角前後の知恵比べが出来る人物と言う事になる。
物事を考える時は楽観視する事無く常に最悪を想定しろ……と言うのは、前世の職場で部下達に散々言い聞かせて来た言葉だ。
まぁその最悪を想定して行動していなかったが故に、前世の俺は凶弾に倒れる羽目に成った訳だし、今生は油断してくたばる様な事は絶対に無い様にしなければ成らない。
「御祖父様や上様が最悪を想定して色々と準備は進めてくれているけれど、俺やお連もソレに甘えるだけじゃ無く、自分で出来る最大限の用意をしておく必要はある。だから週末にでも一度江戸へ戻って、お連が集めた素材で新しい装備を仕立てて置こうと思うんだ」
お連が西方大陸で他の留学生や冒険者達と共に魔物の討伐に参加し、手に入れた財貨や素材は馬鹿みたいに多いと言う訳では無いが、決して少ない物でも無い、其れ等を使えば少なくとも江戸州で手に入る素材で作る物以上の装備は作れる筈だ。
そして……俺の装備の方は界渡りの際に永遠の氷河に封じられて居た魔神達から受け取った素材を出すべき時だと思う。
恐らくは人生で最大の大戦になるとは言え、たった一回の戦いの為にアレを使えば何等かの呪いが飛んできても不思議は無いので、コレから来るであろう成長期を見越して身体が育っても使える様に作って貰う必要がある。
異世界から持ち込んだ素材を使う為には天目山の鍛冶神様にお目通りして此方の世界でも使える様に承認して貰う必要があると言う話だった筈だ。
鍛冶神様本神が槌を振るってくれるかどうかは解らないが、あの山に居る鍛冶師達は世界でも最高峰の者達なので、ソコで作って貰えるならば命を預けるに相応しい防具を仕立てて貰える筈である。
或る意味で年明けの戦は、生まれ変わってからの人生で最大の山場と言っても過言では無い筈だ。
俺は今生で築いた全ての財産を一度此処で吐き出す覚悟を決め、必要ならばお連の為にも銭で片付く事は全てやってやろうと覚悟を決めるのだった。




