千二百三十七 麦酒とネギタン塩を喰らい飢えと貧困を考える事
「ごっごっご……ぷはぁ! すみませーん! 麦酒お代わり!」
タン塩を頬張りその脂を洗い流す様に飲んだ麦酒は、前世の世界で言う高級麦酒の様などっしりとした味わいで、今の身体には少々苦みが強く感じたがコクと旨味の均衡が取れて居て十分に美味いと思った。
前世から俺は麦酒はソレこそ焼き肉とかを食う時や、飲み会の駆けつけ一杯くらいでしか呑まなかったが、所謂『辛口系』の麦酒はどちらかと言えば好きでは無く、有るならば高級麦酒を呑んで居たのだ。
具体的な銘柄を上げる事まではしないが、一世を風靡した某美食漫画でも批判されていた辛口を謳う麦酒が俺はどうにも苦手だった。
なんというか味が軽いと言うか、辛口と言うよりは芯が無い感じを刺激で誤魔化している? と思ってしまって居たのだ。
ソレに対して俺が好んでいたのは、黄竜と並んで四神の長ともされる事の有る霊獣を御印として掲げる麦酒製造会社の麦酒と、北の大地の大都市の名を冠した麦酒製造会社が売っていた長寿の神を頂いた麦酒だった。
どちらも芯の強いコクと苦みがしっかりしているが、後味の悪い苦みでは無く舌の上からサッと流れていく様に香草の風味がはっきりと味わえるのが好きだったのだ。
……まぁ俺がくたばる前後ではその手の麦酒は割と贅沢品扱いで、世の中の人達は発泡酒や第三の麦酒なんてのを呑んでいたと思うが、辛口同様に味が軽い様に感じてどうにも好みでは無かった。
その点、この見世で出されている麦酒は下手に科学的な発展が成されていない分、伝統的な製法で作られているのだろう事がはっきりと分かり、可也俺の好みに合致した味わいに仕上がっている。
一杯だけの積りで呑んだが、腹にしっかりと飯を詰め込んだ上で呑んでいるからか、其れ共この身体が前世の俺より酒精に強いのか、一杯では顔が火照る気配すら無い。
ソレになんと言っても味噌付け放る物の濃い味付けにも、牛タン塩の脂濃いけれども割とさっぱりとした味付けにもしっかりと麦酒が合う、此方の世界では精通すれば酒も解禁されるのが一般的なのだから誰憚る事無く食って呑んでやる!
お代わりとして運ばれて来た木の盃を手に、今度は一気に呑む様な真似はせず、放る物にしっかりと火が通っているのを確かめながら一口食べてはその味と脂を洗い流す様に一口だけ麦酒を呑む。
……ヤバい、コレ無限に食って呑める奴だ。
残念ながらこの見世は食べ放題や飲み放題と言った形式では無いので、財布の中身と相談しながらには成るが、口座に残っている残高を鑑みれば懐の中身を全部使った所で然程痛くは無い。
「すみませーん、放る物四人前と牛タン四人前追加でー、後有ったらで良いんですが、清浄野菜の長ネギって有りませんか? 牛タン塩とネギって合うと思うんですよね。それと麦酒ももう一杯!」
と、言う訳で放る物の皿も牛タンの皿も空いたので、さらなるお代わりを注文する。
給仕の女性がギョッとした目で此方を見たのは、既に俺が食っている量が下手な大人のソレを軽く越える物に成っているからだろう。
前世の世界だとタン塩に合う薬味と言えばネギは何処でも割と当たり前だったが、此方の世界ではそもそも生で食える清浄野菜自体が希少で高級品だ、それ故にわざわざ『有ったらで』と断った上で注文したのだが……。
「タン塩さネギどは分がってるね。どごで聞いだの? 地元でも知ってる人は少ねぁー食い方なのに」
等と言いながら細かく刻んだ状態の長ネギの白い部分を持って来てくれたのだ。
清浄野菜は高い、なにせこの世界では未だ化学肥料の類は一般的に流通しておらず、肥料と言えば人糞を含む下肥が使われるのが普通である。
其の為、生の野菜なんぞ食おう物なら寄生虫やらなんやらで、腹を下す程度で済めば良い方で、下手を打てば食中り一発即あの世行きまであり得るのだ。
対してウチの下屋敷なんかで作られて居る清浄野菜はと言えば、錬玉術で作られた肥料や、下肥含めた様々な肥料の素を十分に発酵させ発酵熱で寄生虫何かを死滅させた堆肥を使う事で、安全な野菜作りが出来ていると言う事らしい。
前者は兎も角、後者は本当に安全なのか……と農業に関してはド素人である俺としては思わなくも無いのだが、向こうの世界でも化学肥料を使わない『有機農法』で育てられた野菜を、ごく普通に生野菜で食べて居たしちゃんとしたモノであれば大丈夫なのだろう。
ちなみに清浄野菜は高いと言ったが実際のお値段としては、小鉢に盛られたネギ一本分にも満たない微塵切りで四十文と言う値付けである。
この見世の原価率がどれ位かは分からないが、普通の長ネギが余程時期外れでなければ一本四文もしない事を考えれば、べらぼうに高い……と言って間違い無いだろう。
なお此方の世界でも比較的安全に食べれる生野菜として萌やしの自家栽培が、多少でも裕福と言える家庭ならば割と何処でもやっている位には広まった技術らしい。
栄養素の中には熱に弱かったり水に溶け出しやすかったりして、生の野菜からでなければ取り入れ辛い物も有った筈だが、古く萌やしは生薬の一種として扱われておりその製法は長らく秘されて居たと言う話も有る。
恐らくは食に明るかったと言う家安公辺りが、食中りする事無く食べれる生の野菜として萌やしの製法を広めたのではなかろうか?
煮沸消毒し濡らした木綿に大豆を並べ日の当たらない場所で数日育てるだけ……と、言葉で言う分には簡単な育て方では有るが、それ相応の量を育てようと思えば大規模な設備なんかが必要に成ってくる。
前世の世界では安い野菜の代表格と言っても間違い無く、近所の食品量販店なんかに行けば1袋が十円かそこらで売られていた覚えが有るが、アレは飽く迄も工場での大量生産が出来たからこその価格だろう。
なんと言っても原料である大豆の需要は今生の火元国でも前世の日本という国でも、米と並んで日本食の根底を支えて居ると言っても過言では無かった筈だ。
煎り大豆をそのままポリポリ食うのは余程の物好き位だろうが、味噌に醤油に納豆枝豆等など、大豆に関わる事無く一日を終える日本人は少数派だったと思う。
その割に米の自給率に対して大豆の自給率は可也少なく、大半を輸入に頼っていると聞いた覚えが有るが……マジで何かの理由で大豆の輸入が滞る様な事に成ると日本の食卓が壊滅するんじゃなかろうか?
対して此方の火元国ではそもそもとして食料品は余程珍奇な品で無い限りは輸入には頼って居らず、食料自給率を数字にするならば十割と言って良いだろう。
とは言えこの数字は世界樹の権能と、ソレを操る神々に依って鬼や妖怪の害以外には災害らしい災害は起こらず、天候も暦通りに推移すると言うこの世界特有の安定性有ってこそと言って間違い無い。
更には鬼や妖怪と言った『食肉』が異世界から常に供給されて居るのも、この世界が全体的に飢えと無縁で居られる理由だろう。
前世に大学で学んだ事だが、人類の歴史と言うのは殆どの期間が『飢え』との戦いの歴史だったと言っても過言では無い。
俺がくたばる直前辺りでは飽食の時代なんて言葉も世には広まっては居たが、ソレは飽く迄も日本と言う経済大国の中だけの話で、東南亜細亜や阿弗利加と言った発展途上国では飢えや貧困が根絶された訳では無かった。
『貧すれば鈍する』と言う言葉の通り、貧困や飢えに苛まれている者達は目先の欲に囚われ明日を考える余裕なんて物は無い。
とは言え『衣食足りて礼節を知る』と言う言葉の通りに飢えが満たされて居れば、万人全てが善人足り得るかと言えば必ずしもそんな事は無い訳で……人間と言う生き物は何処まで貪欲に成れるのだろう?
なんて難しい事を考えて居ると、折角のネギ塩牛タンが不味く成る!
そう判断した俺は軽く頭を振って一旦考え事を丸っと脳から追い出すと、焼けた牛タンの上に刻んだネギを乗せ、ソレを包んで口の中へと放り込むと暫し咀嚼を楽しんでから麦酒で一気に流し込むのだった。




