千二百三十一 麦酒を心に誓い麦茶を啜る事
「美ー味ーいーぞぉぉおお雄々!」
俺が持ち込んだ料理はお祖母様の口に合った様で、楚々とした年齢の割には若く見える老婆の姿からは考えられない様な、猛獣の咆哮を上げつつ大凡一貫程を一人で食べ残りを家人に下げ渡すと言う。
後からノートパソコンに入って居る百科事典で調べた所に拠ると、動物園で飼育されて居る虎の食餌は個体差も有るが大凡は1日辺り一貫から二貫程度の肉だと言う話なので、飼育環境よりも活動的なお祖母様は一日に二貫食べる程度が丁度良い位らしい。
まぁ前世の世界の感覚で言えば、大の大人でも炙り肉や漢堡肉を一斤も食べれば大食い選手とか言われる連中程では無くとも大食いに区分される食事量といえるだろう。
一般的なお店では六両で1人前とするのが普通だったし、北の大地に起源を持つ漢堡肉餐庁でも十二両《約400g》が一番大きな献立だった筈だ。
重さで量り売りしている様な店ならば兎も角、決まった献立の中から選ぶ様な飲食店の場合には一斤を越える様な献立は有るとすれば、全部食べきったら無料だとか追加で賞金だとか所謂『挑戦献立』の類だろう。
俺も前世に警察学校を卒業し任官して直ぐの一番食えただろう次期に、一斤十二両の漢堡肉と白飯大盛り汁物と生野菜を十五分以内に食べきったら無料と言うのに挑戦した事は有るが……結果は惨敗だった。
恐らく今生の常人の三倍食うのが当たり前、強者ならば更にその倍食うと言われる猪山藩基準で生きているこの身体で、更に氣に拠る消化吸収の強化を用いれば大概の挑戦献立は完食出来るんだろうな。
実際、江戸で行われている大食い大会の類だと『猪山お断り』と、名指しで出禁扱いだったりするらしいし、そろそろ成長期に入る頃の食べ盛りとは言え既に前世の一番大食らいだった頃は軽く超えていると思う。
前世では一番食ってた頃で回転寿司なんかに行けば六十皿は余裕で食えたが、今生の俺なら多分同じ年頃には百皿を軽く超えて食べれるだろうし、氣を使う事まで視野に入れれば大食い選手としてもやっていけるのは間違い無い。
「いや……ほんま、コレは絶品なんて言葉じゃ済まされへん奴やわ。京の都は火元国でも一番文化が栄えた土地や言う自負を持っとるモンが多い、ソレは食文化の面でもおんなじや。せやけど火元国の外、外つ国まで目ぇ向ければ上には上が有るモンやなぁ」
冷めないウチに貴方達も頂きなさい、と言うお祖母様の言葉を受け、お溢れに預かって居た下働きの者達も外京に住む者で有っても『京の都は火元一』なんて矜持を持っているモノらしいが、そんな彼等すらもが脱帽だと口を揃えて言う。
「食材に成っている黄金牛と言う牛は、世界的に見ても最上級の家畜だそうでコレを越える味を持つ牛と成ると、ソレこそ大妖級の大物を仕留めるしか無いらしいですね」
この世界には『食材になる魔物は基本的に強ければ強い程美味い』と言う法則が有る。
『基本的に』なのは弱くとも美味い魔物も居れば、強くても毒が有ったりして錬玉術の素材には成っても食材としては適さない……なんてモノが居たりするからだ。
そう言う面で見ると黄金牛は穏やかな性質で家畜として飼育する事は可能では有るが、野生個体だったり飼育個体でも何等かの理由で興奮し暴走したりすると、普通に死人が出ても全然不思議は無い位には強い生き物だと言う。
元々が南方大陸では割と一般的な娯楽である、奴隷の戦士と魔物を戦わせソレを見物すると言う、前世の日本人的感覚からすると眉を潜めたくなる余興で使われて居た牛が起源らしいので強いのはある意味当然なのだ。
とは言え奴隷の戦士と言うから気分が悪くなると言うだけで、牛と人間が戦うと言うだけならば前世の世界にだって西班牙辺りの闘牛は世界的にも有名な娯楽だった。
しかしソレも俺が死ぬ少し前辺りで動物愛護の観点から衰退し始めて居たなんて話も出ていた様な気がする。
確かに娯楽目的で動物を傷付ける行為は動物虐待と言われても過言では無い気もするが、元々は食肉用に屠殺するのを娯楽化したモノで、現地では闘牛肉の専門料理店なんてモノも有ったと聞く。
そう言う意味では鯨油を絞る為に捕鯨し、必要部分以外は海に捨てて居た欧米の捕鯨に比べたら、しっかりと食材にしているならば文化として容認するべき……と言うのは飽く迄も俺の意見に過ぎない。
食う為に殺す事は自然の摂理の中に有る行為で、ソレをどうこう言うのはそもそもとして自分が今まで生きて来て食べた全ての生命に対して失礼だと思うんだ。
米の一粒にだって八十八の神が宿るなんて言う言い伝えが、前世の日本にも今生の火元国にも有るが、物理的に神と呼ばれる存在が実在しているこちらの世界と向こうの世界では、意味合いが大分違うのではなかろうか? 詳しく調べた訳では無いが。
「ほへぇ……そら豪気でんなぁ。京の都近くにも牛やら豚やら育てとる牧場は有りまっけど、ココまで美味い肉は奥方はんが戦場で狩って来はるモンくらいやさかいなぁ」
強いモノが美味いと言う法則が有る以上、極々普通に飼育されて居る家畜は、基本的には庶民の食べ物と言う価値観が強い。
千田院藩の様に藩を上げて大々的に名物として盛り上げている様な所は、まぁ例外と言う感じだろう。
……なんかそんな事を考えて居たら千田院の味噌放る物と牛タンが食べたく成ってきた。
味の格で言えば確実に黄金牛の方が美味いんだろうけど、千田院のアレは麦飯にも合うし麦酒との相性も最高らしいのだ。
前世のお巡りさんとしての感覚で言えば、未だまだお子様で飲酒なんざぁ以ての外! なのだが、こちらの世界では男児は精通すれば、女児は御赤飯が来れば肉体的には一人前と見做され飲酒も喫煙も認められている。
向こうの世界で酒や煙草が二十歳からと定められていたのは、成長途上の子供が其れ等を接種する事で心身の成長が妨げられたり、脳が萎縮したり未発達な肝臓では酒精を分解仕切れず様々な悪影響が有る……と考えられて居たからだ。
とは言え諸外国に目を向ければ欧州だと食事と一緒に飲む酒は十六歳からで蒸留酒は十八から……とか、米国は日本より厳しく飲酒二十一歳からで人目に付く場所での飲酒は基本的に禁止なんて法律が有ったりするらしい。
人種として日本人は欧米人より酒に弱い人が多いらしいので、多少厳し目に設定されて居るのだろう。
後は飲料水なんかが手に入り易いかどうか……と言った土地柄の問題も有るっぽい。
国や地域によっては普通の水よりも麦酒の方が遥かに安い……なんて場所も有るらしいと聞いた覚えがある。
……麦酒程度の軽い酒なら一杯くらいは飲んでも良いんじゃないだろうか?
西方大陸で食べた火酒入猪口爆弾でも酔う様な感覚は全く無かったし、氣の影響も有って肝臓が前世の俺よりも既に強いと言う可能性は十分にあり得る話だ。
味噌放る物と牛タン塩に麦酒……うん、最早ソレしか考えられないな。
幸い千田院藩の藩都には遠駆要石を備えた奉行所があるし、お祖母様と少し話をしてから出ても、転移で移動すれば夕飯時までに着くのは容易である。
今日こうして京の都に来たのは、ヤバい状況に陥っても転移で割と簡単に撤退出来る様に成ったから、江戸州内よりも難易度が高いと言う戦場に挑戦する為だったんだが……軽く一当てしたら千田院で焼き肉と麦酒で〆る事にしよう。
「取り敢えずお祖母様、食い終わってからでもこの近くで俺でも行けそうな戦場に付いて少し話を聞かせて貰っても良いですか?」
京の都周辺にある七つの戦場は奥へ行けば行く程に、地形も出現する鬼や妖怪も過酷さを増すと聞く。
今の俺は以前京の都に来た時よりも間違い無く強く成ったと言う自信は有るが、ソレでも最難関の最奥へ行けば生きて戻るのは難しい……らしいので、事前に情報収集をしておくにこしたことは無い。
そう言って素焼きの壺を使って冷やしたと言う麦茶を頂きながら、俺はお祖母様が食事を終えるのを待つのだった。




