千二百三十 火元国制覇し金銭感覚を怪しむ事
「うし! 火元国コンプリートぉ!」
正確には未だ政治的な事情なんかから行って居ない藩や地域の遠駆要石は幾つか残っては居るが、現状で行って登録しても問題が起きないだろう場所に関しては、全て鬼切手形に登録する事が出来た。
行けていない場所の代表格としては富田藩が上げられるが、アソコは圧政を隠す為なのか藩境の関所も難く閉ざされそう簡単に入る事は出来ない状況なのだ。
勿論、俺が持つ出入御免状を使えば法的には、関所を無理やり押し通る事は可能だろうが、その時点で色々な荒事が起こる可能性が極めて高い為に、国盗りの大義名分がきっちり揃うまでは行かない様に言われているのである。
それでも遠駆要石を維持管理する事が出来る大藩の殆どへは、一瞬で行き来出来る様に成った訳で、コレはもう火元国なら何時何処に俺が現れても不思議は無い……と言う状況は整ったと言える訳だ。
……多分武光の奴が万が一にも将軍の座を得る様な事が有ったら、俺はお祖父様と同じ様な働きを期待される事に成るんだろーなー。
「御免下さーい、突然お邪魔して申し訳有りません、志七郎ですー」
と、そんなこんなを考えつつも、やって来たのは京の都に有るお祖母様が暮らしているお屋敷だ。
手土産として用意したのは西方大陸でも南部の方に有るアシャンティ公国の一流餐庁でお持ち帰り用に折り詰めにしてもらった金毛牛の牛腰肉の蒸し焼き、枇杷汁掛けである。
西方大陸に関しては極々一部を旅しただけでは有るが、その旅程の中で食したモノでも一番美味かった肉料理を、肉食獣の変化であるが故に基本的に肉しか食べれないお祖母様の為に持ってきた訳だ。
まぁコレ自体は西方大陸の料理では無く南方大陸の料理手法で作られたモノなので、正確に言うならば南方大陸料理と言う事になるんだろうが……美味ければ良いだろう。
「へぇ、こりゃ坊っちゃん! よういらっしゃった、奥方はんはもうちょいしたら今日の狩りに出る所だったさかいに丁度よい頃合いやったなぁ」
お祖母様の屋敷で下働きをしている地元の若い衆が、そう言って俺を出迎えてくれる。
銀虎と言うその名の通り、白銀の毛皮を持つ虎が歳を経て変化する事を覚えた存在であるお祖母様は、長旅をする程の元気は無いらしいが肉食獣としての本能が完全に失われた訳では無く、自分の食い扶持は自分で狩りに行くのが日常だと言う。
「京の都周辺の戦場は江戸と比べたら、何処も危険度は可也高いと聞きますが……お祖母様は本当に大丈夫なんでしょうか?」
より正確に言うならば江戸周辺の戦場は人間が戦い易い様に整えられた火元国の中では割と難易度の低い場所ばかりで、京の都周辺に有る七つの戦場は古来より有る鬼や妖怪が潜む環境がそのまま残っているが故に魔物の強さよりも地形なんかで不覚を取るのだ。
「へぇ、奥方はんも無理は無理と理解してるお人やさかいなぁ、余程の事が無い限りは比較的浅い所で闘争本能を満足させつつ食い扶持分稼ぐだけや言う話なんで、未だ心配はせんでも大丈夫でっしゃろ。あ、奥方はんはお人やのうて虎やったな」
わざわざ人と言ったのを虎と言い直したのは、異種族に対する差別云々と言う話では無く、実際お祖母様が虎の変化で有る事に掛けた冗談なのだろう……あんまり笑えるネタでは無いが。
「ちょっと美味い肉料理を出す見世を見つけたんで買ってきたんですよ、お祖母様が食べる量が人より多い事を考えても、お屋敷で下働きしてる皆さんの口にも入るだろう量を持ってきたんで後から皆さんもお召し上がりくださいな」
基本的に武家、公家、商家問わず客が手土産として持参した物を口にする事が出来るのは、その家の主が認め下げ渡した相手だけである。
以前、俺が川中嶋藩の大名家である立嶋家に六百個もの豚饅を持ち込み、主君から家人に至るまで全員に行き渡る様に手土産を持ち込んだ時にも突っ込まれたが、武家社会に置いて手土産と言うモノは当主に対して渡すモノで家人にまで気を使う必要は無い。
むしろ家人の分まで安い手土産を大量に用意する位ならば、当主とその家族に対して一点豪華主義的な手土産を用意する方が礼儀としては一般的だ。
この火元国は前世の明治維新後に四民平等が成された日本とは違い、明確な階級制度が生きて居る社会で有り、武士階級の主家の者と町人階級の家人に同じ土産を持ち込むと言う行為自体が『凄い失礼』な行為と受け止められかねない。
『お前は武士かもしれないが、町人階級の家人と同程度の価値しか無い』なんて言う風に受け取られる可能性が、相手によっては十分に考えられると言う事である。
まぁ今回の場合は他所への手土産では無く、この屋敷の主であるお祖母様の孫である俺が、家人に対しても気を使った……と言う形に成るので問題に成る事も無い。
と言うかそもそもとして、藩主の嫁と言う枠に収まり相応の期間その立場を勤め上げたお祖母様では有るが、その本質は武士どころか人間ですら無い肉食の獣だ。
その辺の価値観は極々普通の武家の奥方様のソレとは、大きくズレて居ると言って間違い無いだろう。
「へぇ……そりゃ、豪気でんな。奥方はんは肉しか食わへん分、肉に関しては舌が肥えてはる、そんな奥方はんを満足させる様なモンをワテら見たいな下々のモンがくろうて味が分かりますかいな?」
お祖母様が普段食べている肉は銭を出して買えば一斤で一両は下らない……と言う様な超高級肉で、町人階級の者が口にする事はほぼ無いと言って間違い無い。
この屋敷で下働きをしている者であれば、お祖母様のお溢れに預かる様な事が全く無い……と言う事も無いとは思うが、ソレにしたって日常的に食べれる訳では無く、むしろ食べ慣れてしまえば普段の食事が味気ないモノに成ってしまう可能性すらある。
それ故に食べれる機会が有っても、敢えて自重していると言う可能性は考えて居なかった。
「外つ国の料理なんでそうそう食べれない珍味だと思って食って下さいな」
ちなみに用意して来た肉の量は大凡で二貫四斤 程と、一人で食うには多すぎる量である。
なおこの量は牛一頭から取れる牛腰肉を丸っと使った分と言う事に成り、ソレを超が付く高級餐庁から買って来たのだから、お値段は推して知るべし……と言った感じの価格だ。
ぶっちゃけ前世の俺なら絶対にやらない金の使い方なのは間違い無いし、前世の俺以上に今生の俺は稼ごうと思えば幾らでも稼げるから……と金銭感覚が少しぶっ壊れ気味なのかもしれない。
実際、火元国とワイズマンシティを往復する時に『ついで』で拾っていく留学生達の交通費だけでも、町人階級の立場で慎ましく生活するならば十分以上の稼ぎに成っているのだ。
ソコに四煌戌や焔羽姫の食餌を賄う為の鬼切りで得られる討伐報酬や、自分では使わない分の素材を売却した利益を足せば、武士としての体面を維持したままでも十分以上に暮らせる稼ぎは割と簡単に作る事が出来る。
俺や義二郎兄上の様に鬼切りで稼いで居る訳では無い、仁一郎兄上や信三郎兄上だって小遣いに困ったなんて話は聞いた事が無いので、稼ぎと言う点では流石に鬼切りには劣るにせよ馬比べや釣りで得られる銭も決して少ない額面では無いのだろう。
「ほな、有り難くお溢れに預かる事に居たしまひょ、奥方はん! 奥方はん! お孫はんが美味そうな肉料理をたんまり持って遊びに来はったで!」
江戸と比べると身分の差を意識して話をしていると言う感じがしないのは、恐らくは言葉遣いの差もあるんだろう。
そんな事を少しだけ考えながら、俺は肉料理の入った木箱を担いだままで、屋敷の門を潜るのだった。




