千二百二十七 志七郎、太祖の遺産を論じ覚悟を決める事
猪山藩江戸屋敷の本館へと入った俺は、父上に内密な話がしたい……と声を掛け、防諜に気を払った離れの蔵へと場所を移す事に成った。
俺が声を掛けたのは父上だけだったのだが、当然の様に母上も付いて来るし、道すがら何処から聞きつけたのか、其れに何故今日此処に居るのかも不自然な御祖父様まで姿を表した事に内心の驚きながら、無言を貫いて最後尾を来た者が扉を閉めるのを待つ。
「相談したいのは此れからのお連の事です。火元国を離れるのは富田の手の者から彼女を守る為……と言うのが理由の一つだった筈で、今も段階で彼女を連れ帰るべきか否かは俺には判断が着かなかったで相談したかった。御祖父様が居てくれたのは有り難いですね」
俺が何時でも何処にでも自由自在に跳べる転移魔法を完全に使い熟して居るのであれば、距離なんてのはどうとでもなる事柄と言えるが、残念ながら今は未だ遠駆要石と言う目印に向けての転移しかする事は出来ない。
「俺は向こうで現地に太祖家安公が編み出したと言う西海岸流侍道現地の言葉でウエスタンサムライと言う流派を学ぶ事にしたので、向こうには定期的に行く予定なので、お連はお花さんに預かって貰うのも選択肢の一つだとは思うんです」
霊山魔蔵山に住む大天狗の仙人である難喪仙から学んだ剣術に、世界を旅する間に見に付けた拳銃の扱い、そして此方の世界に来る切欠にも成ったと伝えられている精霊魔法、其れ等三つを見事に掛け合わせたのが西海岸流侍道と言う流派だ。
剣の技法だけで言うのであれば俺の使う警視流の技術は其の儘流用が効く物では無いが、拳銃の技術と精霊魔法は応用が効くだろう。
其の辺を鑑みれば学ぶ価値は十分に有ると判断し、道場に通う為に定期的にワイズマンシティへと転移する予定なのだ。
其の帰りについでに留学先から帰国したいと言う者を拾って帰れば、幕府なり其の者の家なりから多少の謝礼も出るだろう事も容易に想像が付く。
恐らくは猪山藩と言う四方を鬼や妖怪の縄張りに囲まれた天然の要塞とでも言うべき場所に彼女を閉じ込めて置くよりは、世間一般的な自由を謳歌しつつ俺と直接会って話す機会も多くなるだろう。
そう考えると彼女の帰国は今暫く先にする……と言うのも立派な選択肢の一つだと思うのだ。
「ほほぅ……太祖公が編み出した戦闘流派が真逆世界の反対側に残されているとはの。其れはお前だけで無く武光にも学ぶ機会を設けるのが良かろうよ。ただしお連は年明け頃には一度連れ帰って貰う必要が有るの」
と、俺の話を聞いて大人達が少しだけ考え込む素振りを見せた後、最初に口を開いたのは御祖父様だった。
「御主とお連を娶せた後、あの娘を旗頭に富田の地を簒奪すると言う計画じゃが……少々早める必要性が出てきたのじゃ。あの地に潜って居る草と現当主に不満を持ち内応を約束した物達が揃ってこれ以上待つと領地が持たぬと言って来ておる……」
現当主の骨川 強右衛門と言う男は、武人としては可也の腕前を持つそうで、兄の死後藩主の地位を得た後に行った放蕩三昧に諫言した古株の家臣達を軒並み手打ちにしたと言う。
その為、今の富田藩に居るのは奴の顔色を伺う事しか出来ない弱腰の者か、自身の手の及ぶ範囲で弱き者を守る為に身を粉にする者の何方かなのだそうだ。
当然と言えば当然の事ながら内応を約束してくれた者と言うのは後者で有り、彼等は自分達の命よりも領地に残る強右衛門の圧政で苦しむ民達の命と生活を守るギリギリの線を超えそうだと訴えて来て居るのだと言う。
年明け……と時期を区切ったのは、正月に成れば参勤の為に全ての大名が江戸に集まり、上様の御前で宴を開くのが恒例行事で、その際に領地の統治で称賛される者や逆に叱責を受ける者等が発表されるのだそうだ。
一応は幕府は各地の藩主に自治権を認めその土地の者から直訴でも無い限りは、御庭番衆等を使った諜報活動すらして居ないと言う建前に成っている。
強右衛門はどう言う方法を使っているのか、尋常では無い圧政を強いて居るにも拘らず、直訴状の一枚も幕府は勿論の事、近隣大名の下にすら届いて居ない為、今の状況では幕府が直接動くと言う事は出来ないのだ。
「だが儂や一朗は違う。飽く迄も儂らは只の隠居爺じゃからの。何処をどう流離って何を見ようと自由よ。一朗の奴がお連とその母を攫ってからは儂等の事を大分警戒しておったようじゃが……時間が経って気も緩んで来て居るようじゃしの」
御祖父様や一朗翁本人が風間藩の土地に踏み込む事こそ未だ警戒して居る素振りは有るが、手の者と彼の土地に潜む厳十一忍衆に連なる草と呼ばれる忍術使い達との繋ぎは取れる様になっていると言う。
「其れにあの土地で酷い圧政が行われている証人として、我が藩では九郎の奴を抱えて居る。アレも徹雄の弟子として武の道に踏み込んだ事で初祝を受け、その血筋の証明は出来て居るが故に風間の出だと言う事に疑いの余地は無いからな」
御祖父様の言葉を引き継ぐ様に、父上が熊爪の従叔父上の弟子である九郎の事を口にする。
九郎は風間藩の酷い圧政が原因で口減らしの為に無茶な鬼切に出た所を、運良く従叔父上に救われその才能に惚れ込んで弟子に取ったと言う者だ。
故にその身柄自体が風間藩が圧政を強いている生きた証拠と言える訳である。
「故に奴が次の正月に上様の前に姿を表したならば、正式に糾弾し奴を藩主の座から引きずり下ろす。もしも奴が其れを察して所領から出て来ぬ様ならば……志七郎とお連の仮祝言を挙げた上で、お連を旗頭に攻め入る許可上様から賜る手筈に成って居る」
おいおい仮にも天下泰平と謳われる此の火元国で国盗りの戦をしろとか、割と……いや可也ぶっ飛んだ話をいきなりしないでくれよ。
いやまぁ何時かは其れをする事になるだろうとは思っては居たが、其れは俺が元服しお連の髪上げも済んだ後の事だと思っていた。
にも拘らず、年明け早々に其れを行えと言うのは一寸拙速が過ぎないか? と言いたい所だが、折角国を盗っても土地に住む者達が息絶えた後だと言う状況では確かに『もう少し早く行うべきだった』と後悔する者が多く出る事になるだろう。
……前世だって、事件性を把握して居るのに管轄違いで手出し出来なかった案件や、捜査に手間取った結果出さなくても良い被害者が出てしまった案件なんて物は自他双方で腐る程見て来た。
今回の其れは未だ間に合う可能性の有る案件と考えれば、多少の犠牲を払うとしてでも『正常化』の為に戦う事を躊躇うべきでは無い。
向こうの世界で武士の心得として『葉隠』の一節に『武士道とは死ぬ事と見つけたり』と言う言葉が有った。
此れは死ぬ事を賛美する言葉では無く、死んだ気に成って頑張れば大概の事は為せば成ると言う事を示して居ると言うのが本来の意味合いだと聞いた覚えが有る。
此方の世界には何故か葉隠の書は無いが、似た様な言葉として『志道とは只信念に死ぬる事と見つけたり』と言う物が有る。
此れは葉隠の其れとは違い、志を貫く為には信念を持って死ぬ覚悟で突貫せよ……と言う様な意味合いで用いられる、玉砕を賛美する彼の様な意味合いで用いられる事が多い言葉だ。
まぁ前世の世界でも葉隠の其れを玉砕賛美と誤解した解釈が、世間一般に浸透して居たし、恐らくは『滅びの美学』とでも言う様な物が火元人の感性には突き刺さるのだろう。
何にせよ奴が上様の前に姿を表し正式に処罰を受けると言う穏当な路線は、恐らく誰しもが無い《・・》と判断して居るのだと簡単に察しは付いた。
何もなく綺麗に事が終われば良し……そうで無ければ武士の一分を賭して幕府に『悪』と認定された強右衛門を、俺と其れに連なる者達で討ち取る正当性が担保されると言う訳だ。
人間同士の戦……戦争をしたいなんざぁ、小指の爪の先程も思っちゃ居ないが
、やらなけりゃ泣く弱き者達が居るならば立ち上がるのが武士の矜持で有り警察官としての教示でもある。
俺は事前に想定して居たよりも重い結果を受け、心を鬼にして合戦へと向かう覚悟を決めるのだった。




