千二百二十四 志七郎、覚悟を決めた者達を知り最終段階を超える事
本日の体調……朝から息子さんが必要以上に元気過ぎる以外に問題無し。
手荷物確認……は、昨日の夜に三回もしたし恐らく問題無し。
同行者の体調……顔色の悪い者は居ないし挙動不審な者も居ないので此方も恐らく問題無し。
「最終確認ヨシッ! 俺達は此れから火元国へと向かって転移を試みる。俺の今迄の経験から恐らくは成功する筈だし、万が一失敗して変な場所に飛ばされる様な事が有っても、その時は今日同行してくれている師範代殿が何とかしてくれる!」
お連と一緒に取った写真情報が入った記憶媒体を紗蘭に預けてからも、暫くワイズマンシティの冒険者組合から他所の都市国家の冒険者組合への転移を行う短時間労働を続けて来た。
その間に事故を起こす様な事は一度も無く、無事に転移を繰り返す事が出来た事から、今回とうとう火元国に向かっての超長距離転移を試す事に成ったのだ。
今回同行するのは術者育成令を幕府が出した当初に此方の大陸へと留学して来た第一期生で、その中でも比較的優秀な成績で基礎課程を終え複数の精霊と契約を結んだ状態に有る者達である。
彼等は霊獣探索の旅に出る事無く、精霊魔法使いと名乗っても恥ずかしく無い最低限度の技量を得たと判断し、今回俺の転移挑戦に合わせて他の者達よりも一足先に帰国の途に就くのだ。
ちなみに一期生の中では俺と比較的交友の有った渋沢 《たくみ》殿は、精霊魔法の深奥に踏み込む事を選択したそうで、早期の帰国では無く霊獣探索の旅へと先日旅立って行った。
其の際に家族に宛てた手紙を預かっているのだが、此れは火元国に無事付いたならば手雲藩の江戸屋敷に届ければ良いだろう。
一応もう一度懐に手を入れ、其の手紙を部屋に置き忘れている様な事が無いのを確認する……うん大丈夫だちゃんと持っている。
一度二度と深呼吸をして少しだけ感じている緊張を解し、
「では、火元国へ向けて転移を行います。一緒に帰る四名様は地面に書いた円の中に入って下さい」
そう言って一緒に帰る者達を自分の周りへと集めた。
転移魔法を使う上で地面に目印を書くのは必須では無いが、初心者が確実に面子を揃えて転移するのであれば、こうした方が成功率がほんの僅かでは有るが上がるらしいので、今回は其れを採用する事にしたのだ。
其の言葉を待っていたらしい留学生の中では比較的年嵩の武士達四人が四煌戌に跨った俺の側へとやって来る。
今回の転移で一緒に跳ぶのは俺と四煌戌そして師範代の他に四人の計六名と一頭……いや三頭か? 四煌戌達はどう数えるべきなのか今一解らんが身体と言う意味では一つなので一体と呼称するのが正しいかも知れない……である。
「では最後にもう一度確認します。今回の超長距離転移は半ば実験で、失敗する可能性は零では有りません。万が一変な場所へと転移してしまった場合でも同行してくれる師範代殿が何とかしてくれるとは思いますが、危険が全く無いと言う訳では有りません」
危険な状況に陥る可能性が有るならば俺と師範代殿だけで、一度火元国へと跳べば良いと言う話なのだが、お花さん曰く適度な負荷が無ければ俺の修行に成らないと言う事で、今回同行者を募る事に成ったのだ。
今俺が改めて述べた注意事項は当然志願者を募る前に説明済みの事柄では有るが、何等かの契約を結ぶ際に書類に書かれた注意事項を細部まで読む者が少ない様に、聞き流していて後から聞いてないと騒ぐ者は何処にでも居る物である。
「無論、我等四人は覚悟の上で集まっている。この留学へと出る時点で運が悪ければ船自体が沈み皆海の藻屑と成る可能性すら鑑みて此処に居るのだ。今更死線の一つや二つ超えれずに故郷に錦を飾れる物か」
「然り然り、そもそも我等は御家を継ぐ事すら出来ず、かと言って武腕を持って分家を起こす事も出来ぬ腰抜けと嘲笑われて居た身よ、精霊魔法を覚え術者としての道が開けた時点で運が良く、国許へと辿り着ければ更に運が良いと言うだけの事」
「継ぐ家が無ければ嫁の来手も無いのが直参旗本の次男坊三男坊よ。まぁ其れでも家を追ん出されんだけ小普請組の三男以降よりはマシだがな」
「火元国では新たな精霊や霊獣と契約する事は叶わぬが、我等が契約を結んだ精霊が成長し、子や孫の代にまでその権能を貸し続けてくれる可能性は十分に有ると言う。為れば本家に取っても分家を建てるだけの価値は十分に有る筈で御座る」
四人から返って来たなんとも世知辛い言葉では有るが、武に依って立つ者である火元武士にとって弱いと言う事は『罪』と言っても間違い無い程に、その者の価値を下げる要因なのだ。
小普請組と呼ばれる武家の中でも最下級の家禄しか得ていない家の子で有れば、上で言われた通り家を追い出され、町人階級堕ちした上で貧乏長屋で暮らさざるを得ない……なんて事に成る者も居る。
其れだって元は武家の子と解れば、鬼切りで身を立てずに口入屋で其の日を凌ぐ日雇い仕事をして居る者は、ご近所さんからも落伍者と看做され嫁の来手なんか有る訳が無いと言う。
彼等第一期生は幕府の援助もそこそこ程度しか出ていなかったにも拘らず、渡航費用を家から出して貰える程度には裕福と言える家に産まれたが、武士として独り立ち出来る程に武勇に恵まれなかった部屋住みの者達である。
御家の跡継ぎが子を残さぬ内に夭逝した場合の予備として家には置いて貰えるが、その扱いは決して良い物では無いと言う。
ましてや嫡男夫婦に無事跡継ぎとなる男児が産まれ成長した日には、武士失格の烙印を押された年嵩の叔父等、甥っ子から見ても腫れ物扱いする事しか出来ないらしい。
そんな世間的に見れば追い詰められたと表現しても不思議は無い彼等の立場から見れば、今回の留学は地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸の様な物だったのだろう。
後が無いからこそ命を惜しむ事無く、武才の無い自分の才能を活かせる可能性に賭ける事が出来た訳だ。
そして俺の転移に乗って最初に帰国すると言う選択も、他の者達より先んじて火元国に精霊魔法使いとして帰れば、幕府に召し抱えて貰える可能性は可也高いと言わざるを得ない。
その事を考えれば他にも志願者は居ても不思議は全く無いのだが、其処は年功序列を良しとする火元人の価値観が働いたのか、比較的年嵩の彼等が第一陣である事に異論を唱える者は居なかったのだ。
「では……円からはみ出さないで下さいね。下手をするとはみ出ている部分がスパッとちょん切れる可能性も有りますから。古の契約に基きて、我、猪河志七郎が命ず、四つの色を重ねし深淵の黒……」
四種複合属性である時の魔法は黒の魔法、全ての色を重ねれば全ての光を吸い込む闇より深い黒と成る。
その黒は時間と空間だけで無く重力や斥力と言った、前世の世界の科学でも扱う事の出来ない様々な権能を内包した黒なのだ。
此の世のどんな黒よりも黒いその力を操るには相応の気力と体力に精神力、魔力や魂力等が必要に成る。
けれども俺達火元武士が持つ氣と言う異能はそうした物が足りない場合には、其処に割り振る事で未だ子供の俺でも、只人の大人が持つ其れ等を超える力を発揮する事が出来るのだ!
俺が呪を編むのに合わせて、円の中心に立つ四煌戌から吹き出した黒い光としか表現出来ない其れが、地面を伝い円の縁までしっかりと行き渡って行く。
地面にぽっかりと穴が開いた様にしか見えないその状況でも誰一人として戸惑う様子を見せず、胸を張って故郷に錦を飾るのだと言う気概に呼応する彼の様に、呪が完成した瞬間周囲の風景が一瞬で塗り替わる。
そうして次の瞬間、俺達は長年見知った江戸城内に有る、鬼切り奉行所の遠駆要石が並べられた部屋の景色を見ていたのだった。




