千二百十九 志七郎、雄の生態を考え師の純愛を思う事
大量の果物の配送を足下屋に丸投げした俺は、腐る物も無くなったし先ずは帰還報告をと、精霊魔法学会のお花さんの執務室へと戻って来た。
「あら? 今回はちゃんとその日の内に帰って来たのね。いくら田舎国家とは言えテノチティトラン王国にも綺麗所が揃ってる見世の一つや二つは有った筈だし、この間みたいに羽を伸ばしてくると思ったんだけれどもねぇ」
十代半ばの見目ながら齢三百年を数える森人で有り、一朗翁と言う一廉の大英雄を育て上げた経産婦でも有る彼女は、色々な意味で男と言う生き物を良く知っているのだろう。
種族を問わず大概の生き物の雄は己の子孫を少しでも多く残す為に、あの手この手で種を蒔こうとする物だ。
此れは産まれた子供が絶対に自分の子供であると断言出来る女性に対して、その子が本当に自分の子かどうか確かめる術が無いか、有っても人類にしか使えない叡智であるが故に動物的な本能がそうさせるのだろう。
実際、前世の世界でもDNA鑑定なんて技術が産まれ、父子の親子関係を科学的に証明出来る様になるまでは、例えソレが不義密通の子だとしてもその事実が明るみに出ない限りは普通に実子として育てられて来た。
俺がくたばる少し前辺りにそうした技術で不貞の子だと判明する所謂『托卵』と呼ばれる案件が、家族関係をぶっ壊したなんて案件を聞く事が有ったが、恐らく人類史を紐解けばそうした行為で断絶した男系の血筋は割と有るんじゃ無いだろうか?
歴史的に有名な案件としては彼の太閤『豊臣秀吉』の子供の件だろう。
彼は多くの女性を囲った女好きの面が割と取り沙汰されるのに対して、産まれた子供は淀殿や淀君等とも呼ばれる茶々姫との間に産まれた二子と、もう一人の女性との間に産まれた二子の計四人だけだったそうだ。
他の多くの女性との間に子供が出来なかった事から、彼には種無しの疑惑が歴史界隈では持たれていると言う様な話を聞いた事が有る。
その為、夭逝した第一子も大阪の陣で自害の憂き目に有った第二子も、本当に秀吉の子なのだろうか? と言う疑念が持たれているらしい。
とは言え詳しい情報が現代に残されていない一人の娘を除いて、他の三人の死は史実として確認されて居る為に、彼の男系の子孫は完全に途絶えていると言って間違いないだろう。
……まぁ世の中には大阪の陣で自害したのは影武者で、実は遠方に逃れていた……と言う様な生存説も有った様だが、ソレは討ち取られた筈の『源義経』が蒙古に渡って『成吉思汗』に成ったと言う様な伝説の類だと思われる。
向こうの世界でも今生でも火元人は勧善懲悪も好むが、其れ以上に弱者が強者を討ち取ったり弱者が立身出世を果たすと言った様な『判官贔屓』を好む傾向が有る様に思えた。
まぁ世界を見渡しても身体的や立場の弱い者が知恵と勇気で逆転劇を披露すると言う創作物は、割とありふれた題材では有るので必ずしも火元人だけが其れを好むと言う訳では無く、人類全体に其れを好む傾向が多々見られるのだろう。
実際、俺が良く読んでいたネット小説なんかでも、現実での立場が余り良いとは言えない者が、何等かの理由で死に転生を切っ掛けに人生大逆転で大活躍……等と言う、俺の境遇と割と被るだろう物語が多々存在し其れが人気を博して居た物だ。
自称有識者の分析では、現実世界で余り良い境遇では無い所謂『氷河期』と呼ばれた俺を含めた年代の世代が其れを特に好む傾向が有り、不遇な現実から目を背ける為に努力する事無く成功する物語が好まれていた……なんて事も何処かで書かれていた覚えが有る。
俺も書籍化や漫画化に漫画動画化した作品を全て読んでいたと言う訳では無いので断定は出来ないが、確かに俺がくたばる少し前辺りは『友情・努力・勝利』よりは、お手軽簡単にチカラを得た即席英雄が増えて居た様な気がした。
其れでも尚運動競技と根性物もそれ相応に見かけた覚えが有るので、努力や根性が完全に忌避されて居ると言う訳では無かった筈だ。
とは言え俺は同世代の……報われ辛い人生を送って居た者達から見れば所謂『勝ち組』に分類されるだろう人生だったが故に、そうした不遇を創作物で癒やすと言う感覚は余り理解は出来なかった。
其れでも『努力せずに勝ち組に成りたい』と言う欲求自体は理解る、俺だって定年退職した後にのんべんだらりとした生活をする為に、日々の仕事や昇進試験なんかに対する努力をして居たのだ。
後から楽をする為にその日の努力をして居たと言うだけで、本来の俺は何方かと言えば努力が苦に成らない性質と言うよりは『楽して狡して頂きかしら』と生きていたい普通の人間だった。
と……話がズレたが兎角男と言う生き物は不確実な中で、少しでも高い確率で自分の子孫を残す為に、正室の他に側室を持ったり浮気や妾と言った形で他所に女を作ったりする生き物なのだ。
そもそもとして一夫一婦と言う制度自体が、海外の倫理規範の根底となる宗教の価値観が大本である。
日本が其れを法に組み込んだのは、明治維新の際に西欧の進んだ文化を取り込み、彼の宗教の価値観をそのまま輸入したからだ。
純粋に動物として考えるならば向こうの世界の人間と言う物は、群れを為し男性は狩りの為に旅をし、女性達は拠点で採取と子育てをすると言う生態で、強い雄が複数の雌を侍らせる『ハーレム』を形成する獅子の様な生き物なのだろう。
しかし採取と狩りの生活から農耕と言う技術を手に入れた事で、其れまでとは違うある程度の安定した生活を手にした事で、男達は常に命を懸ける狩りの必要が無く成ったのだ。
結果として其れまでと比べ命を落とす男の数は減り、男女の数の釣り合いが取れて来たのだろう。
故に一夫一婦を是とする宗教が産まれ、其れが世界へとどんどん広がって言ったのでは無かろうか?
とは言え戦争なんかが有れば当然の様に男女の均衡は崩れ、甲斐性の有る男が複数の女性を囲うのが割と当たり前となる。
戦後の動乱期にも戦争で寡婦と成った女性を、地主や大企業の重役なんかが妾として、子供が居ればその子供まで生活の面倒を見るなんて事が割と良くあったと言う。
其れでも俺がくたばった時点で戦後七十年、幾つもの災害なんかは有ったが戦争と言う理不尽にだけは遭遇する事無く、男女の人口均衡は保たれたままだったからこそ、極々一部の例外を除いて一夫一婦制が浸透していったのだろう。
……其れでもまぁ芸能人や政治家の浮気やら不倫やらの報道が絶える事は無かったし、民間でだって痴情の縺れが原因の事件なんざぁ数えるのも馬鹿らしく成る程、世の中に溢れ返って居た。
つまりは何処まで行っても男と言う生き物は、種を撒いて増えたいと言う動物としての原始的な欲求から逃れられないと言う事なのだろう。
言うて女性は女性の側で托卵なんて手口が大昔から横行して居る事を考えるに、向こうは向こうで優秀な遺伝子が欲しいと言う欲求からは逃れられないと言う事でも有るのでは無かろうか?
其れ故に……彼の宗教の影響が無い此方の世界では、甲斐性さえ有れば男女共に複数の伴侶を持つ事が許される。
そんな中でお花さんが今は亡き夫に操を立て、一朗翁以降に子供を作る事をしなかったのは、純愛と呼ぶに相応しいものだろう。
「一応言って置くけれど……私が一朗以降子供を産まなかったのは、あの子が死ぬ程ヤンチャ過ぎて子育てってモノを誤解しちゃったからよ? 他所様の子供は彼処まで手が掛かる様な事は無かったのよねぇ……」
表情は消して居た筈なのに内心を読んだ彼の様に、ため息混じりにそんな言葉を彼女が吐いたのは、正に亀の甲より年の功と言う奴なのだろう。
一朗翁の様々な逸話や伏虎義兄上の苦労を鑑みるに、お花さんの子育ては本当に並大抵な苦労じゃ無かっただろう事は想像に難く無い。
其れでもまぁ……一朗翁はお栗さんを一途に愛して居るのは、国許で会った時に理解出来たので、ソッチ関係の苦労をお連に掛ける事だけはしないと、俺は強く強く心に誓うのだった。




