千二百十七 志七郎、物欲に負け金銭感覚の狂いを実感する事
さて……困ったぞ、正直言って買いすぎた。
勧められるがままに試食した結果、どれも此れも美味しくてお連は勿論、お花さんや蕾にお忠達の他、他の留学生が連れて来た極少数の女性陣の分まで色々と買い込んだ結果、四煌戌の積載量の限界ギリギリに成ってる気がする。
召喚や送還を行う際、四煌戌に乗せすぎた荷物はその場に取り残されて地面へと落下するのだが、その量と言うのは彼等が背負って行動出来る分量からすると十分の一にも満たない僅かと言って良い量だ。
その為、基本的に四煌戌を火元国に有る猪山藩江戸屋敷へと送還する際に持たせる事が出来るのは手紙と少量の御土産程度で、今回買い込んでしまった果物や分類上は野菜である物を全て乗せて送還する事は不可能なのである。
では転移系統の魔法ならばどうかと言えば、正直やってみないと解らない。
一応、お花さんから受けた座学の上では、理論上は荷物の量や質を問わず全てを持って転移する事は可能らしいのだが、其れも術者が編んだ呪文と魂力や霊獣に精霊の霊力が釣り合わ無ければ失敗する可能性は零では無いと言う話だった。
此の場合の失敗には幾つかの展開が有り、戦闘中に慌てて撤退する時の様に全ての装備や荷物を落としてしまったり、前回俺がやらかした様に霊獣を置き去りにしてしまったり、積載量を超えた分だけを落とす……なんて事も有るらしい。
単純に遠駆要石を使った転移の場合には、装備品と手回り品と呼べる程度の量しか一緒に転移出来ない事を考えると、転移系統の術は破格の性能を持っていると言えるが其れも此れも使い熟せばと言う話で有る。
角言う俺がどうかと言えば長距離転移を始めて成功させただけで、自動車で言えば未だまだ若葉印を外す事が出来る程の腕前とは言い難い。
と言う自動車免許で言えば若葉印どころか、自動車学校敷地内での仮免教習が終わって、やっと路上教習に出たばかりで教官の補助制動機が無けりゃ割と危険だったりする程度だ。
そんな状況で荷物を満載した四トントラックを運転すると考えれば、俺が今どれだけ無謀な事をやっているのかは想像が付くだろうか?
ちなみに四トントラックと言うのは積載量が凡そ四トンの中型トラックの愛称で、免許の区分的には中型免許が必要になる車両だ。
俺が免許を取った当時は未だ中型免許も準中型免許もそんな区分は無く、普通免許で大型に区分される未満の自動車は全て運転出来る法律だったが、後々の法改正で中型や準中型と言う区分けがサれる様に成った。
中型は未熟なトラック運転手に拠る事故が多発した事を受けて作られたが、中型免許の取得条件に運転歴二年以上と言う物が有った為、高校卒業後進学せずに運送業へ就職する若者がトラックを運転出来ないと言う自体に陥り人手不足が深刻に成ったらしい。
其処で更に中型の下に準中型を設け、準中型で有れば二年の縛り無く取得出来る様にした……と言う極めて場当たり的な政治のやり取りから産まれた免許区分で有る。
区分けが出来る前に免許を取得して居た者は、該当区分の免許を持っていると見做すと言う法律だった為、俺自身は最後の免許更新時に中型免許の所に記載が入って居た覚えが有るが実際に四トンを運転した経験は無い。
つか個人の自家用車を持っていなかったから、自分で運転してたのって交番勤務時代のパトカーや、捜査四課に配属されて暫くの下っ端だった頃に覆面パトカーを運転して居た位しか経験は無かったりする。
なお自動二輪も原付きの中でもスクーターの類になら友人から借りて何度か試しに乗った事は有るが、スーパーカブ50の様な原付き免許でも乗れる自動二輪には乗った事が無い。
大学時代の俺の狭い交友範囲の中に自動二輪をガッツリ乗り回す様な者は居なかったのだ。
その分、此方の世界で四煌戌が鞍を乗せる事が出来るまで大きく成ってからは、ガッツリ全自動四足を乗り回しているがね。
……馬や牛は向こうの世界でも軽車両の区分で自転車と同じく免許を必要としない乗り物と言う扱いだったが此奴等の場合も同じなのだろうか?
まぁ向こうの世界にこんなトンチキ生物は存在しないし考えるだけ無駄な話だな。
なお俺がくたばる前には、自転車での飲酒運転に対しても取り締まりの強化をするなんて議論が出てたと思うが、馬に乗る際も飲酒運転は取り締まりの対象で逆に馬に酒を飲ませて酔っ払っている場合には『整備不良』と言う扱いになるなんて話も有ったなー。
うん、何時までも現実逃避していても折角買った果物がテノチティトラン王国の陽気で駄目になるな。
にしても……うん、此処の西瓜も試食させて貰った奴は本当に甘くて香りも良くて美味かった!
海外の西瓜と言うと水分補給が目的で、甘みは余り無いとか聞いた覚えが有ったのだが、テノチティトラン王国で生産されて居る品種は、当たり外れは多々有れど比較的甘く育ち易い物らしい。
その中でも特に甘いと目を付けた物だけをシルバ商会では高値を付けて農家から買い入れ、其れを自分の所の看板に掛けて高品質を保証する事で高級果物の販売店として、近隣諸国にも販路を持っているのだと言う。
実際、試食した万寿果も檬果も舐瓜も甘橙も百香果も、都内まで出かけて百貨店で大枚叩いて買う様な品質の物ばかりだった。
流石に試食品だけ一流で売る物は二流三流なんて言う詐欺の様な手法をして居る見世が、国を代表する商会にまで成長するなんて事は無いと信じて、色々な物をたっぷりと買った訳だ。
「お前等もどれか食うか? 普通の犬なら兎も角、霊獣で有るお前等なら大概の物は食べても平気だろ?」
買いすぎた事を後悔し、僅かでも積載する荷物を減らす為に四煌戌にそんな言葉を掛けて見る。
「ばふ、わおん(私は要らない、甘いのは好きじゃない)」
「うぉん、おおん(青いのは好き、でも甘いのは要らないかな)」
「ふぁぁ……ばう(酸っぱい臭い嫌い……肉がよい)」
と三首全てが果実に対して興味を示さなかった。
西瓜は殆どが水分で犬や猫が食べても良い果物の代表格だった筈だが、どうやら彼等の好みには合致しないらしい。
食わず嫌いと言う言葉も有るが、好きじゃ無いと言ってる物を無理に食わせる必要は無いか……。
実際、完全に肉だけでは補えない栄養素はある程度食餌に野菜や穀物を混ぜ込む事で補って居る筈だし、そもそもとして基本的に死ぬ事の無い霊獣で有る彼等が摂るべきは、物質としての栄養よりも食材に含まれる各種属性の霊力だ。
故に彼等が果物を食べないと言う事自体に然程の問題は無い。問題が有るとすればやはり俺の金銭感覚の方だろう。
流石に初競りの御祝儀相場程の値段を出した訳では無いが、都内の百貨店で買うのと同等か其れ以上に近い価格の果物をわんさと購入したのだ。
其れで財布に対して然程の被害も無いと考えている時点で、金銭感覚が前世の地方公務員としてそこそこ貰っていた頃と比べて、明らかに壊れつつ有るのが解る。
稼ぎが前世の社会人時代の比じゃないからなぁ……一応俺も警部の階級と課長と言う役職の御蔭で同年代としては多い方の年収で六百五十万近い額は貰ってたが、此方だと下手しなくても一日で十万以上簡単に稼げるもんなぁ。
つか普段四煌戌が食ってる分の食餌代だって銭で贖おうと思ったら、普通に両単位で銭が飛んでいく訳だし、収入も多けりゃ支出の方も間違い無くデカいんだよ。
最近は冒険者組合で鬼切り手形の中に入ってる金額の確認すら怖くてしてないもんなぁ……。
日本円で千万単位の貯蓄は前世も有ったが、億の単位にまでは流石に踏み込んで無かったが、一桁増えるだけで此れだけ感覚が麻痺して来る物なのか。
いやでも確かに学生時代の一万円でひーこら言っていた頃と比べたら、社会人に成って使える様に成った金額の大きさに慣れていったのも金銭感覚の麻痺と言えるかも知れない。
幸い前世では物欲も然程無く金の掛かる趣味も無かった御蔭で、両親や兄貴と甥っ子に相続出来る遺産は相当な額が残ったが、今生は多分お連との間に子孫を残す事になるんだから、無駄遣いの類はもう少し控える様にしなければな。
と、そんな事を考えながら俺は二百本近くが纏まった状態の実芭蕉から一本を千切り取ると、皮を剥いて頬張るのだった。




