千二百十二 志七郎、己が欲を思い教育を考える事
ノートPCはワイズマンシティの部屋に置いて来て居たので、息子さんを構う事無く昨夜は寝床に入ったのだが……驚く事に夜中に騒ぎ出す事も無く快眠出来た!
「此れはつまり……お連と一緒に寝ているからこそ必要以上に元気なのか?」
寝起きで多少ボケた頭のまま寝台の上で上半身を起こすと、俺は思わずそんな事を呟いた。
お連は向こうの世界で言えば未だ中学生にも成らない子供で有り、そう言う目で見る事自体が奇怪しいと世間様では言われる存在だ。
俺の方も身体は同年代では有るが、精神的には三十半ばを回った経験の有る良い大人だと言う自覚が有る。
つまりお連に対してそう言う感情を今の段階で抱く様では、児童性愛者よりも罪が深い小児性愛者と言う事に成り、向こうで培ったお巡りさんとしての感覚では完全に有罪判定と言う事に成る訳で……。
『お巡りさん、こっちです』と言って呼ばれる側の人間で『お触りマン、こっちです』と誘われる様な外道に成る訳には行かない。
……其れにしても添い寝だけでこんなにも毎晩元気一杯な状態に成るのは、一寸此方で手に入れた下に効くと言う食材の数々が効き過ぎたのでは無かろうか?
まぁ前世の俺だって朝は息子さんが毎日元気だった覚えも有るが、夜は何方かと言えば勉強と剣道の稽古で疲れ切って居て、そう言う事をする体力なんか残って無かった気がするんだ。
だからと言って此方でして居る稽古や勉学を、向こうに居た頃よりも温い程度に押さえている訳でも無い。
命が軽い此方の世界で武術の稽古に手を抜くと言う事は、自殺を志願して居ると言う事に他ならないのだ。
無論、魔法や勉学だって生きる為の能力を磨くと言う意味では、此方を疎かにして良いと言う訳でも無い。
法の番人を自負する警察官と言う職責に居た身で此れは余り好きでは無い言葉だが『法は弱者の味方では無い、其れを知る者の味方なのだ』と言う格言が前世の法曹界には有った。
実際に現場で様々な事件と相対して居ると『自称弱者』と言う奴がどれ程に傲慢で邪な存在だったのかと言う事を実感するしか無かった交番勤務時代だったが、あの時の経験が有るからこそ捜査四課に行った後も人を偏見の目で見なく成ったのだと思う。
世の中の犯罪は常に『悪い奴』が起こしていると言う訳では無く、中には『頭の悪い奴』が法律を知らないが故に罪を犯してしまったと言う案件が少なからず有るのだ。
そしてその対象は必ずしも無辜の民とは限らず、暴力団員が被害者に成って警察を頼ると言う案件だって存在して居た。
解り易いのは暴力団同士の抗争が行き過ぎた結果、死人が出た様な案件だろう。
連中は表沙汰にせずに死体を綺麗に始末する様な方法を幾つか持っている場合が多いが、そうした後始末が不完全だったり其れをする余裕も無い様な状況に成った場合には、どうしたって警察が介入する事に成る。
其れに乗じて家宅捜索何かがされて見つかっては不味い物が押収されない様に、真犯人では無い下っ端をサクッと自首させる替え玉なんてのが昔は横行して居た時代も有った。
けれども俺が四課に配属された頃には暴対法が強化された絡みで、下っ端が事件を起こした場合に、幹部や組長が直接指示を出した訳でも無い事件でも、上をしょっ引く事が出来る様に成っていた筈だ。
とは言え俺が居た地元の暴力団は昔気質の任侠道を愛する集団で、他所から縄張りを奪いに来た組織と揉める事は有っても、地元民との間に諍いが起こる様な事は無かったし、そうした事が有れば素直に自首する様な連中だった。
……まぁその自首も警察の捜査が及ぶ前に来ている以上は、替え玉の類では無いと言う証明は出来ないんだがね。
兎角、話は逸れたが世の中と言う奴は『知っている事が多い奴程有利』に出来ていると言う事だ。
まぁ此方の世界は何処も全てが法治国家と言う訳では無いので、権力者に楯突く様な真似をすれば問答無用で『切り捨て御免』て事も有り得るが、其の辺は向こうの世界だって其れに近い事が罷り通って居る国は有った……お隣の大陸の某巨大国家とかね。
流石に無秩序な拘束と処刑なんて真似はして居ない筈だが、噂で耳にする限り一部地域の治安や少数民族に対する弾圧なんかは、法治を当たり前とする大多数の日本人の想像絶する程らしいからなぁ。
しかしお隣の国に限らず、日本人だと法律を守ると言う遵法精神は、余程酷い家庭環境で無ければ割と当たり前の『躾』の中で身に付く感覚なのだが、此れが海外に出ると当たり前では無いと言う。
何せ道徳的価値の根幹を為すのが『宗教』で有り、其の経典に『悪い事をすると天国に行けず地獄に堕ちる』と言う様な事が書かれて居るので取り敢えず現世の法を守る……と言うのが一般的だと言うのだ。
故に日本人が海外に出かけた際に『無宗教』や『無神論』を自称すると、途端に『ヤベー奴』認定される事が有ったりする。
海外の一神教系の者達からすると、そうした道徳的根幹を持たない輩は『何をするか解らない連中』なのだ。
そう言う意味では『宗教は麻薬』と称してソレを禁じて居る共産主義国家の人間も、彼等からすると同じく『危ない人間』の国と見えるのだろう。
東西冷戦の構図は『自由主義』と『共産主義』の対立だけで無く宗教の『肯定』と『否定』の対立でも有ったのかも知れない。
……等と、世界史的な考察が出来るのも、俺が前世の世界で様々な事柄を自由に学び覚える事が出来る国に居たからこそだ。
暴力団員に割と多い外国籍の者から聞いた話だと、彼らが通っていた母国系の学校では『日本は第二次大戦で母国に悪い事をした、だから日本に対しては何をしてもソレは天罰だ』等と言う教育を受けたのだと言う。
教育と言うのは一歩間違えば他者を容易に操る『洗脳』に成る。
宗教だって俺が子供の頃に毒瓦斯を地下鉄に巻いた彼処の様に、自分達に都合の良い事を信じ込ませる洗脳の道具に成る事だって有るのだ。
幸か不幸か前世の実家は宗教に関しては親友の実家だった今楠寺の古くからの檀家で有り、変な物に嵌まり込む様な機会は無かったが、知り合いの中には一神教系の新興宗教に親が嵌まって一家離散なんて目に合った者も居る。
盆暮れには寺にお参りし、降誕祭に鶏と蛋糕を食らい、新年には神社にお参りすると言う、一般的な日本人には理解し難い感覚なのだが……宗教は本当に時には人間を狂わせるのだ。
何せ科学的に地球が丸いなんてのは常識と成っている現代に置いてすら、米国人の何割かは此方の世界の様に『地面は平らで其の周りを太陽や月等が回っている』と信じていると言う。
世界一の先進国と言われる国ですらソレなのだから、途上国と言われる様な国や地域に成ると、其の教育水準は察するに余りあると言う物だ。
法律を守ると言う日本人にとっては極めて当たり前とも言える常識は、実の所は『社会に迷惑を掛けてはいけない』と言う家庭での躾と学校教育の中で培われた、世界的に見れば稀有とも言える資質なので有る。
対して此方の世界の人間はと言えば、或る意味では『宗教』が倫理の根幹に有るとも言えるし、完全なる監視社会の結果で有るとも言えるだろう。
何せ法を犯す様な真似をすればソレは確実に世界樹に記録され、其れを閲覧する権限の有る者……多くの場合は神に仕える神職か、もしくは公職に就く権力者には全て筒抜けなのだ。
其れでもバレ無ければ犯罪じゃねぇとばかりに犯罪を犯す者が出るのが人類と言う生き物で有る以上は、其れを見越して色々と対策を練らなければ成らないのが為政者と言う者なのだろう。
お連と結ばれた暁には俺も一つの藩を担う立場に成る筈なのだから、今から少しでも良い治世が出来る様に……と、そんな事を考えている内に朝から元気な息子さんは自然と落ち着きを取り戻し、俺はやっと寝台を降りるのだった。




