百十九 対決! 鬼二郎と出世魚 その六
怒涛のような歓声が響き渡る中、二人の闘いは激しさと喧しさを増して居た。
二人が改めて手に取った得物はさして上質と言える物では無かったらしく、たった一合撃にすら耐えられず、あっさりと折れたのだ。
ゆっくりと吟味する暇も無く二人は更に手近な一振りを取り、それも数合撃と保たず折れ、その度に新たな武器を拾い上げる。
時には槍、薙刀、長巻等、刀以外の得物を手にする事も有るが、それらとて長い時間使われる事無く、あっさりと破損し打ち捨てられていた。
当初、数えるのも嫌に成るほどに立ち並んでいたそれらも、余りにも早い損耗の結果、決闘場の四隅を除けば殆ど残っていない。
「文字通り、激しく火花散る激戦! いえ、火花だけではない、折れた刃、砕けた鋼もまた激しく飛び散って居ります! 観衆の皆様は流れ破片にご注意下さい!」
「しかしポキンポキンと、よう景気よくへし折るのぅ。それでも竹光を引くような間抜けはどちらもしておらぬが……」
どちらかの武器が一方的に質が良くても悪くてもこの状況は起こらない、二人が手にした得物の質が概ね釣り合っているからこそ両方が折れるのだ。
無論必ずしも同時に折れるという訳では無いが、その度に蹴りや投げ、氣を用いた攻撃を巧みに操り、得物を失った隙をどちらもが上手く取り繕っている為、中々勝負が付かないでいた。
そうしている内に未の刻を告げる鐘が鳴る、試合開始が巳の刻を告げる鐘から暫くしての事だったので、少なく見積もっても三時間は過ぎた事になるだろう。
端で見ている俺や仁一郎兄上は、
「売り子さん、こっちに高良と麦酒、あと煎餅……あ、外郎も有るの? んじゃそれも頂戴」
と、まぁこんな感じで買い食いをしながらの観戦である。当然ながら麦酒を飲むのは俺ではなく仁一郎兄上だが。
他の兄弟は直ぐ側に居る訳ではないので解らないが、恐らくは皆昼食も間食も出店なり売り子なりから買って済ませただろう。
だが闘っている二人は休みを挟む事も無く飲まず食わずで激闘を繰り広げている。
正月も開けたばかりの寒空の下だと言うのに、吹き出した汗が湯気となり二人の身体から沸き上がっているのが見えた。
「……二人共かなり消耗してきているな」
ぼそりと仁一郎兄上が呟いたのが耳に入った。
無理も無い、真剣を使った殺し合いのストレスは、試合のそれとは段違いだろう、そしてあの汗の量、脱水症状を起こしていてもおかしくはない。
二人共肉体的疲労はそろそろ限界に達しているだろう、それでも尚こうして衰えた様子無く刀を交え続けられるのは、ひとえに氣の力によるものだろう。
鈴木はこの試合の為の武者修行の間、疲労を癒やす事も出来ずに動かぬ身体を氣で無理矢理動かして戦い続けたと言う、それと同じ事を今この場で二人がしているのだ。
だが氣は使い過ぎれば尽きる物、二人はここまで全力で戦いを続けている、何時限界が来てもおかしくは無いだろう。
そう思っていた矢先である、ぶつかり合う度に火花を散らし、あっさりと欠け折れていた刀が、今度は数合と言わず長く打ち合えるようになったのだ。
「おおっとこれはぁ! 両者良い得物を得たと言うことでしょうか?」
「いや、二人共氣が尽きたのよ。此処から先は氣功を使えず、心技体の限界を極める勝負、どちらが先に音を上げるかの勝負よの」
戦況の変化はアナウンサーもそして解説の父上もが当然のように気付いている、そしてそれは観客達も同じ様で皆が息を飲むのがはっきりと伝わってきた。
そろそろ決着が近い、皆それを理解しているのだろう、その瞬間を見逃さない為に再び全ての視線が決闘場へと注がれる。
「氣を纏わずとも繰り出されるは双方共に達人の一撃! 対応を誤れば即、死が待っています。それにしても速い、そして正確、力に勝る鬼二郎に技で対抗するかと思われたこの勝負、蓋を開けてみれば全く以て互角の勝負が続いております」
氣は尽き果て、肉体的にも限界は疾うに迎えている筈の二人、だがその剣速は衰える様子は無く、むしろその鋭さを増している様にすら感じられた。
「二人共息が上がっておる、どちらも限界なんぞとっくに過ぎておろう……、それでも尚あの速さと技を維持できるのは、心の……意地の強さであろうな」
「意地……ですか?」
「うむ『鬼二郎』と讃えられし武名を持つ者の意地、『七光』と呼ばれる程に偉大なる父親を持った者の意地。所詮男など意地と見栄で生きている様な生き物よ。どちらが強い等その最たる物であろう」
父上の言葉の『男』を『武士』と言い換えても、きっとそれは間違いでは無い。
勝負が動いたのはそれから更に半刻程も過ぎた頃だった。
双方が大上段から振り下ろした一撃が真正面からぶつかり合った、それだけならばそれまでだって幾度も繰り返されてきた事だが、この時はそれまでとは違った。
今まではどちらか一方が有利になる事も無く、双方が体勢を崩すか、鍔迫り合いに移行していたのが、この時はなんと鈴木の刀が弾き飛ばされ天高くを舞ったのだ。
単純な剣の試合ならば、この時点で勝負が付いたと判断されるだろう、事実この瞬間勝負の行方を見守る者達は義二郎兄上の勝利を確信した。
そしてそれは兄上もそうだったのだろう、はっきりと息を付くのが俺からも見て取れた、そう兄上はそこで気を抜いてしまったのだ。
ここで兄上が刀を突き付けるなりすれば、そこで本当に勝負が付いていたのだろうが、決着前に気を抜いた兄上には明確に隙が有った。
刹那の時も置かず鈴木の足が跳ね上がる、そのつま先には西日を浴びて輝く刃の光。
折れた刀の刃先をつま先で掴みそれを兄上に対して蹴りだしたのだ。
鮮血が飛んだ。
「決まったぁ!! なんとなんと、大逆転の一手! 刀を飛ばされ軍配は鬼二郎に上がったと思われた瞬間! 繰り出されたのは鈴木の鋭い蹴り! 恐らくは折れた刀を拾ったのでしょう、その一撃で鬼二郎の首を切り裂いた!」
義二郎兄上は咄嗟に首を振り繰り出された刃を躱そうとしたが一瞬遅い。
喉元に突き刺さる事こそ無かった物の、刃は兄上の首筋を深く深く断ち切った。
恐らくは動脈が切れたのだろう、真っ赤な血が噴水の様に吹き上がる。
俺はこの時まで真剣勝負、命を掛けた試合と言う言葉が建前上の事だと思っていた。
だが、あれは……あれでは前世の世界の医学でも搬送している内に出血性ショックなり、出血多量で命を落とすレベルだ。
「勝負有った! 勝者は鈴木清吾!」
一郎翁がそう声を上げた時、兄上の身体は大きく傾いで、そして音を立てて倒れた。
俺は前世も含め、身内の死に触れた事は殆ど無い。
曾祖母、祖母共に俺が生まれるよりも前に無くなっており、それ以外の者達は皆健康で病院に掛かる事も稀だった。
警察官になってからも、同僚や部下から殉職者が出たことも無く、身内の死という物に自身が思っていた以上に耐性が無かったらしい。
義二郎兄上が死ぬ、恐らくもう助からない、そう考えに至り俺は不意に身体が震えだすのを感じた。
「……志七郎、案ずるな。事前の策を打たぬ父上でも、老翁でも無い」
そう言いながら仁一郎兄上が俺の手を強く握る、きっと俺を安心させるためだろう。
だが言われてみれば確かに、ここは即死でなければ大概の傷が治る霊薬だの、魔法だのが存在するファンタジーな世界だ。
前世の医療では助からないとしても、救う手立ては有るのだろう。
そう思い至り俺がほっと安堵の溜息を付くとそれを合図にしたかのように、それまで只静かに勝負の行方を見守っていた頭上の龍が兄上に向かいゆっくりと降りてくるのが目に入った。




