千二百一 志七郎、約束と徒弟制度を考る事
「成る程、錬玉術師には技術秘匿の義務が有る故に、私が勝手に盗める様な状況で調合を見せるのは難しいけれども、正式に技術を学ぶと言う事で有れば其れは問題無い……つまりはそう言う事ですかな?」
お花さん主導に拠る北方大陸遠征から帰った俺は、三つ星の認定試験を受けている間に彼女が調理した鬼緋鯉の鯉こくを食べ、更に人食い加加阿の猪口齢糖を口にする前にワン大人に繋ぎを取った。
錬玉術の伝授に関するアレコレも大事だが、鯉こくを食べた時点で息子さんの奥に有る秘宝にチクチクとした軽い痛みを感じた為、猪口齢糖を食べる前に診察を受けて置こうと思ったからだ。
今日は実際に猪口齢糖を口にして、ウポポ族の集落で薬湯を飲んだ時の様に寝込む可能性を考えて、彼が診療所として使って居るミェン一門の道場の一角へ出向いての会談と成った。
要するにこのまま入院する事を割と前提として準備して来たと言う事である。
「はい、そう言う事になります。南方への旅路では俺が錬玉術の調合をする機会が無かったので、改めて時間を作って其れを見せようと思っていたのですが、師匠のそのまた師匠から正当な伝授以外は駄目だと叱られました」
正直に事情を説明した事で良識有る大人である彼は納得の表情を浮かべ、
「其れは確かに祖父師殿の言う事が正しいでしょうな。錬玉術に限らず霊薬の調合には少なからず危険が伴う物ですし、毒と薬は紙一重の違いしか無く使い方に依っては容易く人を殺める。君も薬を扱う者として医療の心得が足りない様だしね」
少しだけ意地悪そうな笑みへと変えながら、そんな言葉を口にする。
「だが君の提案は一考の価値は十分に有る。錬玉術で作られた術具の中には、霊薬以上に患者の命を救うのに役立つ物が幾つも有ると聞いて居るからね、そうした物も学ぶ事が出来、更には私の子に其れを受け継ぐ事が出来れば更に多くの命を救える」
西方大陸南方の未開拓地域を共に旅した中で、ワン大人の人物像は大体掴んだと思って居たのだが、彼の医者としての使命感と言うのか『命を救う』と言う事に対する情熱の強さは其れ以上の物だった様だ。
「予定としてはもう二ヶ月程度で俺は一度火元国へと戻る事になりますが、その時には瞬間移動の魔法を使って帰る予定で、その後も定期的に此方には戻って来る事に成るので、錬玉術の指南も長期的に可能に成る筈です」
此方の大陸へと戻る最大の理由は西海岸流侍道を学ぶ為だが、彼に錬玉術を教えるのもワイズマンシティの医療を良くする為にも大事な事だろう。
欲を言うならば毒属性の精霊魔法で霊薬の効果を再現する事を目指している精霊魔法学会の学長にも、錬玉術の術理を伝える事で研究が進むだろうとも思えるが、其処までするには俺の理解が可也足りて無い。
俺の錬玉術は理論的に其れを使い熟して居る訳では無く、丸暗記した調合法を氣と精霊魔法を補助として使って強引に形にして居る物なので、新しい調合法を開発しろとか言われても不可能だと断言しても良い位だ。
人に教える立場に成ると言うのに其れで良いのかと思ったりもするのだが、俺の騒動に巻き込まれる頻度を考えると、其処までガッツリ勉強して居る余裕が有るかどうか解らんと言うのが正直な所である。
まぁ瞬間移動の魔法を覚えたら北方大陸の方にもちょくちょく顔を出して氣や精霊魔法と錬玉術の関係に関しての研究に協力しろとも寅殿に言われているし、彼方に行った時に少しずつでも学ぶ機会は有るだろう。
つかワン大人への錬玉術伝授に第一位王工匠を取るのは割と大前提だし、勉強時間は多少無理をしてでも捻出せなアカン奴だわな。
ついでに瞬間移動の魔法の効率と精度を上げて、自分だけで無く他人を一緒に転移出来る様に成ったなら、智香子姉上を北方大陸へと連れて行くと言うのも必要な行動だろう。
今の彼女なら第一位王工匠は多分取れるだろうし、其れを取らなけりゃ弟子の桂太郎の階位認定が出来ず、彼を独り立ちさせる事が出来ないと言う事に成る。
まぁ猪川家としては桂太郎には独立する様な事無く、智香子姉上が婿を貰って建てる分家の家人として一生使い潰す、と言うのが一番良い結果なのだろうが……個人的には一端の職人に成ったならばしっかり独立して仕事をさせてあげる方が良いと思う。
どうしてそんな風に考えるのかと言えば、此れもやっぱり前世での経験に拠る物なのだが、暴力団と土建業界と言うのは割と近しい関係に有った時代が有り、そうした繋がりから大工の世界に関してもある程度の知識を持っているからだ。
昔の大工と言うのは下っ端の内は小遣い銭程度の安い賃金で力仕事をさせるが、技術を隠す様な事はせず全てを『見て覚えろ』の機会をしっかり作るのが普通だった。
対して昨今の所謂ハウスメーカーと呼ばれる様な企業だと、一人の大工に全ての技術を教える様な事をせず、壁貼りなら壁貼りだけ、柱や梁なら柱や梁だけ……と言う様に教える技術を絞る事で独立出来ない様にして、何時までも安く使うと言う手法が横行していた。
給料を上げる為の交渉をしようにも他社へ転職しようにも、技術的には其れ以外何も出来ない半人前な訳で、確かに入社当初の収入は徒弟型よりも多くの給料が出るのだが、生涯年収と言う話に成ると何倍もの差が付くのが普通だと言う。
とは言えハウスメーカーのやり方が必ずしも外道と言う訳でも無い、田舎から出て来て徒弟式の教育を受けた大工が独り立ちする際に、地元へと帰る事無く師匠と同じ地域に残り商売敵に成ると言う案件が少なからず有ったそうなのだ。
多くの場合そうした不義理をブチかますのは、徒弟時代の低い立場で受ける教育と言う名のパワハラを恨んでの事だったらしいが、徒弟制度は学費を払って教えて貰う学校では無く、多少なりとも賃金を払って仕事をさせる雇用関係である。
この辺は時代の流れの所為も有ると思うのだが、一人では禄に仕事も出来ない半人前に最低賃金以上の給料を払えと言うのだから、早急に其れ相応の『使える』人材に成って貰わにゃ堪らんと言うのは理解出来る話だ。
故に時にはキツく当たる事も有るだろうし、工事現場で気を抜けば怪我や命の危険にも繋がるのだから厳しく接する事も有るだろう。
そうした対応は昔は当然の事として世の中に受け入れられ居り、若い衆の方も『何糞』と奮起したり『何時か一人前に成って稼いでやる』と言う欲求が、成長の原動力と成った側面も有る筈だ。
けれども時代が進み、物質的にも経済的にも恵まれた生活を幼い頃から享受し若者の飢えた精神が失われた結果、そう言う対応がパワハラ的な物として受け止められる様に成っていったのでは無かろうか?
故に同じ大工を目指すにしても、最初から高い目の給料を提示するハウスメーカーに人が流れ、未熟者には相応の給料しか出さない上に扱いの悪い徒弟制度と言う物自体が崩壊して行ったのだろう。
そうした流れを外からでは有るがある程度見て来た身としては、智香子姉上に割と厳しく教育を受けている様に見える桂太郎にはキッチリと独り立ちして、苦労に見合う収入を得る事が出来る様に成って欲しいのだ。
とは言え彼は江戸の出身なのでもしも地元で独立した場合には、姉上と商圏が被ってしまう可能性が高い。
其れに彼は町人階級の……其れも貧民層の出なので、銭の成る木とも言える錬玉術師として江戸の街で工房を構えた場合には、結局猪山藩が後ろ盾に成らなければ、酷い事に成る可能性も有る。
そう言う事を考えるならば、智香子姉上の下に居る方が幸せな可能性も零では無い。
「さて……此方の準備は出来たし、君は猪口齢糖を食べて寝台に入ると良い。テツ殿や彼が兄貴と慕う男が食べた際には可也劇的な効果が出たそうだからな。気をしっかり持つのだぞ」
俺がこの先の事を考えている間にワン大人は今の状態の診察を終え、猪口齢糖を食べた後に備えての準備も完了した様で、そう促す言葉を口にするのだった。




