千二百『無題』
此処北方大陸と呼ばれる地で誕生したとされる錬玉術と言う術は、金の成る木と呼んで差し支えない程に儲かる技術で有る。
この技術が開発されるまでにも、世界各地で独自の霊薬や術具の開発はされて居たが、此処まで体系立てた学術として調合法を構築し、理論の研究が進んでは来なかった……と、基礎課程で習った。
実際、我が火元国にも各地で異なった製法の霊薬が存在して居り、薬師と呼ばれる者達が伝統的な技術や製法を守りながら必要に応じて処方した物が、裕福な者達が怪我や病気を患った際には使われている。
薬師達が調合するのは霊薬だけでは無く、薬種と呼ばれる様々な素材を煎じた物や黒焼にした物等も使われているが、其れ等は霊薬程劇的な効果を及ぼす物では無い。
霊薬は飲んだ瞬間から効果を発揮するが故に本来ならば其れを調合出来る薬師は、陰陽寮傘下の術師として保護されると同時に、其の行動にも制限が掛かるのが正しい法度の運用と言う事に成る。
だが其れをすると霊薬では無い薬すら全うに流通する事が無く成る為に、多くの民が困ると言う理由で、薬師は術者の範疇には入らないとして来たのが火元国の現状だ。
とは言え薬種はどれも此れも決して安い物では無く、其れ等を調合する技術も各地の薬師が秘匿し独占して居る為に、霊薬では無い薬でも下々の者に手が届く様な値付けでは無い。
実際、小なりとは言え幕府の禄を食む我が森本家でも霊薬は勿論の事、普通の薬だって余程の事が無ければ其れを買い求める様な銭は無いのだ。
其れも女房子供が病を患って死にかけて居る……と言う状況すら『余程の事』には区分され無い。
父上……つまりは当代の当主さえ無事ならば、嫁は新しく貰えば良いし、子供も新たに産ませれば良いと言うのが、火元国に置ける一般的な常識なのだ。
幸か不幸か拙者はこの歳まで軽い風邪を引く事は有っても、命に関わる様な大病を患う事無く成長する事が出来たが、兄の一人と妹一人は何方も性質の悪い風邪を拗らせ命を落としている。
今回の留学の結果如何では、拙者は分家を起こして錬玉術を用いて幕府に貢献する役目を賜る事に成るのだろうし、一番上の兄上が跡目を継いだ本家に対しては金銭だけで無く、霊薬や医術と言った側面からも支援を求められる事に成るだろう。
問題が有るとすれば術者育成令の御蔭で此方へと留学して居る者が相応の数居ると言う事だ。
技術や知識を持つ者が増えれば、その分霊薬や術具の値は今よりは下がる事が考えられるが、今度は調合に必要と成る薬種の引きが増える事で、材料の値が跳ね上がる可能性が有る。
此れが各藩に散って其々の土地で足りない需要を満たすと言う方向に行けば良いのだが、大名家の子弟や裕福な上級武家の子弟の大半は西方大陸へと精霊魔法を学びに行き、此方で錬玉術を学ぶ事を選択した者の多くは比較的貧しい生活をして居る小普請組の子弟だ。
その多くは我が家と同様に自分の家が上向く為の支援をしてくれる分家を欲して子供を送り出した事だろう。
と成るとその殆どは幕臣の儘で江戸に在住し幕府指示の儘に江戸の武士と民の為に霊薬や術具を作る事に成るのではなかろうか。
今の段階では江戸に居る錬玉術師は、猪山藩の『錬玉姫』と豹堂家の『器用仁』と呼ばれる家臣の二人だけなので、市井の薬師の需要まで食い散らかす様な状況には成って居ないが、拙者等が帰った暁にはどうなる事か。
まぁ……そうした世間の動向に付いては其れこそ上様や老中に奉行と言った幕府要職に居る者が考える事で、拙者の様な小普請組の小倅が御政道にどうこう抜かすのは筋違いと言う物だろう。
「うむ……出来た。親方ー! 言われて居た鋼材の調合が出来たで御座る。約束通り此れを刀へと加工し易い刃金へと錬成する手順を教えて御座れ」
そんな事を考えながらもしっかりと手を動かし、課題として出されていた調合を無事に成功させる。
余所事を考えながらも比較的難しいとされる調合を成功させる事が出来たのは、氣を用いて器用さや知力を高めた結果だ。
氣を用いずに集中力を欠いた状態で調合する等と言う舐めた真似をすれば、先ず間違い無く拙者の目の前に有る竈は結果を変えて爆発する……と言う様な事にすら成っていただろう。
……うん、外つ国で我等氣功使いが狡いと言われる理由が解るな。
火元国では武士ならば氣は使えて当たり前の物だったが故に、町人階級の鬼切り者から狡いだのなんだの言われた事は無いが、恐らく彼等も腹の底では似た様な感情を持っているに違いない。
ただ外つ国では我等の様な武士は公家とは違い貴族として扱われる事は無く、飽く迄も只の渡来人だ。
其れ故に同じ工房で親方に師事する此の大陸の者達から、真正面から狡いと言われた時には面を食らった物である。
とは言え同時期に錬金術師製造所に入門を希望した者達の中で、我等火元の武士達が基礎課程を早々に卒業し、各自が工房を構える王工匠と呼ばれる者に弟子入りする事が出来たのに対して、他の者達は半分位が脱落した事を考えればそう言われるのも当然と思えた。
氣功使いは氣を頭に回す事で物覚えも只人とは比べ物に成らない位に良く成る。
只人が一年掛けて学ぶ内容が三ヶ月も有れば全て覚えられると言うのだから、只人からすれば狡いと言われても仕方ないだろう。
幕府が……と言うか太祖家安公が錬武館や志学館なんて物を設立して幕臣の教育を一元化したのは、市井の道場や学問所で只人と共に学んだ時に、氣を纏えぬ者の心が折れない様に気を使った結果なのかも知れ無い。
「キッチリ属性が均一に混じってる、変に脆かったり逆に無駄に硬すぎる様な事も無さそうだな。にしても三、四回は窯を吹っ飛ばすと思ってたのに一発でキッチリ物を仕上げるって……氣功使いってのはマジでどー成ってんだかなぁ」
拙者が仕上げた鋼材を虫眼鏡の様な術具で覗き込んだり、金槌で叩いて感触を確かめたりした後、親方は面倒臭そうに自身の真っ白な髪の毛に手を突っ込んで頭を掻きながらため息混じりにそんな言葉を口にする。
山人と人間の合いの子だと言う親方は、外つ国人の中では取り分け背の小さい方に区分される方だが、入門当初に力関係を解らせる為に行った腕相撲では、氣を使わなければ一瞬で押し潰される程の腕力を見せ付けてくれた。
……氣を纏って拮抗した勝負には成ったが、其れでも結局は負けた事を考えると、彼の腕力は恐らく人類としては上限に近い所に有るのでは無かろうか?
兎角、そんな小柄な老人ながらもその見た目に反して剛力を有する親方は、山人の血を引くが故か属性を込めた金属系統の調合を最も得意としており、真の銀や真の金に時属性を押し込んだ鋼材を作る事が出来るのは今の所彼だけである。
そんな親方から拙者が刃金の作り方を学ぶ為の課題として出されて居たのが、二属性複合属性の鋼材を仕上げると言う物だった。
普通ならば此れは三年から四年は修行した錬玉術師がやっと取り掛かって成功の目が有ると言う様な代物なのだが、拙者の今までの飲み込みの良さから考えて、何度か挑戦してギリギリ成功するかしないか……と言う様な物だったらしい。
「仕方ねぇ、約束は約束だ。但し刃金への加工は錬玉術ってよりは、もう鍛冶に片足突っ込んだ作業に成るから、此奴ばかりはお前さんが王工匠の資格を取ったとしてもお前さんの跡継ぎ以外に教えちゃ成んねぇぞ」
一子相伝を約束させられたとは言え、秘伝と言っても良い技術を見せてくれるのは、拙者が此処を卒業したならば火元国へと帰る事が決まっているからだろう。
要するに拙者が此の技術を使って親方の顧客を奪う可能性が全く無いからこそ伝授して貰える訳だ。
恐らくは他の工房でも火元国へと帰ると言う大前提が有るからこそ、色々と秘術の類を伝授して貰っている者も居るのだろう。
……此れもしかしたら拙者達が帰国した後、火元国に色々な術具が溢れ返って割とヤバい事に成る奴では御座らぬか?
そんな嫌な予感が一瞬脳裏を過ったが、拙者は全力で気が付かなかった事にして、親方が見せる技術を盗む事に集中するのだった。




