百十八 対決! 鬼二郎と出世魚 その五
父上の言葉通り、構えを取ったまま二人は長らく動きを見せなかった。
前世に見たプロレスやボクシングの様な興行ならば、口汚いヤジが飛ぶ様な展開だが、戦いを見守る観衆からは不満の声一つ漏れることは無く、むしろ手に汗握ると言う言葉が相応しい程に緊張に満ちている。
それは二人がただ休んでいる訳ではなく、視線やほんの小さな肩の動き、足運びなど、互いにフェイントを繰り返し主導権争いをしている事が見て取れたからだ。
こういう玄人好みとも言える様な高度な戦いは見る側にも相応の目を要求する、武士達がそれを持っているのは当然の事だが、町人達もが理解しているのに俺は驚いた。
だが、考えて見れば鬼や妖怪達との戦いが日常の一部で有るファンタジーな世界だ、一般の町民と言えども武の心得が全く無い者の方が少数派なのかも知れない。
「大上段に構えた鬼二郎、脇に構えた鈴木、両者の間はおおよそ三間。十分に一足一刀の間合いと言って良い距離でしょう。だが動きません、いや動けません、私の目から見る限りではどちらも隙のような物は見受けられません」
アナウンサーの声も、叫ぶような、興奮を煽る様な物では無く、努めて冷静に状況を見極めようとしている、そんな雰囲気だ。
「いや、双方が動かぬでも、動けぬでもない」
しかし、その言葉を父上があっさり否定する。
「と、言いますと?」
「ここに居る者達には、わざわざ改めて説明する必要も無いとは思うが、上段の構えは先の先、脇構えは後の先を主体とする構え……」
そんなくだりから始まった父上の解説に拠れば、鈴木が取った脇構えは相手の攻撃に対応して攻撃を加える後の先、いわばカウンター狙いの構えであり、兄上のそれは小細工無しに一刀両断を狙う構えである。
上段の構えは確かに兄上の得意な構えだし、それを選んだのは構えの有利不利を考えての事では無い。
だが鈴木は違う、兄上がその構えを取るだろう事を解ってあえて不利な構えを取ったのだ、それは兄上の一撃に対応し、カウンターを決める自信の現れなのだろう。
そしてそれが解っているが故に兄上は容易に攻撃を繰り出すことが出来ない。
そう、動けないのは両者ではなく、義二郎兄上なのだ。
「無論、後の先を狙っている以上鈴木が自由に動けるという訳では無い、じゃがこうして居る間に受ける重圧は義二郎の方が大きい。長引けば不利に成るのは義二郎じゃ」
現状に対する見解は俺も父上と同じだ、だが先程までの無手でのやり取りを加味すれば、二人の状態は十分に互角と言えるのではないだろうか?
状況が動いたのはそれから暫くしての事、正午を告げる鐘の音が江戸中に鳴り響いた瞬間だった。
皆の意識が一瞬決闘場から逸れ、張り詰めていた空気から少しだけ緊張が失われた、そしてそれは立会人の一郎翁に、そして命を掛けた闘いの場に立つ鈴木にも伝播してしまったのか、決定的な隙が出来た様に見えた。
当然それを見逃す兄上ではない、目にも留まらぬとしか形容出来ぬ速さで踏み込んだ兄上が一瞬の煌めきの元にその手にした刀を振り下ろしたのだ。
「おおっと! これは決まったかぁ!? いや、決まっていない、鬼二郎が振り下ろした筈の刀、その刃が宙を舞っています! その手には柄が残ったまま、なんと鈴木は鬼二郎の刀を叩き折ったのか!?」
アナウンサーの言葉通り、勝負はその一合撃では決まっていなかった。
どうやら鈴木が見せた隙は誘いだったようで、兄上の振り下ろした刀を払い、そして叩き折った様だ。
しかし、鈴木は刀を失った兄上に追撃しようとはしなかった、いや出来なかった。
力加減を誤ったのか、鈴木は刀を振りぬいた状態で身体が流れてしまっていたのだ、慌てた様子で体勢を整えるが、その時にはもう兄上は飛び退り再び間合いは離れていたのである。
「どうやら義二郎が掴んだのは余程のなまくらだった様じゃ、じゃがそれが幸いした。恐らく清吾は義二郎の刀を払いその反動を利用して切り返すつもりだったのじゃろうが、スパっと振り抜けてしまったのじゃろう、でなければ今ので勝負有ったわい」
そんな解説の間にも兄上は改めて手近な刀に手を伸ばす。
「飛び退った鬼二郎が新たな刀を手にしたこの瞬間、勝負は再び振り出しに戻りました。全く勝負の行方は解りません!」
二人の間の距離は然程変わらず三間程、だが先程までとは二人の構えが違う、兄上はその攻撃的な性格には珍しく、防御を主体とした構えだといわれている下段の構えであり、対する鈴木はスタンダードな正眼の構えを取ったのだ。
そして、二人はゆっくりと円を描く様にじわりじわりと歩み出した。
次に先手を取ったのは鈴木、半周ほど移動した所で素早く間合いを詰め2度3度と胴突きを繰り出したのだ。
胴突き、その言葉通り胴を狙った突きだが、前世の剣道では有効な打突とは認められていなかった、だけれども実戦に置いては最も躱しづらい攻撃で、脚切りに並んで実戦的な攻撃だと言う説も有った。
それを兄上は半歩下がりながら、手にした刀で受け、逸らしその切っ先を身体へと届かせない。
「繰り出しては返し、返しては繰り出される刺突、斬撃、だが当たらない、当たらない。先程までの無手での攻防、攻守は逆ですがその焼き直しをしているかのようだ!」
二合撃、三合撃と刀が打ち合わされる度に耳を突く甲高い音が鳴り響く、だがそれも七つを数えた時再び静かになった。
今度は双方が刀を重ね、鍔迫り合いに移行したのだ。
「炎の様な激しい連撃から、再び静かな闘いへ! 今度は両者力比べの様相だぁ!」
擦れ合う刀と刀、そんな些細な音は歓声にかき消されている筈だが、拮抗した二人の力比べを見ていると、その音すらが聞こえて来る様に思える。
純粋な腕力では体格に勝る義二郎兄上の方が有利である、しかし文字通り火花を散らせている二人の鍔迫り合い、それはどちらにも傾かず互角の状況に見えた。
それもそのはず、二人は筋力だけで押し合っている訳ではない、単純に力で押し潰そうとした所でその力を利用して投げを打ったりと対応されるのは目に見えている、先程までと同様に細かなフェイントによる攻防が行われているのだ。
しかしそれも長くは続かなかった。
「これは、また暫く状況は動かない……いや! 動いた! 両者鍔迫り合いの姿勢のまま、突如鈴木の頭が何かに殴られた様に後方へと弾けた!」
「ほほぅ、あの手の小技を義二郎が使うとはな。ありゃ目から氣翔撃を放ったんじゃろうな」
流石にその一撃で鈴木の意識を刈り取る程では無いが、次の一手に繋げるには十分な隙を作ることが出来ただろう。
不意を突かれ力が抜けた鈴木を、そのまま一刀両断せんと兄上の刀が伸し掛かる。
「これは勝負有ったか! 鬼二郎の一刀が鈴木に襲い掛かる!」
その言葉の通りこれで勝負が付いた、誰もがそう思っただろう、だが今度は義二郎兄上の顔が、顎を下から打ち抜かれた様に弾けた。
「今度は鈴木が拳から氣翔撃を撃った様じゃな。この場は痛み分けと言った所かの」
父上の言葉通り、二人共致命的ではない物の決して少なくないダメージを受けたのだろう、互いに体勢を立て直す為か、双方示し合わせたかの様に間合いを取り、そして刀を捨てた。
理由は直ぐに解った、二人の刀は地に落ちると共にあっさりと折れたのだ。
数合撃の打ち合い、そして鍔迫り合い、それだけで真剣が駄目に成るほどの負荷が掛かったと言う事だろう。
「十分に氣を練り込んだ斬撃は鉄をもあっさりと切り裂く、故にそれを斬鉄を込めると表現するが、斬鉄同士がぶつかり合えばどうなるか……それがあれじゃよ。双方とも生半可な腕では無いが故に数合保ったがの」
その言葉に歓声が爆発した。




