千百九十七 志七郎、知識と技術の価値を考え秘匿を説教される事
錬玉術に置ける調合法の秘匿、此れは錬玉術師製造所が技術を独占する為の取り決め……と言う訳では無い。
向こうの世界で錬金術師として名を馳せたパラケルススと言う人物が残したと言う格言に『全てのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるか、そうでないかを決めるのだ』と言う言葉が有る。
生物が生きるのに必要な水や塩、何なら酸素の様な空気に含まれている物だって量に依っては命を落とす毒と成り得るのだ。
其れは前世の世界の医薬品だって同じ事で有り、此方の世界で使われる民間療法程度の生薬は勿論、霊薬の類だって使い方を誤れば容易に生き物の命を奪う毒に成る。
故に錬玉術師の多くは霊薬や術具を作る技術と平行して、医学に付いても学ぶのが当然と考えられている訳だ。
更に言ってしまえば霊薬や術具を作る際に起こる『錬玉反応』と呼ばれる科学反応とはまた違う、向こうの世界の感覚で言えば超常現象に分類されるだろう反応は、少し間違えただけでも爆発を起こしたりと大きな危険を伴う物である。
寅殿に師事してしっかりと基礎を身に着けた智香子姉上ですら、自身の技量を超える調合を行おうとすれば、ドカンっと工房にして居る離れの小屋を吹っ飛ばす事が有るのだ、見様見真似の生兵法では錬玉術と言う物自体が誤解される事に成るだろう。
いや、実際智香子姉上の縁談はその爆発が原因で流れに流れまくった事を考えると、強ち誤解とも言い切れない部分も無くは無い……のか?
兎角、素人が安易に手を出して良い技術では無い以上、其の手法を秘匿するのは当然と言えば当然の事だろう。
前職の関係でも『表現の自由』は何処まで自由にして良いのか、なんてのが議論に上がった事が有る。
古くは書籍の類で、最近ではテレビや国際電子通信網を通じて、自家製銃器や爆弾の作り方なんて物を拡散しようとする者は常に居たからだ。
治安を守る立場で有る警察官としては当然の事ながら『んなもん公開するんじゃねぇ!』と声を極大位にして言いたいが戦前なら兎も角、戦後の自由主義社会の中では『実行せず知識を持つだけなら合法』なのである。
まぁ俺がよく読んで居たネット小説でも『黒色火薬の作り方』は現代知識狡の中でも定番中の定番で、ノートPCに入れて貰った百科事典にも其れはしっかり記載されて居た位には情報だけなら違法では無いのだ。
対して此方の世界では技術と言う物は基本的に秘匿されるのが当たり前で、此れは座や同業者組合と呼ばれる様な組織の既得権益を守る為で有ると同時に、技術を悪用されない様にする為でも有る。
錬玉術に関しては霊薬の取扱次第で健康に問題が有ると言うのも当然の事ながら、自爆覚悟で有れば手鍋一つと『少量の水』に『鬼の角』と『其処らの草』と言う何処でも簡単に手に入る物でドカンと爆発させる事が容易に出来ると言う事も秘匿の理由な訳だ。
向こうの世界でも爆弾テロに圧力鍋を使った物が使われたりした事も有ったが、あの時もその詳細な作り方を報道するなんて馬鹿な真似をテレビがやったが、調べりゃ出てくる物を放送した所で其れを罪に問う事は出来やしない。
ぶっちゃけあの放送はテロ幇助だって言っても良い気がするんだが……国際電子通信網で一寸調べりゃ、其れが駄目でも化学系の書籍とか理系大学の図書館辺りで漁れば、其の辺の事を知る事は然程難しい事じゃ無いので犯罪には成らんのよ。
しかし此方の世界では錬玉術と言う銭の成る木と言っても過言では無い技術も、火薬の調合法も何方も相応の師匠が居なけりゃ知る事の出来ない秘匿性の高い情報なのだ。
……と言うか前世の世界でも情報と言う物の価値や秘匿性が下がるのは、本当に近年に成っての事で紙が簡単に手に入る様になり印刷技術が一般化した時点でも未だ未だ情報の価値は高かった。
ラジオやテレビに新聞と言った報道機関が権力を持っていたのは、そうした情報を一方的に大衆に向かって発信出来るからだ。
けれども国際電子通信網の一般化と社会的通信網の発展で、誰しもが自由に情報を送受信出来る世の中に成って、報道機関の権力が落ちると同時に情報と言う物の価値も下がって行った気がする。
いや、正確に言うならば『正しい情報』の価値は未だに高い値段が付くのだろう、けれども玉石混交な情報の海とも言える国際電子通信網の世界では、金を払ったからと言って正しい情報が得られるとは限らない。
寧ろ金を払って得ようとする情報程、詐欺や其れに近い物で有る可能性は高いのでは無かろうか?
それでも調べ探せば何処かに正しい情報が転がって居ると言うのは、此方の世界の様に大事な情報は秘匿するのが当たり前と言うのに比べたら圧倒的に価値は下がるとは思う。
俺は国際電子通信網を軽く使う程度なので詳しくは無いが、捜査四課《マル暴》に居た部下の中には深層領域や暗黒領域とか言う場所で本来なら秘匿されるべき個人情報なんかを浚う事すら出来る者が居たりもした。
曰く素人が触れている国際電子通信網は本当に表層の極々一部に過ぎず、使う者が使えば不正操作等行わずとも得られる情報は桁違いに増える……らしい。
「と言う訳で、技術は盗み盗まれを繰り返し発展する物では有るが、だからこそ簡単に他所の者に開示して良い物では無いのだ。だと言うのにあの馬鹿弟子は己の弟子に基本の基の時すら教えて無いとは……近い内に吾輩直々に折檻しに行かねばな!」
……等と情報の価値に付いて考えている俺の頭の上を寅殿のお説教が通り過ぎて行くが、彼としては俺に対しての怒りと言うよりは智香子姉上に対する怒りの方が圧倒的に強い様である。
「でもまぁ、彼が其処に思い至らなかったのは精霊魔法学会と私の教育方針の所為も有るかも知れないわね。精霊魔法は基本的に情報の秘匿を是として居ないから」
俺を弁護する様にそんな言葉を口にしたのは当然の事ながらお花さんだ。
彼女の言葉通り精霊魔法は基本的にその土地の言葉で呪文を詠唱し使用する事が推奨されて居た。
此れは精霊魔法が『怪しげな謎の妖術』では無く、人類と精霊や霊獣が交わした古の契約に基づく正しい能力だと示す為だと、お花さんからの授業の中で習った覚えがある。
それと同時に精霊魔法は詠唱内容が解ったとしても、精霊や霊獣との契約方法を知らなければ使う事が出来ないと言うのも秘匿が必ずしも必要無い理由の一つだろう。
無論だからと言って何もかも一切秘密が無いと言う訳では無い、安易に使う事の出来ない様な上位の魔法や、下手な使い方をすれば大惨事を引き起こす様な魔法は『禁術』に指定され、呪文図書館の奥に有る禁術書庫に仕舞われている。
その境界線を守るのも精霊魔法学会の仕事なのだ。
お花さんが此方の大陸に来る際の転移に必要と成る呪文を、俺に聞かせない様に唱えて居たのも、其れが容易に開示してはいけない禁術だからなのだろう。
とは言え俺が精霊魔法学会で受けた階位認定試験の結果的には、最上級禁術書庫の魔法も閲覧出来る筈なのだが……まぁ多分今の俺の技量では扱えないと判断されたか、単純に禁術は回りに聞こえない様に詠唱するのが取り決めなのかも知れない。
「まぁ貴方達錬玉術師も他所の土地で伝承されて居る霊薬や術具の調合法を収集する為に、後ろ暗い手段を用いる事すら有るとは聞いてますし、其処までして手に入れた物を他所様に奪われる訳には行かないわよねぇ」
お花さんは普段見せない様な嫌らしい笑みを浮かべそんな言葉を口にする。
「……確かに他所の土地で秘伝とされて居る調合法を手に入れる為に強引な真似をする事は過去には有った。しかし今ではそうした非道な真似は製造所の名を汚すと禁止されて居る。少なくとも吾輩は正当な対価無しで其れを手に入れた事は一度も無い」
苦々しい表情でそう返事を返す所を見るに、その言葉は図星を射抜いた物だった様だった。




