千百九十一 志七郎、北の大地で職業病を実感する事
無事に鬼緋鯉の切り身を手に入れ、感覚共有を習得する事が出来た事で、北方大陸へと来た目的を達成する事が出来た俺とお花さんは、即座にワイズマンシティへと帰還する……事は無かった。
「折角北方大陸まで足を伸ばしたんだから、此方に留学している火元国の若者達を激励して行きましょう」
と、そんな言葉を口にしてから指鳴らしで合図をすると、途端に目の前の風景が消え去り何処かの建物の中へと塗り替わる。
とは言えその部屋がどう言う場所なのかは、幾つも並ぶ遠駆要石を見れば一目瞭然だ。
此処は何処かの街の冒険者組合の転移室と呼ばれる部屋で有る。
俺もワイズマンシティ以外の転移室を見る機会は、未開拓地域から帰る際に遠駆要石を乗り継いだ時位だが、大体何処の冒険者組合でも殆ど変わらない作りに成っていた。
此れは遠駆要石を利用して他所の国に攻め入る様な事がし辛い様に、一目で何処の冒険者組合なのか解らなくする目的と、万が一にソレが起った際には組合が責任持って鎮圧し易い様な構造にしてあるからだと言う話である。
精霊魔法の瞬間移動系統の魔法はお花さん位熟達した頂点と言える術者でも五~六人が限界で、大規模な部隊を送り込む様な真似は出来ない。
けれども聖歌の中には約三分の間、転移門を開いたままにする物が有るそうで、団体行動に慣れた軍隊ならば結構な人数を一気に転移させる事が出来ると言う。
とは言え神に仕える立場の聖歌の使い手が、何処かの国の戦争に加担すると言う事は基本的には無い。
極々一部の例外を除いて聖歌使いは信仰する神の神殿に所属して居るのが普通で、何処の国でも神殿は世界樹の直轄地として扱われ、世界樹の神々は人類の国や王よりも上の権威を持って居るのだ。
故に例え一国の王だとしても自国に有る神殿に対して命令をする事は出来ないし、ソレを不満に思って神殿を攻める様な真似をすればその国は『神敵』と世界樹の神々から認定され、周辺諸国から寄って集って凹られる事に成るだろう。
先程、基本的にと言ったのはそうした神敵を相手にする戦争や、猪山藩の氏神で有る天蓬大明神に仕える猪神神社の者達の様に、藩を守る事こそが神の意思と言う例外が存在するからだ。
藩主の氏神や土地神と呼ばれる神々はその土地に根付く信仰対象で有り、地域を統括する神からの介入が無ければ、自分の氏子を守る為に其の権能を振るう事に躊躇は無い。
勿論他所に対する侵略戦争なんて真似をした際に、神や聖歌使いの力を借りようとしても拒否されるが、防衛の為ならば功績点と引き換えでは有るが神々は割と簡単に力を貸してくれると言う。
我が猪山藩が古くから独立独歩を続ける事が出来たのは、天然の要塞と言って間違い無い立地と、農民から武士まで全ての者が武を嗜む尚武の気風に加えて、天蓬大明神と言う比較的強い氏神が居を据えて居たからなのだ。
ちなみに猪山藩には遠駆要石が設置されて居なかったりする、此れは四方全てを戦場に囲まれていると言う立地も有って、鬼切りに出掛けるのに態々転移が必要な程の距離が無いと言う理由が有る。
けれども要石を設置と維持管理に掛かる費用を吝嗇っただけだと言う噂も有るらしい。
まぁ猪山藩は伯母上が安倍家に嫁入りするまでは京の都の帝や朝廷とは、割と距離を取って居たと言う話も有るので、万が一にも朝敵認定された場合に遠駆要石を利用して軍隊が傾れ込んで来るのを警戒した……言う可能性も有るだろう。
火元国では外つ国の冒険者組合と違って、遠駆要石を設置する場所に防衛施設としての側面は余り重視されて居ない為に、転移門戦術を行われると何処の藩でも割と簡単に陥落する可能性が有るのだそうだ。
……と言うか、火元国で遠駆要石が大々的に設置される様に成ったのは、太祖家安公が六道天魔を討伐し征異大将軍として幕府を開いてからで、ソレも幕府主導で行われた事らしいので、恐らくは態と攻めやすい様に設置したのでは無かろうか?
江戸州に銃器や術者が入るのを警戒する法度が有るのは、家安公と敵対し六道天魔側に着いて大戦を終えた武家が一定数有り、そうした家の中でも大きい所は外様大名として今でも残って居ると言うし、倒幕の動きが今迄全く無かったと言えば嘘に成る筈だ。
けれども外様と呼ばれる様な大名家も、前世の世界のソレとは違い、変な弾圧を受ける様な事は無く、江戸屋敷では将軍家の子弟の養育にも関わる事が出来ている事を考えれば向こうの世界の薩長の様な激しい倒幕思想は無いと思う。
つまり外様と呼ばれる様な大名家と、火元国で暗躍して居り御祖父様が追いかけている『統幕派』は必ずしも等号で結ばれる関係では無い……筈だ。
なおお連の血筋で有る富田藩骨川家は、外様大名の中で最も家格が高く公称石高が百万石と言うとんでも無い数字だったりする。
そんな所をお連を嫁にして乗っ取りを企むとか、割と……いや可也ヤバい橋なんじゃ無いだろうか?
でもまぁ今の藩主は明らかに不正な方法で家督を乗っ取った上に、放蕩三昧で藩の財政を傾けた上に、諫言を口にした全うな家臣を其の場の勢いで手討ちにする様な真似をして居るド屑らしいので、良心の呵責を感じる必要が無いのだけは有り難い。
「本当に貴方は……一々色々と考え込むのは悪い癖ですよ。精霊魔法は確かに理論も重要だけれども、其れ以上に感覚や絆に頼る部分も多いんだから、もっとこうグワーッとドーンと生きていく感覚を掴まないと奥義を極めるには遠回りですよ?」
……其れは『当たって砕けろ』と言う意味で受け取るべきなのだろうか?
お花さんは呪文に関する事ならキッチリ論理的に教えてくれるのだ、感覚的な事に成ると途端にグッとやってズバーン! とか擬音が増える傾向に有る。
其れでも試行錯誤して何とか感覚を掴んでから思い返すと、決して間違った事は言って無いと言うのも性質が悪い。
この辺は感覚派や本能派と呼ばれる者と、理論派や理性派と呼ばれる者の間に引かれた、決して交わらない平行線の様な物と割り切るしか無いのだろう。
俺に義二郎兄上の戦い方をしろと言われても無理だし、逆に義二郎兄上に俺の戦い方を見習えと言っても無駄なのと一緒である。
「すいません、性分なんですよね。初めての場所は取り敢えず警戒して周囲を確認するのは癖みたいな物ですし」
実際には初めての場所に限らず、何処を歩くにせよ周囲に不審な状況や物が無いかを観察する癖が付いているのは、どう考えても前職で身に付いた職業病だろう。
パッと見て何の問題も無い光景でも昨日と少しでも違うならば、其の変化には何等かの事件が隠れているかもしれない。
友人の家で読んだ漫画に『警察は風邪薬であって、予防薬では無い』なんて言葉も有ったが、警察官は少しでも犯罪を減らす為に警邏を行うのだ。
制服を来た警察官や警邏車両の目の前で法を犯す馬鹿は……全く居ない訳では無いが基本的には少数派だろう。
対してそうした監視の目が無い場所ならば、考えの足りない阿呆や悪党は容易に犯罪に走る物だ。
人間は塵が捨てられている場所を見たら其れが不法投棄と疑うよりも前に、此処は塵を捨てても良い場所と認識してしまうと言う。
犯罪心理学だったかで『割れ窓理論』と言う物が有るが其れも同じ様な物で、割れた窓を放置すると其処は誰かが気を払っている場所では無い……と認識し犯罪が起きやすい環境に成るのだそうだ。
逆に言えば小忠実に警邏を行いそうした『割れ窓』を探し塞ぐ事で、犯罪はある程度抑止する事が出来ると言う事でも有る。
幸か不幸か此方に生まれ変わってからは、不審な物を探して回るまでも無く騒動の方から目の前に飛び込んで来る事が多いが、そうした事態を見なかった事に出来ない辺りもまた職業病なんだろうな。
……そんな事を考えつつ、俺はお花さんの後に続いて転送室から外へと出る扉を潜るのだった。




