千百八十八 志七郎、恐怖に竦み過去世を思い返す事
空を飛び上空から自分の目で大地を眺める其の光景は、恐らくは有史以前から長らく続く全人類の夢と言っても過言では無いだろう。
俺が前世に生きた時代には、既に飛行機に依る移動が一般化しており、金さえ有れば吊下式滑空機や発動式落下傘の様な自然活動を体験する事も出来た。
しかし残念ながら前世の俺は飛行機を移動手段として用いる事は有っても、そうした自然活動に金や時間を割く様な事をして来なかった、全く興味が無かったと言えばそんな事は無く機会が有ればやってみても良いとは考えて居たのは間違い無い。
だが警察官と言う仕事は非番の日や仕事が終わった後の課業外の時間でも、一度何等かの大きな事件が管轄内で起きれば、即座に招集が掛けられる可能性の有る商売だ。
其の為、休暇中でも所属する警察署の管轄区域外へと出掛ける際には上長に対して届け出を出して許可を得る必要が有る。
此れが割と面倒臭い為に、俺は休みの日には誰かに誘われでもしない限りは、基本的に自宅の寝台の上で携帯電話でネット小説を読んで一日を過ごす……と言う物臭としか言い様の無い生活をして居たのだ。
世の中には仕事をして無いと耐えられないと言う所謂『ニート』が出来ない性質の人間も居るが、俺は何方かと言えば用事が無ければ引き籠もって一日中国際電子通信網で時間を潰して飽きたら寝る事が出来る性質の人間だったと思う。
一応は警察官と言う公務員の職を得て、捜査四課長と言う重責を担う事に成った為に、仕事に手抜きをする様な真似はして居なかったが、無難に仕事を熟して定年退職後の年金生活に色々と夢を見ていたのだ。
多分、前世の俺はもしも彼女が出来たとしても其の物臭な気質を鑑みると、結婚まで至る事は無かっただろうし、万が一にも結婚する事に成ったとしても良くて熟年離婚、悪くすれば若くしてバツが付いた上で子供の養育費を只管払い続ける生活に成っていただろう。
同僚や部下には既婚者も当然居たし、彼等彼女等の幸せそうな様子を見て、其れに憧れなかった訳では無いが、自分の都合よりも嫁さんや子供の都合を優先した生活が、何とも息苦しそうに感じた事も嘘では無い。
出不精と言って間違いなかった前世に比べると、生まれ変わってからの俺は野外での生活を苦と感じなく成ったし、ネット小説を読むよりも武芸や魔法の修練の方が楽しいと感じたりと、多少なりとも変わった部分が有るのは自覚して居る。
恐らく其れは本来志七郎として生まれる筈だった、此の身体に宿るべき魂の影響なのでは無かろうか?
兎にも角にも霊獣との意識共有はお花さんから簡単な説明を受けただけで、割とすんなり上手く行った。
既に強い信頼関係を築けて居ると胸を張って言える四煌戌達は勿論の事、焔羽姫も当初は
『ピカ! チュン! チュチュンガチュン!(プライバシーの侵害! セクハラ! エッチスケッチワンタッチ!)』
と何処で知ったのかも解らん言葉で罵って来たが、飽く迄も互いの合意の上での同調で有り、彼女の個人的な生活まで覗き見る様な事は出来ない……と説明した事で何とか受け入れてくれた。
……正直な所、幾ら精神的には女の子と言える性別だとしても、俺から見れば鳥の雌で有り不埒な欲求の対象に成る事は無い。
いや、世の中には可愛らしく描かれた動物の雌に対してそうした欲求を抱く者が居るのは知っているし、御祖父様の様に本気で人間の女性に対して劣情を抱けない、言っては悪いが変態の類が居る事も知っては居る。
この広い世界の中には焔羽姫に対してそうした欲求を抱く様な変態が絶対に居ないとは断言出来ないが、少なくとも俺は百歩譲っても人類か、其れに近い姿をした種族の女性にしか興味は無い。
親しく接した事は無いので、今の段階で断言するのは奇怪しいとも思うのだが、風聞を聞いた限りでは成人した女性でも人間の少女と変わらぬ体躯にしか成らないと言う草人や山人の女性は対象外だろう。
他にも獣人族の中でも、魚に手足が生えた様な姿をして居る魚人の類に劣情を抱く事も無いと思う、同じ魚系統でも人間と同様の上半身に魚の様な下半身を持つ人魚族は有りと思えるのだか現金な物だ。
まぁ魚系の獣人族の性行為は交合を行うのでは無く、女性個体が産卵した後に其処に男性個体が精子をブッ掛けると言う極めて魚らしい方法らしいので、魚系の獣人との間に子供を作ると言うのは可也難しいとは思うがね。
と、大分話は逸れたが俺は今、焔羽姫の目を通して空から湖を見下ろして居るのだ。
試して見るまでは无人机に依る空撮の様な感じに成るかと思って居たのだが、実際にやってみると携帯電話なんかの画面を通して見る、其れとは違い自分の目で見ているのと全くと言って良い程変わらない光景が見えていた。
同じ无人机の操作でも携帯端末を使った其れでは無く、仮想現実眼鏡なんかを使った操作ならば、もしかしたら此れと同じ様な感覚に成るのかも知れないが、残念ながら前世に其の手の機材を使った経験は前者しか無いので比較は難しい。
ちなみに携帯端末を使った无人机の操作は、ウチの県で无人机の体験会が有った際に捜査に使える可能性が有るのでは無いか、若手連中が行くと言ったのに便乗して一緒に行って体験して来たのだ。
ああした近場で行われる興行に、誰かが車を出してくれるのであれば、参加するのに否は無いのだが、公共交通機関を使ったり自分で運転して遠くへ出掛けると言うのは好きじゃ無かった辺り、本当に前世の俺は出不精としか言い様が無かったのだろう。
なお警察官はその職務上で運転の必要が有る為、基本的に警察学校入学前には普通免許の取得が推奨されて居る。
義務では無く飽く迄も推奨なのは、学校に依っては高校在学中の免許取得を校則で禁じて居り、警察官採用試験合格通知が出てからで無いと自動車学校に通う事が出来ず、時期に依っては免許の取得が間に合わない事が有るからだ。
その場合には警察学校での厳しい訓練の休日に、自動車学校へと通わなければ成らない為、体力的に可也キツイ日程に成るので、入学前の取得が推奨されて居るのである。
まぁ俺は大学を出てから警察学校へと進んだ口なので、免許取得の際にはそんなに苦労はしなかったがね。
……うん、実はこうして前世の記憶を敢えて呼び起こして居るのは、空からの眺めが『気持ち良い』とは感じる事が出来ず、何方かと言えば『怖い』と言う思いが強いからだったりする。
別に高所恐怖症と言う訳では無い、本当の高所恐怖症の人は椅子の上位の高さでも駄目だと言うのだから、三階の窓から外へと逃走した犯人を追いかけて屋根の上を走り回った事も有る俺が其れであろう筈が無いのだ。
其れに回数こそ多くは無い物の、遊園地の類へと行った際には、ジェットコースターやフリーフォールの様な絶叫マシンの類に必ず乗る位だったし、高い所に対する耐性は人並みには有った筈である。
けれども何の支えも無く十階建ての建造物よりも高い高度から地面を見下ろす光景は、落ちないと解って居ても息子さんの後ろに有る物が身体の中へと引っ込みそうに成る恐怖感が有るのだ。
しかもやたらと視界がハッキリとして居る上に、湖の透明度も割と高い所為で、可也深い所までしっかり見えて恐怖感は更にドン! って感じである。
具体的に言うとジェットコースターなんて目じゃ無い高さで感じる怖さに加えて、湖の深みが見える所為で夜の真っ暗な海に感じる様な吸い込まれそうな怖さも合わせて、マジで洒落にならん怖さなのだ。
「どう? 空からの景色は? 慣れないと可也怖いでしょう? 此処は特に怖いと思うわ。私も初めて空を飛ぶ霊獣に意識共有を試した時には漏らすかと思ったもの。でも此処で慣れてしまえば他の所は殆ど平気に成る筈だから頑張って頂戴ね」
意地悪そうに笑いながらそう言うお花さんの声に、俺は溜息を一つ吐いてから恐怖に竦む息子さんを心の中で叱咤激励し焔羽姫の視界の中で、鬼緋鯉の魚影を探すのだった。
10月1日は所用で外出する為、執筆更新の時間が取れません
其の為、次回更新は10月2日深夜以降となります
ご理解とご容赦の程宜しくお願いいたします




