千百八十五 志七郎、不勉強を叱られ転移を学ぶ事
一つの流派を皆伝まで極め様と思えば、年単位の修行が必要に成るのは当然の事で、西海岸流侍道を真剣に学ぼうと思えば、確かに予定されている残りの留学期間では全くと言って足りて無い。
だからと言って唯でさえ難易度の高い時属性の魔法の中でも、大魔法に区分される瞬間移動を使える様に成れば良い……と言う解決方法は余りにも乱暴で力技過ぎると思う。
「そもそもとして貴方が火元国に帰るには瞬間移動の魔法を使える様に成って貰う他無いわ。勿論、他の留学生にも同じ事をしろなんて言う積りは無いけれど、仮にも貴方は私の直弟子なんだからその程度の事は出来る様に成って貰わないと留学させた意味が無いわ」
重厚な桃花心木の執務机に乗せられた火元国風の煙草盆から煙管を取り、其処に刻み煙草を詰め込みながらお花さんはとんでも無い言葉を口にする。
「え!? 全く聞いて無いんですけれど?」
思わず驚きの声を上げた俺に対して、彼女は此方を見る事すら無く、
「着火」
一言短縮詠唱を用いて指先に火を灯し、ソレで煙管に火を入れると、一口美味そうに吸い込んでから紫煙を吐き出しつつ、
「今言ったじゃない」
と前世の世界で読んだネット小説で良く出てくる様な、性の悪い上司の如き台詞を吐いた。
「とは言っても、何もこの世界を自由に何処にでも転移出来る様な大魔法を直ぐに使える様に成るなんて思っちゃ居ないわ。瞬間移動の魔法にも幾つか種類が有るんだけれども、呪文図書館で調べたりしなかったのかしら?」
……はい、御免なさい、魔法図書館では大魔法の類では無く炊飯魔法を研究する上で応用が効きそうな調理魔法ばかりを調べ、実用的な魔法に関して全くと言って良い程勉強してませんでした。
とは言えそんな事を馬鹿正直に申告した所で、落ちる雷が言葉だけでは無く、現実に落雷の魔法が振ってくる事に成りそうなので、口を閉じて神妙な顔をしておく。
「まぁ良いわ、今更図書館で調べて勉強しなさいなんて言っても時間の無駄だしね。瞬間移動の魔法は時属性の魔法で有ると同時に聖歌でも有り、他の魔法に類する様々な術の中にも存在する普遍的な物でも有るのよ」
そんな言葉から始まったお花さんの言に依ると、火元国を始めこの世界様々な所に設置されている遠駆要石は、精霊魔法と聖歌に錬玉術……の原型足る丹術と言う東方大陸の術の合いの子とでも言うべき物だと言う。
其の為、精霊魔法に限らず聖歌や錬玉術だけで無く、この世界に存在する殆どの術の中に、遠駆要石へ接続する事の出来る魔法が存在して居るのだそうだ。
お花さんが自在に操る瞬間移動の魔法も短距離の転移は兎も角として、超長距離の転移の場合には、時属性の精霊魔法だけで成り立っている訳では無く、世界樹の通信網を通じて最寄りの遠駆要石を経由し跳んで居ると言う。
「貴方の腰にぶら下がっている鬼切り手形は世界樹の木片で有り、通信網にも繋がった端末の一つだから、ソレを経由すれば一度利用登録した遠駆要石に転移するのは然程難しい事じゃぁ無いのよ」
曰く一番簡単な瞬間移動の系統に有る魔法は、戦場の真っ只中から一党の面々を最寄りの遠駆要石へ離脱する『脱出』と言う魔法だと言う。
けれどもこの魔法も時属性の魔法だけ有って、その属性が扱えれば誰でも簡単に使える物と言う訳では無く、腕の伴わない魔法使いが使った場合には、持っていた荷物が無くなったり、装備品まで丸っと失って全員丸裸……なんて事も有るらしい。
ちなみに錬玉術で同様の効果を持つ術具を作る際には、ある程度以上の大きさの紅玉と、風属性を宿した魔物の皮で作った婦人用の靴を組み合わせ、ソレで仲間の頭を引っ叩くと効果が出る……と言う訳の解らない仕様である。
紅玉は火属性を宿した宝石で、風属性と合わせても雷属性にしか成らない筈なのに、何故時属性の魔法と同様の効果を出す事が出来るのか?
まぁ俺の錬玉術は理論や理屈を学ばず、調合法だけを齧っただけの半可通な物だし、そうした仕様の謎なんかは北方大陸に留学した連中がしっかりと学んで来るだろう。
けれども幕府が費用を用立ててまで西方大陸へと留学させてもらった以上、精霊魔法に関してはそう言う生半可な真似は許されない。
「しっかりと呪を練る時間が有る状況なら、脱出は然程難しい物では無いけれど、ソレが必要に成るのは大体は緊急事態の時だからねぇ。半壊滅した一党が全裸で組合に帰って来るなんてのは良くある話よ」
お花さんから授業を受け始めた当初『精霊魔法は思った様には働かない、呪文を唱えた通りに働くのだ』と言う格言を習ったのを思い出す。
恐らくは緊急事態に慌てて『自分達を遠駆要石まで飛ばせ』とか雑な詠唱を行った結果、自分達だけが跳んで荷物や装備なんかをその場に落としてしまう……なんて事に成るのだろう。
手荷物や戦利品だけを失ったり、装備品まで丸っと失ったりと、結果に幅が有るのは、魔法の根源となる契約者が精霊なのか霊獣なのか、そしてソレと術者との間柄なんかに依って意図の汲み取りに差が出るからだと言う。
若い精霊は自意識と呼べる物を持たないが故に、本当に『詠唱した通り』の効果しか産まないが、霊獣やある程度歳を経た精霊は『良かれと思って』ある程度、呪文の意図を自分なりに解釈して発動する事が有る。
俺が四煌戌に連鎖雷撃を発動させた後に制御をぶん投げて維持して貰うのも、そうした彼等の善意に依る物だ。
基本的に精霊や霊獣は契約者に対して悪意有る行動を取る事は出来ず、魔法は詠唱した通りに発動すると言うのが『古の契約』に依る縛りでは有るが、善意に依る改変が絶対に認められないと言う訳では無い。
結果良ければ全て良し……と言い切ってしまうのは少々乱暴では有るが、詠唱した内容と違う形で魔法が発動したとしても、術者が異議申し立てをしなければ古の契約に違反したと世界は看做さないのだ。
逆に術者が余りにも精霊や霊獣に対して酷い扱いをし続けた場合に『良かれと思って』意図的に致命的な状況で酷い誤りを犯す事も有ると言う。
そうした場合は明確な契約違反なのだが、多くの場合異議申し立て何ぞ出来る状況では亡くなって居る為、誰に知られる事も無く契約自体が無かった事に成って終わるのだそうだ。
「貴方とワンちゃん達の間には明確に絆と呼べる物が出来ているだろうから、そうした意図的な失敗は先ず無いとは思うけれども、時には良かれと思って貴方の意図しない形で魔法が発動する事も有り得るから其処だけは重々注意するのよ」
お花さんの言葉通り、俺と四煌戌や焔羽姫との関係は得てして良好と言って間違い無いだろう、何せ何方も幼少の頃から俺自身が他の人の手を借りながらも育てて来たし、その間粗略な扱いをした様な覚えも無い。
四煌戌の中でも自由な気質の翡翠だけは俺自身も今一つ完全に性質を掴んだと言い切る自信は無いが、熱血系姉御肌の紅牙や温厚気質の御鏡は此方が裏切る様な事さえしなければ、向こうから裏切る様な事は絶対に無いと断言出来る。
焔羽姫だって少々ツン気質は強い物の朝の散歩の時に喚べば、送還するまで嬉しそうに俺達の上空を飛び回って居るし、取り敢えず問題に成る事は無い筈だ。
ただ……確かに良かれと思って言っても居ない事を行われて酷い騒動に成ると言うのは、前職での部下がやらかした時なんかに割と経験が有る。
悪意が無いからこそ、小さな失敗なら笑って許せる事も有るが、ソレが積み重なれば大きな失敗に発展する事も有る、暴力団や半グレに海外の犯罪組織を相手にそうなれば、迷惑を被るのは警察の同僚だけで無く無辜の一般市民も時には犠牲と成るのだ。
善意でも悪意でも意図していない結果は電子制御技術で言う所の蟲喰いと同じだ、電子機器に詳しくない俺でも蟲喰いの有るソレが制御出来ない物だと言う事位は知っており、そんな物が混ざった魔法なんて怖くて使えた物じゃぁ無い。
「転移系の魔法を悪意で改竄されると、下手をすれば転移先に付いた時には首と身体が泣き別れとか普通に有り得るし、悪意無しでも制御に失敗すれば腕や足が千切れる事も有るからね、今日は流石にもう遅いし明日からはビシバシ教えるから覚悟しておきなさいな」
猫を撫でる様な優しい声でそう言いながら紫煙を吐き出すお花さんの目は、これ以上無い程に本気のソレで俺は明日からの授業が厳しい物に成る予感に背筋を震わせるのだった。




