千百八十四 志七郎、学閥の争いを知り新たな学びを指示される事
「そう……百手と会ったのね。確かに貴方の手札とあの流派は噛み合わせも良いし、門下生に成って其れを学びたいと言うのは理解出来るわ。でも私が貴方に彼を紹介しなかったのにも相応の理由が有るのよ」
道場を後にし学会へと戻った俺は、早速お花さんの執務室へと向かい、西海岸流侍道を学びたいと相談した。
すると返って来たのは、或る意味で想像して居た通りの言葉だった。
その言に依ると、トム氏の祖父であるロコモーティブ・ヤエモンと言う人物は、精霊魔法学会の中でも『黒の遺産』と呼ばれる学閥に所属して居た者で、お花さんの目から見ても剣、銃、魔法、どれを取っても達人と呼ぶに相応しい男だったと言う。
黒の遺産と言う学閥は、黒の名が示す通り『時属性』の魔法を主に研究して居る者達の集まりで有り、彼等が最も手本として居たのが学会で唯一『黒』の名を冠する事を許された家安公の残した帳面だったらしい。
だがその帳面は精霊魔法に付いてだけを記した物では無く、精霊魔法を戦闘に組み込む事を想定した剣術や銃の扱いと言った物を総合した覚え書きの類で、言うなれば西海岸流侍道の奥義書とも言える物だったと言う。
そうした内容の物ではあるがヤエモン氏は、学会に残された黒の秘術に迫る為の大事な資料だとして、流派の物等と主張する様な真似はしなかったらしい。
しかし当時の黒の遺産を纏めて居た教授は、その帳面に書かれて居ない西海岸流侍道の技術の中にこそ黒の秘術を解き明かすのに必要と成る秘密が有ると決めつけ、其れを開示する様にヤエモン氏に求めたと言う。
だがロコモーティブ家に伝わって居た事の殆どは、その帳面に記されていた事ばかりで有り、其処から逸脱したと言える物も流派を受け継いでいく過程で派生した技術に過ぎず、精霊魔法の秘奥を紐解く様な事柄は何一つ無かったのだそうだ。
寧ろヤエモン氏は西海岸流侍道を精霊魔法をより深く学ぶ事で、更なる発展を目指して学会の門戸を叩いた立場で有り、教授から学ぶ事は有っても自分が教える事の出来る様な物は無い……ときっぱり言い切ったらしい。
結果、教授はヤエモン氏を学会に貢献するのでは無く学会の研究を盗む為に学会の門戸を叩いた不届き者、と断じて彼を学会から追放すると言う処分を学長に無断で断行したのだそうだ。
「私がその頃に此方に居たならそんな馬鹿な真似は絶対にさせ無かったんだけれども、丁度その時期は東方大陸の奥地を超時空太猴を探して旅してた頃で、此方に全く帰って来て無かったのよねぇ」
ヤエモン氏が学会に居た時期は一朗翁も立派な大人……と言うには少々歳を経ては居たが、お栗殿を嫁に貰って世間様からも一人前と認められる様に成った頃合いで、お花さんも東方へと向かった本来の目的へと戻って居た頃だったそうだ。
ちなみに彼女が超時空太猴と言う家安公が契約していた霊獣を探して世界中を旅して居るのは、黒の魔術師のみが使う事が出来たと言う黒の秘術を資料からでは無く、実際に使っていた霊獣から解き明かす為だと言う。
歳を経て古い存在と成った霊獣や精霊が強い能力を持つのは、成長で能力が増すと言うのも有るが、其れ以上に知恵や知識を身に着け様々な応用力を手に入れるからである。
そう言う方向でも霊獣や精霊に取って精霊魔法使いとの契約は、単独では思い付く事の出来ない様々な技術を得る機会であり、世代を跨いで一族と契約を続けた霊獣なんかは学会でも把握して居ない様な特殊魔法を使える様な事も有るらしい。
超時空太猴は禿河家と代を跨いで契約し続けて居た訳では無いが、家安公が人並み外れて発想力が豊かで多くの魔法を編み出した実績が有り、帳面に記された未完成の構想だけの魔法の幾つかも実際に彼が使って居た可能性は可也高いと言う。
「黒の遺産が資料からその大魔法を解き明かそうとしているのに対して、私は超時空太猴と契約する事で彼が持っている知識と技術を直接聞きだそうとして居る訳なのよ。手法の差は有れども目的は同じな訳で敵対派閥と言っても過言では無いわね」
そもそも今現在お花さんが筆頭を務める『武の魔法』と言う学閥は、大元を辿れば武術と精霊魔法の融合と言う家安公が為した発想が元に成って居り、根っことしては黒の遺産と同源の存在と言える。
だが格闘術と精霊魔法を実戦の中で使う事を前提として鍛えるお花さんの学閥と、資料と理論を捏ね繰り回して机上の空論を並べ立て実現不可能な論文ばかりを重視する……と言う表現は恐らくお花さんの悪意……黒の遺産は互いに相容れない存在でも有るらしい。
精霊魔法学会が学問の府である以上、武の魔法側も論文の発表を行ったりする事も当然行って居るが、その際には必ずと言って良い程に『素人質問』や『門外漢なので』と言った枕詞と共に粗を突付くやり取りが行われているのだそうだ。
無論黒の遺産が行う論文発表の場でも、同じ様に武の魔法に所属する者が同様の枕詞と共に、実戦の場での非実用性を突付いたり、『長々と詠唱を捏ね繰り回すより殴った方が早い』と断じたりするのが恒例なのだと言う。
「とは言えあの頃の教授達はもう皆、墓の下だし今の黒の遺産に当時の事を知ってる者は……ああ、面倒なのが一人残って居るわね。でもまぁ百年近く学会に居るのに未だ准教授止まりだしあの会派の中でも彼に耳を貸す者は少ないかしら?」
基本的に黒の遺産に属する者は人間と同等か其れより短命な種族に多く、逆にお花さんが率いる武の魔法に属する者は人間が一番多く其れ以外は長命な種族の割合が高いらしい。
この辺の差は短命種族が資料と言う形で後輩達に自分の研究成果を残し、其れを引き継ぐ事でより深い研究を……と考える者が多いからで、逆に長命種族は自分自身が永い時を掛けて道を追求し続ける事が出来ると言う種族差に依る物が有ると言う。
実際、永く生きても五十年程度で寿命が来ると言うヌル族と言う種族の学長は、代々毒属性の魔法を研究し続け、その資料や研究成果を子々孫々に引き継いで来たからこそ、毒属性の魔法で霊薬の再現と言う無理無茶無謀に挑む事が出来るのだ。
黒の遺産も学長同様に多くの者達がその生涯を掛けて研究を重ね、其れを引き継ぎ更なる研究を積み重ねる事で、時属性の魔法の中で家安公だけが触れる事が出来た高みを目指して居るのだろう。
そんな中で長命種族だと言う件の人物は百年近くと言う人間の限界、短命種族からすれば長過ぎる程の時間を掛けて尚も、教授の席に就く事が出来て居ないと言う点でお花さんからの評価は可也低い物らしい。
「西海岸流侍道場に門弟が居ないのは、多分学会と揉めた当時の風聞が未だ市井には残ってる所為……なのかしらね。まぁ貴方が弟子入りしたからって連中が馬鹿な真似をする様なら私がきっちり止めて上げるから気にし無くて大丈夫よ」
連中と言うのは黒の遺産に所属する学生や教授達の事を指して居るのだろう。
けれどもお花さんの言う通り、黒の遺産とロコモーティブ家の間に今でも積極的な敵対関係が有るのであれば、トム氏が百手等と言う二つ名で呼ばれる程の冒険者と成る前に何等かの方法で消されて居た筈だ。
今のトム氏の実力ならば生半可な刺客で彼を仕留めるのは不可能だろうが、精霊魔法学会で教授を務める事が出来る程の大魔法使いが、形振り構わず仕掛ければ倒し切れない相手と言う程では無いだろう。
少なくともトム氏は単独で一軍を相手にする事は出来ても、国を落とす事が出来る程では無いと思われた。
学会の首脳勢が単独で国を潰す事が出来る戦力だからこそ、ワイズマンシティと言う都市国家自体が学会と同等と言える関係を築いて居るのだ。
「まぁ何方にせよ、貴方には取り敢えず瞬間移動の魔法を修めて貰わないと駄目よね。留学期間を伸ばす訳にもいかないし、アレが使える様なら火元国から此方の道場に通う事も出来る訳だしね」
……いや、確かに一つの流派を学ぶのに一、二ヶ月で免許皆伝とはいかないだろうが、真逆其れを解決する方法が、其処までの力技とは俺は想像だにしていなかったのだった。




