百十六 対決! 鬼二郎と出世魚 その三
「まったく……清吾のああいう目立つ事を嫌う節はなんとかせんといかんのぅ。乱破素破じゃあるまいし、身を潜めてどうこうするのは武士のやることではないわ」
武士は目立って……見栄を貼ってなんぼの商売だ、義二郎兄上の様に『身の丈六尺余りの大男』と言った一目で解る特徴が有ればただ静かな立ち振舞でも問題無いだろう。
だが鈴木はその顔立ちこそ整っているがそれだって『一目見れば忘れられぬ』という程ではないし、写真や映像技術の発展していないこの世界では一郎翁ですら、その顔が万人に知られて居るわけではなく、名前と顔が一致する者は江戸全体で見ても決して多くは無い。
武士に取って名乗らずともその正体が相手に解るというのは、見栄と言う意味でもこれ以上ない程の評価と言っても良いだろう。
『此方におわすお方を何方と心得る』と言う奴を考えて見れば良い、かの御老公とて顔が知られている訳では無く『印籠の家紋』と先の副将軍という肩書、それらが有るからこそ、下々の者が頭を垂れるのだ。
となれば、こんな大きなイベントで主役の一翼を担うのは、顔を売る絶好のチャンスと捉え、可能な限り目立つ様に立ち振る舞うのが武士として本来あるべき姿である。
「……清吾は単身で砦に潜入し大鬼の首を取ったらしいからな、全ての敵を相手取って居ては命が幾ら有っても足りぬ、それこそ不意打ち上等位の戦いをしたのだろう」
父上の呆れた様な言葉をそう仁一郎兄上が補足してくれた。
実戦に置いて『卑怯』と言う言葉は死体が呟く寝言に過ぎない、そんな意見も有るだろう。
だが卑怯な行為で打ち立てた武名はそれが明るみに出れば、武名どころか汚名と成る。
人間同士の戦であれば計略策略と言った知恵比べも戦の内と認められているので、奇襲不意打ち等当たり前の事だが、一対一の決闘ではそんな事は許されない。
それらの事を考えれば、鈴木も義二郎兄上の様に場を盛り上げる様な入場を見せるべきだったのだそうだ。
「………もっとも、義二郎の振る舞いはそんな事を考えての事では無いだろうがな」
天然で目立つ行為を取り続ける義二郎兄上と、ひっそりとだが必要な事をしっかりとこなす鈴木清吾、つまりこの明暗分かれた入場はそれぞれの気質をそのまま表していると言う事の様だ。
「さて、この度の決闘では両者共寸鉄帯びず入場する取り決めと成っております故、現在立会人による身体検査が行われております。その間に賭札の集計結果が出ました、四対三対三! 四対三対三! 鬼二郎のやや優勢です」
やや盛り下がり掛けた場の雰囲気を変える為だろう、アナウンサーの声には少々焦りの様な物が感じられる。
「ふむ、ある程度釣り合う数値に落ち着いたか。まぁこんなもんじゃろ」
「さぁ双方の検査にも問題が無かった様で、両者共に決闘場中央付近で向き合っています。どちらに遺恨が有っての勝負という訳でもなく、双方とも気力の充実したよい顔で見合っております」
「戦う事を楽しみ同格の相手に飢えた義二郎、砦落としを経験し『七光』を返上したい清吾、どちらもこの勝負には並々ならぬ意気込みが有るはずじゃ」
二人のやり取りを聴いてか再び観衆に熱が戻り始める。
とその時である、空が真紅に燃えた。
空の青が何の前触れも無く深い、深い紅へと染まったのだ。
「なんだ! 何が起こっておる!?」
「鬼か! 妖怪の仕業か?」
「また火事!? 火は何処から出た?」
尋常ではない事態に当然の事ながら観客がパニックを起こしかける、が
「皆様ご安心下さい! ご安心下さい! 危険な事が起こっている訳では有りません! この度の勝負を見守る最後の観客がご来訪されたのです! 先日の猛火を消し止め江戸を救った、京の帝と並びこの火元国で『帝』の字許された存在です!」
アナウンサーがそう呼びかけるとあっという間に静まり、残るのはやや興奮を孕んだざわめきだ。
そうしている内に真紅に染まった空に蒼い炎が灯り……空が割れた。
俺はこの現象に見覚えが有った、アナウンサーの言う通り、江戸を焼いた火災の夜同様、お花さんが龍を召喚したのだ。
「空を焦がす蒼炎を割り開き、現れたるは金色の龍。神々がこの火竜列島に降り立つよりも古く、太古の昔からこの地に生きる者達を守護せし偉大なる御方、険しき山に住まう『嶄龍帝』の降臨だぁ!」
そう淀みなくまくし立てるアナウンサーの声……、これは当然ながら予定されていた通りの事なのだろう。
四煌戌の様な幼い者ならば兎も角、ドラゴン程強い力を持つ霊獣が住処を離れる事はほとんど無いと、お花さんの授業で習った。
幼い霊獣は成長の為に必要なエネルギーを得るために狩りをする事はあるが、成長しきった霊獣はその身に宿す精霊の力だけで生きていく事が出来るからだ。
となれば、あの龍が江戸の空に現れたのはお花さんが召喚したからに違いないだろう。
そういえば、朝からと言うか先日神々に招かれた酒宴以来お花さんの姿を見た記憶が無い。
お花さんにとって清吾は孫だし、立会人である一郎翁は息子、この勝負を見ないと言う選択は無いと思うが、少なくとも俺達の回り、猪山藩の面々が集まっている北側リングサイドにはその姿は無い。
視線を巡らせ探して見るが、この人混みの中で睦姉上と然程変わらない体格の彼女を探すのは容易ではない。
彼女と一緒に居るはずのセバスさんはこの国では珍しい獣人、彼ならば直ぐに見つかると思ったが、その姿も見えない。
何の理由も無く龍を呼ぶとも思えないし、魔法を使うのであればその対象を視界に収めておく事も重要な要素だと習った、此方からは解らないにせよ向こうから此方を見ている事は間違いないだろう。
俺がそうして辺りを見回している間にも時間は過ぎ、空から顔を出した龍もじっと決闘場を見下ろしているだけで何をする訳でも無い、そのためか観客も徐々に空を気にする様子も減っていく。
「さぁ、神にも近しき龍の見守る中、江戸の、火元国の若手最強決定戦とも呼べる決闘、その幕が切って落とされようとしています……おおっと! 立会人の手が上がりました! いよいよ、いよいよです!」
全ての視線が決闘場に集中したのが見て取れた。
言葉通り一郎翁が右腕を高々と上げている。
「時間無制限、一本勝負、待った無し。双方の納得、もしくは戦闘不能を以て決着とする。俺の判断で止める事はしない……、命が惜しくば今この場で引け」
決して大きな声ではない、だがよく通るその声は観衆のざわめきに負ける事無く聞こえてきた。
一郎翁の意思如何によって勝負が左右される訳ではない、決着は二人の手に委ねられていると言う宣言、そしてそれは生半可な所には無いと言う。
その言葉は決して脅しでは無いのだろう、彼がそう口にすると決闘場に立つ二人だけで無く、観衆をも強制的に緊張させる強さを秘めて居る様に思えた。
それに対して、義二郎兄上は例の獣の如き凶暴な笑みで、鈴木は何の感情も宿していない様な人形の笑みで、ただ静かに頷きあう。
二人の反応を確認し一郎翁もまた義二郎兄上同様、獰猛な笑みを浮かべる。
こうして並べて見れば確かに義二郎兄上と鈴木、どちらが一郎翁の息子に見えるかと言えば義二郎兄上の方がそれらしく見えた。
「双方異論無し! いざ、尋常に! 勝負!」
その声が響き渡り一郎翁の腕が振り下ろされる、刹那の時すら置くこと無く二人の姿が弾けた。




