千百七十六 志七郎、野蛮な催しに眉を顰め欲望に悶える事
『私は敗北主義者です』『私は仲間を見捨てました』そんな文言が書かれた、何時用意されたのかも解らない汚らしい看板が、今回の試合に置いて『戦犯』と応援団から看做された監督らしい平服の男と、満塁の状況を作った投手の首に掛けられた。
どうやら此の暴徒化した応援団の乱入は、レッドブロックスの本拠地である此処アシャンティ球場での御約束だそうで、敗戦側の球団はああして戦犯を吊るし上げるのが伝統らしい。
実際、俺達の周りに座っていたニャンキーズの応援団側も、似たような物騒な言葉の書かれた看板を手にした者が、
「折角持ってきたのに出番が無かったぜ」
なんて言葉を漏らして居たのだから、恐らくは何代にも渡って応援団に受け継がれて来た『吊るし上げ看板』を態々本拠地が有る都市国家から持って来て居たのだろう。
とは言え前世の世界でテレビの報道番組何かで見た、蹴球の選手が乗る大型車両を取り囲む暴徒とは違い、他の選手に対して『腐った卵』だの『空き瓶』だのが投げられる様な事は無い。
聞けば此処まで直接的な『吊し上げ』が行われるのは此処アシャンティ球場位な物では有るが、他の球場でも敗北側の球団選手に対する罰遊戯の様な物が行われ、応援団の瓦斯抜きが行われるのはデッドボールの伝統なのだと言う。
考えて見れば此の競技自体が元々は剣闘奴隷同士の殺し合いの一種だった事を考えれば、負けた上で生き残った奴隷に対して処刑の様な事が行われて居た可能性は十分に有る。
ソレが今ではこうして形を変えて当時と比べたら比較的穏当な物として残っているのでは無かろうか?
……まぁ首に掛けられたあの看板の文言は決して穏当とは言い難いが、ソレも含めて笑い事として収めるのが今のデッドボールと言う運動競技なのだろう。
「いやー、俺はスペルボールはあんまり好きじゃなくて観に行く事も無かったんだが……デッドボールは割と面白いな! 何時か今の徒党の連中と別れる様な事が有ったら、東海岸側の方に河岸変えるのも良いかも知れねぇな!」
どうやらテツ氏的には派手な魔法が飛び交い戦略と戦術が物を言う鎧球であるスペルボールよりも、もっと直感的な暴力が物を言う野球の変形であるデッドボールの方が好みに合う様で、楽しげな顔で吊し上げを観ながらそんな言葉を口にする。
「むぅ……競技其の物は私もスペルボールよりはデッドボールの方が面白いと思うのだが、試合後に敗者に鞭打つ様なセレモニーは私には余り好ましいとは思え無いな」
ワン大人もスペルボールはワイズマンシティで観戦した経験は有る様で、何方かと言えば此方の方が面白いと感じた様だが、試合後に行われる此の吊し上げが余りにも『野蛮』に見える様で其れが受け入れ難い様だ。
ちなみにスペルボールでは『試合が終わればノーサイド』と言う、向こうの世界では闘球で使われていた言葉が割と徹底されて居るそうで、試合後には両団体の応援団が肩を組んで酒を酌み交わすのが伝統なのだと言う。
……俺の記憶が確かなら試合後の麦酒が伝統と言うのも闘球での話で、鎧球の物では無かったと思うのだが、まぁ此方の世界には此方の世界での文化の成り立ちと言う物が有る以上はアレコレ考えても詮無き事だ。
と言うか、剣闘士の殺し合いの一形態が発祥のデッドボールが野蛮な競技で、精霊魔法使いにも体力が必要だから其れを鍛える為に学会が考案したと言うスペルボールが理性的なのは、ある意味で当然の事なのでは無かろうか?
向こうの世界でも戦場で敵の首級を取った後、其れを蹴って遊んだのが、後に首の代替品として球を蹴る様に成ったのが諸説有る蹴球の発祥由来の一つだった筈だ。
其処から派生したのが闘球や鎧球の様な『フットボールコード』と呼ばれる競技の数々で、闘球は英国のとある学校から広まった物であるが為に『紳士の運動競技』として、他の競技よりも紳士的な方向に進化したと言えるのだと思う。
故に此方の世界でも学会が奨励して居るスペルボールが同じ様に『教育的競技』として紳士的な振る舞いを求める様に成ったのも当然と言えば当然の事なのだ。
「んー連はスペルボールを観た事が無いので比べる事は出来ないですけれど、本塁打の華やかさや、守備連携の鮮やかさとか、此れを観て熱狂する人が居るのは理解は出来ますね。連自身はあんまり楽しいとは思いませんが……」
尚武の気質が強い猪山藩で育っただけ有って、お連は暴力的な行為其の物に対して然程忌避感が無い様子では有るが、試合後に行われる吊し上げに関しては『正々堂々戦った者を貶める行為』として嫌悪感を露わにして、視界に入れない様に目を逸らして居る。
「ワイズマンシティに戻って未だ時間が残っていて、観に行ける試合が有れば行ってみようか。ただ……帰る時間を考えると戻ってから猪口齢糖を食った辺りで留学期間が終わる気もするんだよな」
最初に睾丸が正常化された時程劇的な効能が出るかどうかは解らないが、それでも二、三日は寝込む事に成りそうな予感がして居るので、其れを考慮したらその辺りで火元国に帰る準備を始めなければ成らない筈なのだ
少しでも巻きでワイズマンシティまで帰る手段が有れば良いのだが、冒険者組合から遠駆要石を経由する瞬間移動は、基本的に国境を超える事が出来ないので、テノチティトラン王国までは未開拓地域を踏破しなければ成らない。
真っ直ぐ向かったとしてもテノチティトラン王国までは凡そ一月は掛かる道程だ、しかも其れは何の騒動にも巻き込まれずに、安定した状況で……と言う前提での話。
最悪なのはそろそろ未開拓地域は雨季に入り、草原の多くの所で一時的に濁流の川が出現する為に、渡れる場所を探して迂回したり敢えて密林方面に移動し木々を利用して渡河したりする必要が出てくると言う。
俺が精霊魔法を駆使すれば、ある程度はそうした障害を軽減する事も出来るのだろうが、其れでも乾季程楽に踏破する事は出来ないと思われた。
雨季の方が楽なのは水の確保位だろうしなー。
「なぁターさん、どうにか未開拓地域を突破する以外の方法で手早くテノチティトラン王国まで行く方法は無いかな?」
俺は駄目で元々、聞くだけなら無料と歴戦の案内人であるターさんにそんな事を問うて見る。
「テノチティトラン王国まで直通とは行かないけれども、西海岸側最南端の都市国家ポートハリスコへ行く船なら有るんじゃ無いかな? 彼処からテノチティトランまでは二日も掛からないし多分其れが最速だと思うのだ」
ポートハリスコと言う都市国家はテノチティトラン王国の北西の海岸に有る港街で、未開拓地域で得られた魔物素材の多くが其処から西方大陸各地へと送り出される交易都市だと言う。
アシャンティ公国からポートハリスコへは船なら二週間も掛からないそうなので、未開拓地域を踏破するよりは確実に速いと言える。
今回の旅の途中でポートハリスコは経由して居ないので、遠駆要石を使った時間短縮までは出来ないが、テノチティトラン王国まで辿り着けば遠駆要石を乗り継いでワイズマンシティまで戻るのに三日も掛からない筈なのだ。
問題が有るとすれば……俺達が西方大陸に来る際に乗った寅女王号の様な快適な船旅には成らず、用足し一つするにしても船の上では命懸けになると言う事だろう。
寅女王号には個室の便所が有ったが普通の船にはそんな物は無く、甲板から海に向かって尻なり息子さんなりを突き出してスルのが一般的なのだ。
俺はまぁ良くても、お連のそんな姿を他所の野郎に見られる可能性が有ると言うだけでむかっ腹が……アレ? 今までこんな事を感じた事が有ったか?
いやまぁ、幼女のそうした姿を男に見せるのを好ましいとは思わない、と言う倫理的な感覚は以前から持ち合わせて居たが、俺は良いけど他の野郎は駄目だ……ってのは独占欲的で気持ち悪い野郎の思考じゃないか?
……俺はそんな今までの自分とは違う感覚に悶々とした物を抱えつつ、色々と飲み込んで冒険者組合に船へと乗る方法を確認しに行くのだった。




